えちこの旅ブログ

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【飛鳥時代】大野城(福岡)

歴史巡りの旅。

教科書で一度は目にしたことがある、その時代を代表する遺跡・歴史建造物を紹介しています。

 

※この記事は私が過去に書いていた

 史跡めぐり【プラスあるふぁ】ぷらっ旅

というブログ記事に加筆修正を加えたものです。情報は訪問時のもののため、現在とは異なる場合もあります。(施設の内容や開館状況など)ご了承ください。

時代:飛鳥時代

大野城(福岡県糟屋郡太宰府市大野城市

 (訪問日:2018月4月27日)

 

飛鳥時代朝鮮半島には高句麗新羅百済加耶諸国がありましたが、562年に加耶諸国はに滅ぼされます。さらに、新羅は唐と結んで660年に百済を滅ぼします。百済はその後も抵抗を続け、日本にも援軍を求めました、しかし、663年の白村江の戦いで唐・新羅軍に大敗し援軍は失敗。高句麗も668年に滅ぼされ、朝鮮半島新羅に統一されました。

唐・新羅連合軍の襲来を恐れ、大和朝廷は様々防衛施設を築きます。その中で、太宰府の北側の守りとして大野山に築かれたのが大野城です。

 

最寄り駅は、太宰府天満宮があることで有名な西鉄太宰府駅

この電車に乗ってる時、外国人観光客のご夫婦と、地元のおばちゃんが交流を深めてるシーンに遭遇しました。

片言の英語ながら、自ら積極的に「ウェアアーユーフローム?」と話しかけるおばちゃん。

「ロシア」との答えを聞くなり

「オー!!!プーチンランド!!!」

・・・いや、まぁ、そうやけど。

その後も、「プリーズ、プリーズ」とお菓子をあげながら

「ディスイズジャパーニーズ・・・ん~・・・和菓子!」

・・・いや、おばちゃん、和菓子がおもいっきり日本語やからー

そのお返しとして、ロシア人のご夫婦もおばちゃんにお菓子あげたりしてて、ツッコミどころは満載ながらも素敵なシーンでした。


はい、そんなこんなで駅到着。

大野城山の上にありますが、本格的な山道ではなく、舗装された道から少し入って遺構を見る感じ。

駅から徒歩だと40分ほどかかるそう。時間に余裕もないので、バスで行こうかなーと調べてたら駅にレンタル自転車(電動)があるということで、早速レンタルサイクルを借りに。

 

改札横にある受付で手続きをしていると、太宰府行かれます?」と受付の女性の方に言われました。

「いえ。太宰府には行かないです。大野城行きます」

「・・え?」

えぇ、えぇ。ここまで来て、あえてあの有名な太宰府天満宮をスルーです。

菅原道真公も衝撃なことでしょうよ。

 

ちなみに、太宰府天満宮は、別に自転車借りなくても歩いて行ける距離です。

というか、そこまでの道は人が多いので自転車降りてね、って地図で指示されてました。その他、周辺の史跡巡り(大野城まではいかずとも)をするのであれば便利なんちゃうかなーと思います。

「え?自転車で?結構距離ありますよ。上り坂ですし」ととても心配されました。

が、マラソンやらお遍路やらで距離感覚が人並み以上にバカになってる私。

世間の遠いは私のちょっとそこまで。3キロ弱ぐらいの道のり、どうってことありまへん。

ただ、自転車借りるなら絶対電動じゃないと無理な道のりでした。

(レンタル料は普通の自転車500円。電動800円。+300円の価値、大いにあります。電気万歳)


あと、マップはレンタル自転車のとこでもくれるんですが、大野城が乗ってない近場のサイクリングマップなので、近くにある観光案内所の方がより広域地図もらえます。

駅周りは観光客がわんさかいましたが、大通りを外れ、大野城方面へ進むとすぐに観光客の姿全くなくなりました。

 

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山方面へ入った途端ずーっと上りです。

電動でも結構ペダルが重かったので、普通ママチャリなら相当きついです。

4月下旬やけど、坂上ってると汗だく。

 

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ちゃんとスマホもセットできます。

いったいどこを目指せばいいのかよく分からず来てしまったのですが(来たらなんとかなるかなと・・・)

この大野城は「日本100名城」にも選ばれています。100名城のスタンプを集めている私は、まずはスタンプ設置所となっている四王寺県民の森管理事務所を目指してみます

 

延々と上り続けたあと、今度はおもいっきり下り坂。

クマバチ?と思われる虫が多数登場です。

自転車でぶわーって降りてる目の前に突如現れるから、あわや正面衝突。

もう、ほんま勘弁してください。

んぎゃーって避けたら、今度は細かい砂ゴミが目に入って、目ぇ激痛(ハードコンタクトなもんで)

目ぇ痛いぃぃぃぃぃ って涙流しながら、下り坂爆走。

いつか事故起こすわ、ほんま。起こしても自業自得のことしかしてへんわ。

 はい、そんなで汗と涙で顔面水浸しになりながら、無事到着。

 

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四王寺県民の森管理事務所

正面の建物の玄関前にスタンプ置いてありました。

あと四王寺山(しおうじやま)マップなるものがあったので、それをもらって「さて、今からどこへ行こうか」と思っていたら、たまたま出会った男性(多分、このセンターのスタッフの方)が

「百間石垣行ったらいいよ」と教えてくれました。

「スタンプのデザインになってるとこだから」と。

ほー。それは行かなくては。(ってか、事前にもっと調べてこいよ)

 

自転車で行けるよ、ってなことでまたまた自転車乗って百間石垣を目指します。

あんなに頑張って上ってきたのに、石垣まではさらに下りです。

いやー、これまた帰り上るんかーい。

っていうか、やだー、まためっちゃ目ぇ痛いぃぃぃぃ。

(ちょっとしたチリでもめっさ痛い。まるで針に刺されてるようだ、とさえ思う。実際、針で目ん玉刺されたらこんな痛みじゃないやろうけどな、とは分かってる。これ、ハードコンタクトあるある。多分)

 

そして到着。百間石垣

 

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1500年近く経った今なお、石垣や石塁が点在しています。

その中でも最大規模の石垣が、この百閒石垣。長さ約180mの遺構です。

 

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せっかくなので、ちょっと上ってみた。

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上ると、より間近で石垣見ることができます。

よくぞこんな長い間残っていたもんです。

 

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戦国時代も好きですが、その次に幕末と同じぐらい古代の歴史が好きなので、人知れずテンション上がってます。

しかも全然人がいない。(坂を降りてくる途中、地面にある何かを探しているおじさんは見かけたけど。なんやろ。キノコ採り名人かな。)

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山だぜ。としばらくボーっとしてたら・・・

クマバチと思しきやつ来たぜ。逃げるぜ。


このあと、更に北側にも北石垣など遺構があるようでしたが、そこまでは行かず来た道をまた戻ることに。下って来たら、上らなければなりません。

・・・電動自転車の上り坂、最初の一こぎ超重い・・・

 

来た道を戻りがてら、もう1カ所立ち寄ってみることにしました。

駐車場が設置されてるビューポイントがある尾花礎石群というエリア。

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ここ、元旦にはご来光スポットとして訪れる方が多いそうです

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こちら大野城の土塁跡。山を囲むように約8キロあるそうです。

 

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ちょっとこのエリアをぶらついたものの、またまたクマバチと思われるやつに追いかけられて「あー、もう嫌ー!!」ってなって退散。カマキリ先生なら喜んで捕まえるんでしょうけど。

 

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こちらが大野城の史跡エリア。

右下の方の現在地ってなってるのが、今ご紹介したビュースポットエリアです。

 

このあとは、駅までひたすら下り。またまた途中で目にゴミが入って

「目ぇぇぇぇ痛いぃぃぃぃ」と号泣し、視界不良で下り坂爆走。

自転車乗る時は、ハードコンタクトはやめておこう・・・(教訓および反省)

 

最新情報はHPでご確認ください。

大野城自体は、ある種山の一部みたいなものなので、コロナ渦であってもいつでも自由に見学可能やと思います。)

四王寺県民の森

 



 

 



【飛鳥時代】明日香村の歴史遺産(奈良)

歴史巡りの旅。

教科書で一度は目にしたことがある、その時代を代表する遺跡・歴史建造物を紹介しています。

※この記事は私が過去に旅行ガイドブックサイト『トリップノート』さんに投稿した

tripnote.jp

 

をベースにしています。情報は訪問時のもののため、現在とは異なる場合もあります。(施設の内容や開館状況など)ご了承ください。

時代:飛鳥時代

 (訪問日:2017月6月9日)

 

古墳時代大和王権は国内統一を進め各地の豪族たちもその組織に組み込まれていきます。大陸の文化を導入し、体制を強めていく大和朝廷の中で、勢力を伸ばしてきたのが蘇我氏です。

他の豪族(物部氏)を滅ぼしたり、娘を天皇と結婚させて、外戚として力を握っていきます。権力のために結婚を利用するっていうやり方、歴史ではあるあるですよね。

その蘇我氏が拠点とした地が、現在の奈良県明日香村。時代名は「飛鳥」地名は「明日香」です。

思えば、「飛ぶ鳥」と書いて「あすか」と読むって。何で?って感じ。「Why Japanese pepole!?」やわ。まさに。

明日香村には、今も当時の史跡が多数残っています。今回はその史跡たちをご紹介。

 

甘樫丘(あまかしのおか

蘇我蝦夷・入鹿親子が中腹と麓に邸宅を構えていたと言われる場所です。

 

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公園内にある148mの小高い丘を上ることができます。

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途中、クイズなんかもあったりして。

ヒントとして「ブナ科」と言われても、樹木に疎い私にはちっともヒントにならん。。。

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クヌギはブナ科。クヌギはブナ科。クヌギはブナ科。(とりあえず覚えるために3回唱えてみた)

 

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頂上にある展望台からは、明日香村や付近の山々が一望できます。

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蘇我氏親子はこの丘に上って、自分の権力を誇っていたんでしょうかね。権力者、でかい墓作りがち。上から民衆見下ろしがち。あ、これは今も同じ気がする。だからあちこちにタワマン建つのよ。うちの周りもタワマンいっぱい。あー見下ろされてるわー

 

飛鳥寺

百済から伝わった仏教。その伝来の年には538年と552年二つの説があります。有力なのは538年の方だそう。覚え方は、ご(5)さん(3)ぱ(8)い。552年やといい語呂が思い浮かばないからこっちでよかった。

蘇我馬子によって創建された日本最古の本格的寺院が飛鳥寺です。

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飛鳥文化は、日本初の仏教文化。ここから文化といえばお寺とか仏像がわんさか出てきて、「あー覚えられん!!!」ってなりますよね。でも、実際行って自分の目で見れば記憶に残りやすいです。ただ、私も自分で訪れるようになったの社会人になってからなんで、試験とかもう関係なくなっちゃいましたけど。

 

ここにあるのが、日本最古の仏像 飛鳥大仏

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大仏と名はついてますが、像高275.2cmなので奈良や鎌倉なんかの大仏と比較したらお小さいです。 でも、その歴史はどの仏像よりも古く、完成は609年と言われています。2021年現在、1412歳です。数度の火災で破損した箇所もありますが、顔や指の一部は当時のままだそう。数々の争いや、天災が繰り返されてきた日本の歴史をずーっと見守ってきた仏像さんです。

 

入鹿(いるか)の首塚

蘇我入鹿首塚は、飛鳥寺の裏門を出て道を挟んだ先にあります。

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蘇我馬子は、聖徳太子と共に推古天皇のもと政治を行っていましたが、その後孫の入鹿は聖徳太子の息子である山背大兄王を滅ぼし、権力を拡大します。ちなみに、蘇我氏の系列の順は稲目→馬子→蝦夷→入鹿です。全員キラキラネームか。馬子って。もうそれ馬ですから。

権力を握ると反発が起こるのはセオリーで。案の定、蘇我蝦夷&入鹿親子は中臣鎌足中大兄皇子による政変でたおされます。これが645年に起こった乙巳(いつし)の変

以前はこの事件を大化の改新って言ってたと思うんですが(私もそう習った)現在は、大化の改新というのはこの政変ののちの諸改革を指し、政変自体は乙巳の変と呼ぶそうです。

暗殺された入鹿の首は数百メートルも飛び、この首塚のある場所辺りに落ちたという言い伝えがあります。歴史に名を刻む人の首、時に飛びがち。

 

伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきのみやあと)

7世紀、この地方に歴代の宮が造営されたましたが、遺跡はどれも確認されていません。その中で、皇極天皇の飛鳥板蓋宮はこの辺りに造営されたという伝承があり発掘調査が続けられてきました。

 

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 さきほど書いた乙巳の変が起きたのが板蓋宮なので、ここがそうなのであれば、ここは歴史に名を残す大きな出来事がおきた現場ということです。想像力を働かせて、こののどかな風景から政変を思い浮かべてみましょう。急に血なまぐさくなることこの上なしです。

 

橘寺

橘寺は聖徳太子が誕生としたと伝わるお寺。

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聖徳太子というのは、生前には用いられておらず、今は厩戸(うまやと)王という風に呼ぶみたいですが。当時は橘の宮という欽明天皇の別宮で、その場所に聖徳太子が建立したのがこの橘寺。

 

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聖徳太子自ら作った池もあります。

 

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二面石なんていうおもしろ石像もあります。明日香はこれ以外にもおもしろい石造物が色々あるので、これらも合わせて巡るのがおすすめです。

 

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おすすめはこの亀石。顔、かわゆし。(亀石があるのは橘寺内ではありません。)

 

天武・持統天皇

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乙巳の変を起こした中大兄皇子は、のちに即位して天智天皇となります。その天智天皇の跡継ぎ争いが672年に起こった壬申の乱天智天皇の弟(大海人皇子)と息子(大友皇子)の争いです。これに勝利したのが、弟の大海人皇子。即位して天武天皇となります。そしてその奥さんが持統天皇。この二人が合葬されているのがこちらの御陵です。ちなみに、持統天皇天智天皇の娘。すなわち天武天皇の姪っ子です。かなり年の差夫婦でしたが、天武天皇の施策を持統天皇は受け継いでおり、夫婦仲は良かったんじゃないか、なんて言われています。合葬されてることもその証の一つのように感じます。ま、夫婦の本当の姿なんて当人しか分からんでしょうけどね。って独身の私が偉そうに言えたもんじゃないですが。

 

高松塚古墳

7世紀から8世紀にかけて造られた古墳で、日本で初めて石室内に描かれた壁画が発見されたました。

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女性4人が描かれた壁画。日本史の教科書で見たことあるんではないでしょうか。

古墳内は非公開により本物を見ることはできませんが、隣にある高松塚壁画館で再現された石室部が見られます。

 

他にも、有名な石舞台古墳がありますが、私このとき行ってなくて(昔行ったことあるけど写真ない。。。)今回は写真なしです。むしろこの石舞台が一番有名じゃない?って感じなんですけど。もはや馬そのものやん、でお馴染みの蘇我馬子の墓とも言われている横穴式石室です。

 

明日香の史跡群は1日あれば十分巡れます。道の途中や田畑の間にある史跡も多いんで、車よりも小回りがきくレンタルサイクルがおすすめ。私も自転車でぐるぐるまわりました。(そもそもペーパードライバーで車の運転ができひんねんけど)1400年前、権力者の思惑が渦巻いていたとは思えないほど、今はのどかな明日香の地。奈良に訪れた際は、市内からちょっと足を延ばして訪れてみてはいかがでしょうか。

 

最新情報はHPでご確認ください

観光|奈良県観光[公式サイト] あをによし なら旅ネット

【古墳時代】大仙陵古墳(大阪府)

歴史巡りの旅。

教科書で一度は目にしたことがある、その時代を代表する遺跡・歴史建造物を紹介しています。

※この記事は私が過去に旅行ガイドブックサイト『トリップノート』さんに投稿した大仙陵古墳の紹介記事

世界三大墳墓の一つ【大阪】仁徳天皇陵古墳の楽しみ方あれこれ教えます

をベースにしています。情報は訪問時のもののため、現在とは異なる場合もあります。(施設の内容や開館状況など)ご了承ください。

時代:古墳時代

大仙陵古墳大阪府堺市

 (訪問日:2018月3月17日)

 

弥生時代後期より、大規模な墳丘墓が登場します。この古墳が作成された3世紀後半~7世紀後半の文化を古墳文化と呼びます。

古墳時代前期の特色としては、西日本を中心に前方後円墳が多くみられます。

大規模な古墳が大和地方に集中していることから、大規模な政治的支配者ヤマト政権が成立したこと。また、その墳丘が4世紀中ごろには東北地方まで広がっていることから、支配が拡大していったことを物語っています。

 

そんな古墳の中でも、有名なのが古墳時代中期(5世紀中ごろ~後半)に作られたとされる大規模な前方後円墳

大仙陵古墳

ではないでしょうか。私が行ったのは2018年3月。その後2019年7月に百舌鳥・古市古墳群 -古代日本の墳墓群-(もず・ふるいちこふんぐん -こだいにほんのふんぼぐん-)として、世界遺産に登録されました。ちなみに、この大仙陵古墳だけでなく、大阪府堺市羽曳野市藤井寺市にある45件49基の古墳群が構成遺産として登録されています。多いな。

 

大仙陵古墳は、仁徳天皇陵古墳』とも言いますが、実際の被葬者は判明していないため、学術的には大仙陵古墳と呼ばれているそうです。

なお、こちらはエジプトのピラミッド、中国の秦の始皇帝と並んで世界三大墳墓と称されています。みんな「三大○○」って好きよね。

 

前方後円墳といえば、

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この形をイメージするかと思いますが、残念ながらこの古墳、ちゃんとした鍵穴の形に見れる場所ありません。これ、完全に空撮じゃないと無理です。

以前国内線で、堺上空ですごくきれいに古墳いっぱい見れたことあります。どのようなルートが堺市上空飛ぶのかよく分からないので、古墳ファンの人は頑張って探してみてください。(投げやり)

 

完全体は見れませんが、なんとなーくの雰囲気を見ることは可能です。

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その場所がこちら。堺市役所の21階にある地上80mの展望ロビー。無料です。

堺市役所が想像以上にめっちゃ高層ビルでびっくらこきました。(もしや、古墳展望台のため・・・?)

 

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ヘリポートの向こう側、コンクリートの建物に囲まれてこんもりしてる緑空間分かりますでしょうか。あれが大仙陵古墳です。これが限界。はっきり言って、ただの緑こんもり。古墳だよって言われないと、単なる小山にしか見えない。

奈良にも古墳はありますが、周りがもっと自然系というか、こんなに現代の建物が建ってる訳ではないので、これはこれで近代と古代の融合風景として面白いものかもしれまえん。

 

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仁徳天皇陵古墳の北側にある田出井山古墳(反正天皇陵古墳)は、市役所からの距離が近いこともあり、割と形が分かりやすいです。

 

上から眺めたあとは、古墳の近くを歩いてみました。

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大仙陵古墳の総面積は46万㎡、長さは486mあります。周囲約2.8キロ。ぐるっと周ればいいウォーキングになります。

この古墳を造成するのに、延べ680万人もの労働力が必要となり、1日約2,000人が働いたとしても約16年の月日がかかったと考えられています。

ピラミッド然り、古代の権力者の権力誇示=墓の大きさっていう価値基準。国も文化も違うけど、その辺の発想は同じなんやなーと思います。

 

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正直周囲を歩いても、やはり緑こんもりでただの小山感は否めません。ただ築造当時は墳丘斜面に石が敷き詰められ、周囲には多くの埴輪が並べられていました。当時は今よりも海岸線が近かったので、大陸からやってきた人たちがこの地に近づくと、巨大な墳丘の石が光輝くように見え、国の力を知らしめる役目も担っていたと言われています。

 

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古墳内部に入ることはできませんが、鍵穴の下側中央に位置する場所には拝所が設けられています。

 

史跡に来たら合わせて博物館を訪問する。これ私の基本。

そんな訳で、拝所から5分程度の場所にある堺市博物館へ。

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古代から近代までの堺の歴史や美術、文化に関する展示がされています。

現物の古墳は森森してるのみなので、こちらの博物館で色々見るのが分かりやすくていいかと。

 

で、私がここで当時体験したのが

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百舌鳥古墳群を上空から360度楽しむことができるVR映像!人生初のVR体験が古墳でした。しっぶ。しかも体験スペースにいたの私だけで、マンツーマンでガイドさんが色々説明してくれました。

ドローンからの上空映像とか、造成当時のイメージ映像とか見れて結構面白かったんですが、HPを確認したところこちらの企画現在は終了してしまっているそうです。(じゃあ、紹介すんなよって?)

 

百舌鳥古墳群シアターという無料スペースで、古墳の映像を見ることはできるみたいです。ただ2021年4月28日現在、大阪は緊急事態宣言発令中のため、博物館自体が休館中。今年の3月13日に、古代常設展示エリアを中心にリニューアルオープンしたばかりのようです。同じ大阪とはいえ、改めて堺市って行くことないんよね。。。

まぁ、いつか行く機会があれば、また。うん。また。うん。(行く気ないな)

 

お昼ご飯はこちらでいただきました。

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古墳近くにあるcafe IROHAさん。

古墳近くのお店ならではのメニューがこちら!

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古墳印の盆の、古墳型のプレートに乗せられた、古墳焼き印入りバンズの「ごりょうバーガー」です。

こちらのカフェには古墳グッズも売ってました。

 

前方後円墳を肉眼で見ることはできませんが、古墳を上から眺めて(雰囲気)、周り歩いて、博物館で学んで、締めでバーガーカフェで食べる。

正直、近くに来て見て「おぉぉぉ」みたいな分かりやすさはないですが、(ピラミッドみたいに高さがあれば分かりやすいけど、なんせ平面に大きい遺跡なので)色んな方法で古墳を楽しめるかと思います。

最近は「御朱印」「御城印」だけでなく古墳で集める「御陵印」というものあるそうなので、集めつつ古墳巡りするのもいいかもですね。(でも古墳巡りってすなわちお墓巡りよね・・・)

 

最新情報はHPでご確認ください

www.sakai-tcb.or.jp

 

www.city.sakai.lg.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【弥生時代】吉野ケ里遺跡(佐賀県)

 

歴史巡りの旅。

教科書で一度は目にしたことがある、その時代を代表する遺跡・歴史建造物を紹介しています。

※この記事は私が過去に書いていた

史跡めぐり【プラスあるふぁ】ぷらっ旅

というブログ記事に加筆修正を加えたものです。情報は訪問時のもののため、現在とは異なる場合もあります。(施設の内容や開館状況など)ご了承ください。

 

時代:弥生時代

遺跡名:吉野ケ里遺跡佐賀県神埼郡

 (訪問日:2019月3月23日)

 

縄文時代晩期から九州北部で水田耕作が始まり、弥生時代にはその稲作が西日本から東日本に広がります。それまでの狩猟・採集から食料生産時代に移り変わったのがこの時代。

そして、弥生時代に使用されていたのが、縄文土器よりも高温で焼かれ、薄手・赤褐色の弥生土器。この名前は東京本郷弥生町で発見されたことからその名前がついたそうです。見た目、関係なし。3月も関係なし。会計ソフトも関係なし。(前職で使用してたんで、弥生販売&弥生会計使えるよ。)

 

弥生時代中期、小国の分立が起こります。

食料生産を行うようになると、余剰生産があるところ、ないところが出て来て、そこから争いが生まれます。そして、武器や防御施設の必要性が高まりました。

そこで生まれたのが、環濠集落と呼ばれる周囲に堀を巡らせた集落。

その代表とされるのが、佐賀県にある「吉野ケ里遺跡」です。

 

佐賀駅からその名も「吉野ケ里」駅へ。

乗車時間は11分と短いですが、本数が少ないので事前要チェックです。

 

 吉野ケ里遺跡は私がスタンプをせっせと収集している100名城に登録されてます。

(コロナの影響でこの1年で1か所しか行けず、スタンプ収拾が全く進みません・・・)

え?城?って感じですが、『城』は文字通り土より成る

地面を掘って土を盛って作った区画というのが最初の城として考えられるそうです。

 

「クニ」と呼ばれる集落を外敵から守るために、周りに濠や柵をつくる防御施設要素があるためこの吉野ケ里遺跡はいわばお城の「はしり」です。

  

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 こんな感じで、弥生人のお二人がこまめに道案内をしてくれます。

 

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 のどかー

・・・この田んぼ、弥生時代からあるんかな。

 

駅から15分ほどで吉野ケ里歴史公園に到着!

 

こちらは正門となる東口。

 

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 2001年に開園した歴史公園。

ちなみに、遺跡発掘が終わったところから公園として整備されていっていて、現在は開園当初よりも拡張されてるそうです。

 

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 園内すごい広い。

遺跡再現エリアの他に、古代の森エリアとか、遊具があるプレイエリアとか。

この遊具エリアものぞいてみたんですが、子供たちが大はしゃぎ。

めっちゃおもろそうな遊具ありました。家族連れでピクニックがてら来てる方も多数。

 

入園料はいりますけどね。大人460円。

 

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 お花をめでながら入園受付へ。

有料エリアの手前には、お土産屋さんとかお食事処とかあります。

スタッフの皆さん、先ほど道案内をしてくれたキャラクターのような衣装でお出迎え。

ちょっとテーマパーク感もあります。

 

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 「ようこそ」

 弥生人、ファンキーなヘアカラーしてんな。

  まずは遺跡再現エリアへGO!

 

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 この杭は「逆茂木」と呼ばれいわばバリケード

 ・・・隙間めっちゃ通れるやーん。

 

 遺跡再現エリアも、その中でさらにいくつかのエリアに分かれています。

 

まずは南内郭

 

吉野ケ里の2つの中心区域のうち、南側にあるエリア。

物見やぐらなどもあり、吉野ケ里の指導者の生活エリアだったと考えられている場所です。

 

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見張り台としての役割を持った櫓門

 

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物見やぐら

 いくつかあって、実際上れるものもありました。

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 一つ一つ、このように説明書きがされていて、

 

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 中も入れるようになってます。

 

沢山数があって、全部きっちり見て回ってたら時間足りないので要所要所お邪魔。

 

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 こちらは王の家

さっきのと外観一緒ですけど。王やのに。

 

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 中入ったら人がいってびっくり。

あ、すいません。お邪魔しまーす。顔色悪いけど大丈夫ですかー?

 

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 王の力を示す品々だそうです。そんなことより、枕が木って・・・

そりゃ安眠できなくて顔色も悪くなるわ。

 

続いて、集落内で最も重要で神聖な場所とされた北内郭

 

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で ん。

 

巨大な祭殿が復元されています。

 上って中を見てみましょう。

 

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 また人がいっぱいいてびっくり。

 

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 田植えや祭りの日など、クニの重要事項を決める話し合いの場面。(だったと思う)

 

そして、さらにこの上では

 

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 巫女が祖霊からお告げを受ける儀式の真っ最中。

 

こういう宗教儀式的なものを見ると、なぜかドラマ「トリック」を思い出してしまう。

そして頭に流れる鬼束ちひろの『月光』

 

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 竪穴住居

 

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 季節ごとのまつりの儀式が行われたと考えられる東祭殿

夏至の日の出と、冬至の日の入りを結ぶ線上にあるそうです。

  

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 立ち話する弥生人。(施設のスタッフの方。)

  

環濠集落ゾーンをとりあえず北へ北へ進んでいきます。

 

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主祭殿のあった北内廓からさらに北上していくと、甕棺墓列の再現。

 

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  歴代の王の祖霊へお供えを捧げ、お祈りをするための祀堂(しどう)を超えると、

 

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 北墳丘墓が現れます。

ここ、この歴史公園の一番の見どころだと思います。個人的に。

 

内部は展示室になっていて入館可。

入ったとたん、ちょっとむわっと高い湿度を感じます。

その理由は・・・

 

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 これらの遺構保存を保つため、専用の空調が整備されているから。

 

この北墳丘墓は、2200~2100年前に埋葬された歴代の王またはそれに近い身分の高い人物のお墓と考えられています。

この場所から14基の甕棺が出土したのですが、それらが発見された状態で見学できるようになっています。

この遺構・甕棺、本物です。

実際に、この中の6基から歯と骨片が少量出土したそうです。

 ちなみに、甕棺というのはこの時代、九州北部に見られる特徴的な棺。

 

この展示の甕棺は半分割れてオープン状態ですが、実際は最初の甕棺墓列に出てきたような形。この中にご遺体を入れて、土に埋めて埋葬していました。

 

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 副葬品として、銅剣や管玉など高い身分を表すものも合わせて出土しています。

 

本来お墓というものは、テンション上がるとこではなく、むしろそんなの不謹慎というか。でも、さすがに2000年以上前のものだと思うと「うお!」ってなります。

弥生時代のお墓見れるなんて貴重ですもん。

 

遺構の周囲は、甕棺墓の埋葬方法や墳丘墓の作り方を説明したパネルが展示されています。ここに来れば、あなたも甕棺墓に詳しくなれること間違いなし。

 

じっくり甕棺墓見たあと、ここからさらに北上。

古代の森ゾーンへと入っていきます。

 

この先、さらに北へ向かう人はほぼいないようで、一気に人の気配なくなりました。

そんな中現れるまたまた甕棺墓。

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 遺跡内から約3000基の甕棺墓が発見されているのですが、そのうち1000基がこの古代の森エリアから発見されました。

先ほどの北墳丘墓と違い、ここは一般の人のお墓と考えられています。

全長300mに渡り、約500基の墓列が再現されています。

一生分の甕棺墓見たわ。っていうか、ここ以外で見る機会まぁほぼないけど。

 

とりあえず、古代植物館という建物があるので、それを目指してみようと歩いていく。

 

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人々が暮らしだす前、吉野ヶ里の丘陵地にはシイやカシなどの照葉樹林が連なっていたと考えられていて、その往時の姿の復元を目指しているエリアがこちらの古代の森ゾーン。

先ほどまでが人工的なものの復元エリアなら、こちらは弥生時代の自然環境の復元エリア。

 

そして、案の定どこ歩いてんのかよく分からなくなり、(病的な方向音痴)とりあえず散策路を歩いていたらいつの間にかUターンしてる。

 

・・・行き過ぎた。どなたか方向音痴に効くお薬を開発してください。

  

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 必要以上に北上しすぎてました。

そしてたどり着いた古代植物館。

 

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 植物に関する展示がちょろーっとしてあるだけで・・・

正直、そない見るとこもなく・・・

 ここで体験プログラムが行われてるので、それをやってる方たちが数名いたもののかなり閑散とした建物でした。

この日ここでやってたのは「ミサンガづくり」「化石割り体験」

 

ま、お時間あれば、もしくは植物大好きって方は自然散策がてら足を延ばしてもいいと思いますが、そうでなければ北墳丘墓からUターンしてもいいのかな・・・と。

なお、広い敷地内ゆえ、園内はバス(大型バンみたいな車)が走ってます。

古代植物館前にバス停あるので、それに乗ってくるのもあり。

 

とりあえず私はひたすら歩く。歩くの大好き。どんどんゆこう。

 古代植物館館からまた南下し、環濠集落ゾーンへ戻っていきます。

 

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 ただ広い。ちょろっと見えるコンクリ建物を無視すれば、まるで弥生時代

(こんな景色のとこ、他にも結構あるけどな)

 

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桃の花がきれいに咲いてました。

梅や桜に比べて見る機会少ないんですけど、改めて見たらすごい綺麗!かわいい!

 古代植物館から南下し、またまた環濠集落ゾーンに戻ってきました。

 

倉と市

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 吉野ヶ里の「クニ」の交易の中心地と考えられている場所。

出入りを監視するやぐらや、品々を保管する倉庫が復元されています。

 

やぐらの一つに上って写真を撮ってみた。(上のやつもそう)

 

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 最初に行った南内廓の裏側。

 こうやって見ると、集落の周りが杭で囲われてるのがよくわかります。

 

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 「クニ」の各地から税として納められた雑穀を保管する倉。

 

そしてここから西側へ行くと古代の原ゾーン

 

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 弥生の大野と名がつけられた広場。

グラウンドゴルフできます。あと、右奥の方では、何か大玉転がしぐらいの玉で子供たちがワイワイ遊んでました。

 

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 遊びの原エリアには遊具があります。子供たち大はしゃぎ。

さっきまであんなに人気がなかったのに。

 

ぴょんぴょん飛び跳ねれるトランポリンみたいなやつとか、ローラー滑り台とかあって、正直私も遊びたい!ってなるぐらい楽しそうなエリアでした。

歴史公園というよりは、完全ここはピクニックエリア。

家族連れにおすすめ。おばちゃん一人で来るとこではなかったわ・・・

  

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 という訳で、菜の花見ながら最後の集落エリア。

 

南のムラ

 

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 中国には「北が上位で南が下位」という考えがあったそうで、その思想に影響を受けて作られた吉野ケ里の最も南にあたるここは、「下戸(げこ)」と呼ばれる一般の人たちが暮らしていたと考えられています。

 

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 北の一家のおうち。

 正直、南内廓の「王の家」と大差ない気が・・・

 

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 これ、さっきの王の家。

 ・・・屋根のデザイン違いぐらい?

 

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 家ん中はシンプル。

 究極のミニマリスト生活。こんまりさんいらず。

 

最盛期、ムラには200人ぐらいが暮らし、先ほどの「倉と市」に家族分の取り分以外の米を租税として納めていました。

その他、支配者層の人々のお世話などの労働も行っていたそうです。

  

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 何かが本当に育ってる。

 

このあと、弥生くらし館というところで、南のムラの説明ビデオを見たり

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 吉野ヶ里ジオラマ見たりして、吉野ケ里遺跡散策終了!

結果、2時間半もうろちょろしてました。

 

るるぶまっぷるだったかな?)の九州版には佐賀の情報はほんとちょろっとで、呼子イカぐらいしか載ってなかったけど、

弥生時代の貴重な遺跡をベースにした歴史公園なんだし、吉野ケ里遺跡、もっとアピールしていいと思うぞー

 

 

最新情報はHPでご確認ください。

吉野ヶ里歴史公園

【縄文時代】三内丸山遺跡(青森県)

歴史巡りの旅。

教科書で一度は目にしたことがある、その時代を代表する遺跡・歴史建造物を紹介しています。

※この記事は私が過去に書いていた

史跡めぐり【プラスあるふぁ】ぷらっ旅

というブログ記事に加筆修正を加えたものです。情報は訪問時のもののため、現在とは異なる場合もあります。(施設の内容や開館状況など)ご了承ください。

 

時代:縄文時代

遺跡名:三内丸山遺跡青森県青森市

 (訪問日:2015月5月4日)

 

今から約1万年前。氷河期が終わり、日本列島が形成されました。

温暖化の終了と共に、大型動物は死滅し、獲物は小型化していきます。

それに伴い、弓矢が発明されるなど、新しい道具も出てきました。

そしてこの時代を特徴づける道具と言えば縄文土器

縄(より糸)で文様がつけられ、低温で焼かれたため厚手で茶褐色という特徴を持つ土器です。

人々は、竪穴住居で定住的な生活を始めます。それらの居住跡として有名なのが青森県青森市にある三内丸山遺跡縄文時代の大規模集落跡が残る史跡です。



青森駅からバスで30分ほど。


立派な建物と

 

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適度なクオリティ(失礼)のゆるキャラが出迎えてくれました。
(つま先、だいぶ擦り減ってる・・・)

訪問時(2015年)無料だったこの施設。

スタッフさんの人件費とか、施設維持費とかどうしてんの?と気になってました。

現在、ホームページを確認したところ観覧料410円となっておりました。

ボロボロのつま先、修繕されてるといいな。


入口にある現代の鉄筋建物を抜けると、
そこは一気に縄文時代

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竪穴住居が復元されています。縄文時代中期の住居復元。
約4500年前だそうです。

なんかもう、昔過ぎて、想像をはるかに超えます。

この長い長い時間軸で物事考えると、もう私たちと坂本龍馬は同世代と言えるレベルですよね。
(そうかな)

 

ちなみに、エジプトのピラミッドって大体同時期ぐらいの建物やと思います。

この時代に、あの巨大建造物を作った文明があったってことに改めて驚き。

コロナが開けたら行きたい国ナンバー1です。

住居の中には自由に入れるようになっています。


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土器だ。縄文土器だ。


掘立柱建物の復元。

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大人のお墓(土坑墓 どこうぼ)

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大人は、地面に掘られたこちらのお墓に埋葬されました。
このようなお墓が500基見つかっているそうです。

一方、お子さんは土器に入れられ、埋葬。

 

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三内丸山遺跡のシンボル(と私は思っている)がこちら。

 

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大型掘立建物跡に復元された、大型掘立建物

跡地にあった穴は、直径・深さ2m。
発掘調査の結果、穴の底に残っていた土圧の分析結果などから
全体の大きさを推定し、建てられました。

4500年前の圧が残ってるって、すごくない?

4500年分の風雨にも耐えられるほどの圧やったんやろか。

3階建ての建物で、屋根があったかどうか様々な説があるので、屋根は復元してないんだそうです。

何に使ってたんでしょうね。物見小屋かな。

展望台的な?天体眺めたり?愛を語らったり?

なお、こちらの大型掘立建物は、令和3年6月下旬(予定)まで改修工事のため足場に囲われ見れないんだそうです。

 

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こういう野に咲く花に、縄文遺跡がよく合う。


と思ってたら、何か現代的なものが浮いてる。

 

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・・・あのクレーンに乗って、上から遺跡が見渡せるようです。
高所恐怖症なので乗りませんでした。

なんとなく「やっぱりイナバ。100人乗っても大丈夫」のCMを思い出しました。
いまだに物置に上る機会には、一度も巡り合ったことがありません。

 

南盛土(みなみもりど)

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大量の土器や石器、ヒスイが土と一緒に捨てられて、1000年の年月をかけてこのようになりました。

 

遺跡内をぐるっと見学して、ミュージアムがある建物内に戻ろうとしたら
ちょうどガイドさんが説明してるところに遭遇。

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こちらの道は、実際縄文時代の道跡に作られたとか。

縄文人も歩いた道を私も踏みしめ、次は建物内にあるさんまるミュージアムへ。

 

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縄文土器。土器。土器に・・・ドキドキ。

 

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土偶。ぺったんこ。

 

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黒曜石の石槍。縄文時代と言えば、黒曜石。
(日本史のこの時代以外で、黒曜石という単語に出会ったことがない)

旧石器時代に使用していたのは打製石器でしたが、縄文時代になり磨製石器が出現します。世界史的にはこの時代を新石器時代と言います。

今から1万年後、もし人類がまだ地球で文明社会を続けていたら私たちの時代を何て呼ぶんでしょうね。

いや、もはやホモサピエンスは終わりを迎え、次の人類の時代が来て、いや、もはや人類じゃない生物が「かつてホモサピエンスという生き物が、地球という星で文明を築いていた」なんてことを研究しながら地球外の星で生活を・・・何てことを考えるの大好きです。(都市伝説の部類も大好き。)

 

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マダイの骨だって、これだけ年数経てばこんな風にガラスケースに入れられて、大事に展示されるんです。

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働く縄文人
結構ワイルド。EXILE系。

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いや、微笑んでないで、働けよ。

ってか、さっきの奴と同じだな、お前。

 

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土器つくり中の縄文人

私、ここでふと気づいたことがあります。

あ、すごく、土器、好きかも・・・・

 

修復されて、所々つぎはぎの土器がずらり。

 

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その歴史的価値はもちろんのこと、
ジグソーパズル好きの私に取って、このバラバラのものをつなげて
一つの形にしているパズル感、たまらんです。

萌えポイントがおかしいかもしれませんが、
すっかり土器にドキドキ(2回目)し、しばし見入っておりました。

 

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土器には焦げが残っていたり

 

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人物画が残っていたり。
(人物画・・・かなぁ。4300年前の日本人の美的センス、ひどいな・・人のこと言えんけど。)

 

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おままごと用?ちょっとした惣菜用?
ミニチュア土器。

 

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装飾品の数々。
いつの時代、どの世界でも人はおしゃれを気にします。
もはや、人間の本能といってもいいのでは。

そんな人間の本能を在宅ワークになってからすっかり失いつつあります。毎日ジャージかスパッツ。適当なTシャツ。服は単に防寒のために身にまとうもの。

 

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家族団らんのにお邪魔します。

ちなみに、縄文時代の平均寿命は15歳程度 という風にも言われています。
15歳で亡くなる人が多いという訳ではなく、乳児期の死亡率が高くてこのような数値になっています。

今調べたら、65歳以上で亡くなった方も3割ぐらいはいるそうで。
意外と長生き。縄文人

という訳で、左端のおばあちゃんみたいな人がいても不思議ではないんです。
(おばあちゃんか、おじいちゃんか、定かではないですが)

 

沢山、縄文時代の発掘物を見おわったミュージアムの出口、最後の縄文人が見送ってくれました。

 

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ムラの外には
新しい世界が広がっている。
未来に向かって
歩きだそう。


・・・なんか、熱いぜ、縄文人

 

最新情報はHPをご確認ください。

特別史跡「三内丸山遺跡」