先週末、埼玉に行く予定がありそのついでに坂東札所巡りをしてきました。
ちなみに埼玉に行った主目的は、さいたまスーパーアリーナで行われた福山雅治さんのライブです。
またかよ。はい。またです。
お金と時間の都合がつく限り、何度でも行きます。なぜならファンだから。
(ちなみに、今年4度目のライブ)
ライブは6/18の土曜日。その前日に有給取って、昨年11月に十一番札所と合わせて行こうと思ったら、時間の都合で行けなかった正法寺へ。スーパーアリーナと同じ埼玉県ですが別にご近所な訳ではなく、なんならこの日の夜は東京に住む友人宅に泊らせてもらったので、ついでと言ってもまぁまぁ移動してます。
余談ですが、1年に1回ぐらいしか東京行かないんでいまだに各地域の距離感掴めません。
品川ー池袋間が30分かかって「案外遠いな・・・」って毎回思ってる気がする。
第十番 正法寺(しょうほうじ)
正法寺の歴史
古くから「岩殿観音」という名で親しまれているお寺。
伝承では、718年に沙門逸海(しゃもんいっかい)という僧が、岩殿山の岩窟に千手観音像を安置し、庵を結んだのが始まりとされています。
平安時代には、奥州征伐に向かう途中の坂上田村麻呂が、この地に住み村人を悩ませていた悪竜を討ち取ったという伝説もあります。討伐できたのは、観音菩薩の霊験のお陰だったとか。
また、坂東三十三所は、観音信仰に厚かった源頼朝の影響が大きいですが、正法寺が札所の一つとなったのには、この地を収めていた比企氏の存在が関係しています。
源頼朝の乳母の一人であった比企の尼は、頼朝が伊豆に流罪となったのちも支援を続けていました。その恩もあり、頼朝は比企氏を御家人として重用し、また帰依していた岩殿観音を庇護することとなりました。
政子の守り本尊として、比企の尼の甥である比企能員が復興。その後、北条政子の発願で諸堂が再建されました。
まさに、今大河ドラマに出てくる比企氏ゆかりの場所です。
大泉洋さん(源頼朝)が庇護して、佐藤二朗さん(比企能員)が復興して、小池栄子さん(北条政子)が諸堂再建した・・と。役者さんを思い浮かべながらイメージすると、分かりやすい。
表参道にも、比企氏アピールののぼり旗が沢山。
なお、江戸時代には徳川家康より朱印地を賜っています。江戸時代は観音巡礼も盛んで、門前町も賑わっていたようです。現在はすっかり静かな住宅地ですが。
正法寺へのアクセス
表参道から行くには、バス停『物見山登山口』から徒歩約20分。(バス乗車時間約7分)
裏参道から行くには、バス停『大東文化大学』から徒歩約2分。(バス乗車時間約10分)
境内案内
裏参道から行くと、門もなく境内に入るので、本来は表参道から仁王門を通って境内へ入るのがいいんだと思います。(ただ裏参道の方がバス停から凄く近い)
私は、行きは裏参道から。帰りは表参道を通り、そのまま徒歩で高坂駅まで行きました。(徒歩だと正法寺から高坂駅までは、約40分かかります。)
どうせ表参道歩くんだったら、行きに通った方がいいんじゃない?って思いますが、まぁ、何となくの気分で行きは楽したかったんです。
あと、箱根駅伝好きなので単純に「大東文化大学」を見たかった。
(残念ながら2022年は予選会で10位内に入れず、出場されてませんでしたが。)
学生さんが乗るから、多少バスは混むかな?と思ってましたが、大学行きのバスが別で走っていたので、車内はガラガラでした。
バス停の向かい側に正法寺への入口があります。
真っ暗のトンネルにいざなわれました。何かちょっと怖い・・・
トンネルを抜けるとそこはもう境内です。
境内案内図。
左側の駐車場横にあるトンネルが、先ほど抜けてきたところ。
大銀杏
境内に入って、まず目に飛び込んできたのがこの立派なイチョウの木。
根っこがまるで生き物のようにうごめいて見えます。
推定樹齢は700年を超えているそうです。紅葉の時期はさぞかしきれいでしょう。
HPによるとライトアップもするそうなのですが、銀杏臭も凄そうだ・・・(銀杏の匂いがかなり苦手なので、食べるのも避けてる人。)
観音堂
本尊の千手観音が安置されているお堂。
金色の千手観音像が祀られていますが、こちらは前立本尊。ご本尊は秘仏で12年に一度のみ拝むことができるそうです。
現在の観音堂は、明治10年の火災の後、明治12年に移築されたものです。
石仏
境内を囲む岩壁には、ずらりと石仏が並んでいます。
こちらは、四国八十八か所および、西国三十三所&坂東三十三所&秩父三十四所の百観音の写し本尊であり、参拝すると全てを巡礼したのと同じ功徳を得られるそうです。
四国と西国は結願したので、ここに来たことにより、2周目を回り終えたということですね。4年近くかけて歩いた四国遍路道。ここに来れば数分で結願かい・・・
ま、功徳云々というよりは、あの体験こそが重要だったと思ってるのでいいんですけど。
薬師堂
徳川家康より土地の寄進を受けた際、薬師堂が建てられましたが、江戸時代に焼失。
現在の御堂はその後の再建のものです。
また、薬師如来像と十二神将と合わせて、信州善光寺より分身安置された一光三尊阿弥陀如来が祀られています。
今年は、「薬師如来寅年御開帳」が行われており、加えて7年に一度の善光寺如来開帳に合わせて、阿弥陀如来も御開帳となっておりました。
なんと、この二像が同時に開帳されるのは84年ぶりのことなんだそうです!!
(今HP見て知りました。確かに7と12の最大公約数考えたらそうなのか。ん?最大公約数であってるっけ?あれ?最小公倍数・・・?あかん。数学がポンコツ過ぎる。)
そんな貴重なこととはつゆ知らず、薬師如来像さんと繋がる五色の綱を持って
薬師如来さんと繋がったぜ。これで今年下半期も健康優良児間違いなしだぜ。
と呑気に確信を得ていたのでした。
修行大師像。お遍路するまでは特に意識してなかったから気づいてなかったけど、お大師さんがゆかりの場所って日本全国にホント多い。
鐘撞堂
茅葺の鐘楼は、1702年の建立で東松山市内で最も古い建造物。
銅鐘は銘文によると1322年の鋳造。
1590年、豊臣秀吉が関東攻めの際、この鐘を引きずり回して兵を鼓舞したときについた傷がついているそうです。何か細かい傷が沢山あって、どれのことか分からなかったので、全部そのときの傷なんだと思うことにしました。
鐘撞堂までは高台になってるので、表参道がよく見下ろせます。
本堂
最初、ここが納経所かと思いきや、阿弥陀如来立像が祀られている本堂でした。
百畳の広さがあり、一般の方向けの修行体験などもここで行われているそう。
納経所はこの本堂のお隣にあります。見た目凄い普通のお宅ぽかったです。(多分ご住職とかのご自宅兼用な気がする。小さな札所にありがち。)
仁王門
元々は運慶作の仁王像だったようですが、焼失し、現在の仁王門は1808~1814年に再建されたものです。
現在の仁王像は、平成に入り漆の塗り直しが行われ、その漆保護のためガラス張りとなっています。
よって、反射により少々見にくい。
裏参道から来ると、この階段を降りて仁王門をくぐりますが、表参道から来るとこの階段を上って、観音堂へ行くことになります。
ちなみに、門の前も階段。
この点も、裏参道から来た方が楽かもしれません。
門前通り
行きと同じ『大東文化大学』のバス停からバスに乗るためには、この階段をもう一度上がっていく必要があります。せっかく降りてきたし、このまま進むか、ということで帰りは仁王門前に真っ直ぐ伸びる門前通りを通って帰ります。
かつてはこの参道沿いに60ほどの僧坊や参詣者のための宿泊施設、飲食店が並んでいたそうですが、現在は住宅地となっています。
ただ、各ご家庭の前に以前の屋号が掲げられていました。
当時から代々この地に暮らしているご家庭もやはりあるんでしょうか。
弁天沼(鳴かずの池)
正法寺から徒歩約10分。
こちらの池は、最初の歴史のところで解説した坂上田村麻呂の悪竜退治にまつわる場所。
退治した竜の首をこの地に埋めたところに、この弁天沼ができ、首を埋めたためにカエルが住み着かなくなったことから「鳴かずの池」と呼ばれるようになったんだそうです。
高坂彫刻プロムナード~高田博厚彫刻群~
行きのバスの中から、道を見ていて気になっていたのです。
何だか彫刻作品が沢山ある
高坂駅西口から約1キロにかけて、彫刻家高田博厚さんの作品が32体並んでいます。
てっきり東松山市ご出身の方なのかと思ったら、どうやら元東松山市教育長の田口弘さんという方と親交があったから、という理由のようです。
眼鏡かけてないお顔、初めて見た。
真正面のお顔、初めて見た。
女性の裸体像複数あったんですが、公共の場でなかなか破廉恥なポージング。
いや、芸術作品を破廉恥とか言うのはヤボですね。
坂東札所結願まであと残り18か所。