「芸術の秋」にふさわしく、もうすぐ会期終了となる『フェルメールと17世紀オランダ絵画展』に先日行ってきました。
この復元された『窓辺で手紙を読む女』が目玉。
ただ、正直私はこの天使がいない復元前の絵の方が好きだな・・・
(これもうっすら天使主張してるけど。)
8月頭に瀬戸内国際芸術祭に行った際、高松市内のホテルに泊まり、2日目四国村に行く前に高松城へ行きました。
駅からも近い上に、開園時間が異様に早い。
西門の開門時間は「日の出~日没」8月は何と朝の5時半から開いてます。
観光のしやすさは今までで行ったお城の中で、一番かもしれません。
高松城へのアクセス
高松城の歴史
高松城は、豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒親正(ちかまさ)が、1588年に築城した平城(水城)です。
瀬戸内の海水を外堀・中堀・内堀に取り入れた日本三大水城の一つ。
生駒氏のあと城主となったのは、徳川家康の孫で水戸黄門でお馴染み徳川光圀の兄の、松平頼重。頼重以降、松平家が11代228年に渡り高松城の城主を務めました。
頼重によって改築された天守は、明治17年に取り壊されてしまいましたが、昭和30年に城跡を高松市立玉藻(たまも)公園として一般公開。
現在の公園の広さは、当時の城敷地に比べるとわずか8分の1。
ちなみに高松城は別名「玉藻城」とも呼ばれていますが、この「玉藻」とは万葉集で柿本人麻呂が讃岐の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことから、この辺りの海が「玉藻の浦」と呼ばれていたためだそうです。
城の遺構
朝の8時に高松城到着。
こんな朝早くにお城来ることないよなーと思ったけど、大阪城公園をもっと早い時間に走ってるわ。朝からお城に毎週末通ってるわ、私。
今回、地図上の右下にある東入口から入城。西門に比べてオープン時間は少し遅いですが、それでも4月~9月は朝7時から開いてます
入園料は大人200円。瀬戸内国際芸術祭のパスポート見せたら、団体割引料金(140円)になるって前日調べてたのに、購入時にチケット見せるの忘れてました。
ま、60円だけだしいいんだけど。
旭橋
かつて表門は城の南側にありましたが、1671年から始まった改築の際に新たにこの旭橋を架け、この橋を渡った先にある旭門から出入りするようになりました。
橋は堀に対して斜めになっていて、敵が直進できないような造りになっています。
旭門が東側の拝観受付場所。
大阪城公園はいつでも入れますが、それは公園内だけで拝観受付がいるような場所には早朝には入れません。こんな早くから開けてくださってありがとうございます。お陰で今日1日が有効活用できます。
門をくぐると
巨石を積み重ねた桝形(石垣で囲まれた空間)があり、攻め込んだ敵を包囲できるようになっています。
まさに袋のねずみ状態。
艮(うしとら)櫓(旧太鼓櫓跡)
艮櫓は、もともと東の丸の北東にあったことから、この名前がついています。
(北東の方角を丑寅というため)
現在残っている月見櫓と同時期の1677年の完成と言われています。
昭和40年に旧国鉄から高松市が譲り受け、工事費2,800万円ほどかけて解体修理を行い、現在の場所、旧太鼓橋櫓跡に移築されました。
桜の馬場
春はお花見客で賑わうという桜の馬場。
当時は今の2倍ほどの広さがあったと言います。
「城と桜」は、「刑事とあんぱん」ぐらい2個いちのものだと思います。
ただし、実際あんぱん食べてる刑事さんを見たことはありません。
桜御門
今年の4月に80年ぶりに復元された桜御門。
できたてなので、受付でもらったパンフレットにはまだこの地は「桜御門跡」と紹介されています。
昭和20年の空襲で焼失してしまった桜御門。
門の脇には、その空襲で焼けた石垣が展示されています。
高温で焼かれたため、ひび割れ赤く変色してしまっています。
木が新しい。
史跡は古いものが残っているのは、もちろん価値がありますが、このように復元されたものは、それはそれで当時の完成直後の姿はこんなのだったのかな~と想像できるのがいいなと思います。
期間限定で2階の展示室が公開されていましたが、なんせ朝が早すぎてオープンしていませんでした。残念。
披雲閣
松平藩時代にも、こちらの場所に「披雲閣」と呼ばれる建物がありましたが、明治時代に老朽化により取り壊されており、現在のものは大正時代に建てられたものです。
142畳敷の大書院をはじめ、複数の部屋があり、「波の間」には昭和天皇・皇后陛下が宿泊されたこともあるそうです。
中には入れなかったので、ガラス越しにじっくり中を覗かせて頂きました。
(言葉遣いは丁寧だけど、やってることは完全不審者)
披雲閣庭園
披雲閣の裏手には庭園が広がっています。
大正時代の建築に合わせて、造られたお庭。
月見櫓・水手御門・渡櫓
1676年頃に完成したと言われる櫓。船の到着を監視する役目があり「着見(つきみ)櫓」とも言われます。
水門
お堀が海と繋がっているので、干潮による水位調整のための水門が設けられています。
堀にタイがいるそうです。
へ~って思って通り過ぎたけど、よく考えたらお堀にタイいるって凄くない?
めでたくない?めでたいよね?タイだけに。(言うと思った)
鞘橋
本丸と二の丸を繋ぐ唯一の連絡橋。
そのため、この橋を落とすことで本丸への侵入が防げるようになっていました。
当初は欄干のみの橋でしたが、江戸時代にはこのような屋根付きの橋になっていたようです。
この橋から、琴電高松築港駅が見えます。
駅からこれだけ近いお城も珍しい。
天守閣跡
松平氏時代には、3重5階の四国最大規模の天守が建っていましたが、明治17年老朽化を理由に取り壊されました。
老朽による崩落の恐れがあるとして、平成17年から天守台石垣の修理工事が行われました。
一旦天守台の石垣をほぼ全て解体し、再度積み上げるといった全国的に見ても珍しい工事だったようです。
この石垣、一度壊してもう1回積み直したもの。適当に積み直してる訳はもちろんないと思うので、この隙間1個1個の石も従来のものと違わないよう積んでるんだろうな。
超難度のパズルですよ、これは。
天守台の上は、展望スペースになっていて上がれます。
お堀のすぐ向こうに海。こう見るといかに海に近いお城かというのがよく分かります。
そして、琴電の駅。ちょうど電車到着。海にも駅にも近い城。それが高松城。
この日は朝から気温が高く、40分ほどお城をウロウロしてこの天守台に到着した頃には、すっかり汗だく。
真夏の旅行はとにかく体力勝負。そして、写真撮るため日傘さしてないので腕がひたすら焦げます。(頭と顔は帽子で何とかカバー。でも被ったら最後。汗かきすぎて、その帽子は家に着くまで決して脱げない。)
帰りは西入口から出ました。
こちらの方が駅に近いので、多くの方はこの入口から入城されることかと思います。
このあと、四国村へ移動し移築復元された建物とアート作品鑑賞を楽しみました。