前回の広島城に続き、今回も広島の100名城訪問回顧録。
広島城と同じく、2018年の広島推し活旅(多分、当時はまだ「推し活」って言葉なかったと思うけど。)で、訪れた福山城です。
今年の6月の推し活旅でも、最後に福山城を見学。(新幹線の時間の都合上、天守閣をサラッと眺めるだけでしたが)
そして、6年前の旅でも同じく最後に訪れたのがこの福山城でした。
同じものがずーっと好きだと、何年経っても行動が変わらない。
ぶれない自分が、我ながら凄いと思います。
なお、福山城は、2022年に天守閣の外壁及び中の博物館のリニューアルが行われています。
古い情報を今さら紹介しても・・・とも思ったのですが、あくまでも回顧録ということで2018年当時の情報を記載します。
訪問日:2018年4月22日
福山城へのアクセス
JR山陽本線・新幹線「福山」駅から徒歩約5分
福山駅の目の前にあります。アクセス超良好のお城。
福山城の歴史
福山城は、徳川家康の母側の親戚にあたる水野勝成によって築城されました。
徳川幕府西国の拠点として、重要な位置づけの城でした。
水野氏の後、松平氏、阿部氏が城主となりました。
明治維新後も、天守など遺構は残っていたのですが、1945年世界大戦の空襲によって焼失。
現在天守を始め多くの建物は、昭和41年の再建。先述の通り、天守は2022年にリニューアルされました。
城内の見どころ
筋鉄(すじがね)御門
京都の伏見城から移築された門で、創建当時のまま残っている貴重な遺構。
大扉は常に開いていた訳ではなく、普段は左側にある潜戸を使用していたそうです。
天守
当時も内部は展示室となっていました。(正直、どんな展示室だったかさっぱり記憶になし・・・)
なお、6年前は最上階の廻縁(まわりえん。一周できる縁側部分)にある高欄(こうらん。廻縁にある手すり)が赤で、これが福山城の印象的な特徴であったんですが
2か月前に行ったリニューアル後の天守は、高縁が黒色になっていました。
天守の最上階から見た景色。
前方にあるのが、福山駅です。
線路がある方の反対側の眺め。(東西南北で説明できなくてすいません・・・)
有形文化財にも登録されている福寿(ふくじゅ)会館。
福山城をささっと見学するだけの時間しかなかったので、上からのみの見学。
礎石。これは上から見た方が分かりやすい。
方角的には分からないのですが、何かケルン大聖堂みたいな建物がありました。
(見たことないし、多分本物はもっとすごいんやろうけど、私の中にあるイメージこんなん)
どうやら結婚式場みたいです。異質感が半端ない。
月見櫓
こちらも伏見城にあったものを移築したと伝えられ、望楼の役割を果たしていました。
天守と同時期に外観復元。
この櫓の高欄も、現在のHPを見ると黒色になっていました。赤い高欄、ワンポイントとして映えるからいいと思うのにな。
実際の高欄は赤ではなく、黒だったということなんですかね。知らんけど。
御湯殿
藩主が使用するためのお風呂場。
筋鉄御門・月見櫓同様、京都の伏見城から移築された建造物で、国宝に指定されていたそうです。
ですが、戦争で焼失し、こちらもまたまた昭和41年の再建。
黄金水
本丸に唯一残る井戸。
現在、しっかりと蓋は閉められているので、貞子が出てくる心配はなさそうです。
もうね、あの映画のせいで未だに井戸=貞子の公式が私の中で出来上がっています。
トラウマです。
鐘櫓
鐘に吊り太鼓を掛け、時を知らせていました。
こちらも再建。
今も自動で、朝6時、正午、午後6時、夜10時に鳴るそうです。
夜10時って、結構遅い時間に鳴り響くのね・・・
何も知らんと近く歩いていて、急に鍾鳴ったらびっくりするわ。
伏見櫓
福山城にあるほとんどの遺構が再建なのですが、こちらは創建当時のまま残っています。
名前の通り、伏見城からの移築。築城の際、徳川2代将軍・徳川秀忠が移築させたそう。
伏見城の遺構としても貴重なもので、重要文化財にもなっています。
このお城、伏見城から移築されたものがとっても多かったのです。
なお、6年前には櫓前に大きな松の木が生えていましたが、2か月前に行った時に撮影した伏見櫓前には松の木はありませんでした。
なので、全体像を遠目からでもはっきり見る事はできたのですが、果たして松の木はどこへ行ったのでしょうか・・・?伐採されちゃったの?
駅から道を挟んですぐの福山城。
福山駅自体、なかなか降りることはないのですが、今度行く機会があれば天守内のリニューアルした博物館にも行ってみたいです。
利用案内(福山城博物館)
- 入館料:大人500円 高校生以下無料
- 開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
- 休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)年末(12月28日~31日)その他臨時休館あり