久しぶりに過去のお城訪問回顧録。
訪問日:2019年5月4日
黒井城へのアクセス
JR福知山線「黒井」駅から登山口まで徒歩約10分
この地は、春日局の出身地ということで、駅前には幼少期のお福(春日局の幼名)像があります。
帰り際に興禅寺というお寺前で見つけた地図なので、現在地が駅からだいぶ離れていますが、駅と城跡までの位置関係はこんな感じ。
駅から登山口まで徒歩10分ほどで行けるとってもアクセス良しの山城です。
スタンプ設置場所は、駅から徒歩10分ぐらいの場所にある春日住民センター。
丹波の赤鬼!見参!!
荻野直正は、養父を暗殺し黒井城を奪い、そこから「悪右衛門」と称されるようになったとか。
・・・尻尾生えてる?
春日住民センターから、登山口を目指します。
恐らく、あの目の前の山だと思われる。
登山口到着。
山城では割とお馴染みの「ご自由にどうぞ」杖もあります。
もちろんなだらかコース選択です。
この時、お遍路最終路で痛めたアキレス腱(原因は滑液包炎)が完治しておらず。
それなのに同じトレッキングシューズ履いてきちゃったから、道中で痛みぶり返すっていう失態を犯しておりました。
ま、痛くなくてもなだらか一択ですけどね。
なだらかコースと言えど、最初は多少登ります。
お天気がいいので、気持ちいいハイキング。
20分ほどで頂上到着!
ナイスビューです。
黒井城の歴史
黒井城は、標高356mの猪ノ口山にあります。
1335年、丹波氷上郡を与えられた赤松貞範が築いたのが始まり。
16世紀前半に荻野氏の城となり、先述の荻野(赤井)直正が城主となったのち大改修が行われました。
直政は、一度は織田信長に服属するも離反し、、明智光秀の丹波平定に最後まで抵抗。
しかし、明智軍によって落城し、その後は光秀の重臣・斎藤利三(春日局の父)、豊臣秀吉の家臣の堀尾吉春らがおさめました。
城内の見どころ
東曲輪跡
石垣がしっかりと残っています。
二の丸跡
この日はGW真っ只中。
山城って休日でもだーれもいない貸し切り状態の場所が多々あるんですが、ここは頂上からの眺めも良好なので、単純に山登りを楽しむハイカーさんの姿が多かったです。
本丸跡
二の丸から上がった先に本丸跡があります。
黒井城は、別名「保月城」とも言います。
結構別名持っているお城多いです。
いいですよね、別名。
「またの名を三代目スケバン刑事・麻宮サキ!」みたいで。(例えが完全に昭和。)
この景色を見ながら私もお昼ご飯のパンをもしゃもしゃ。
しばらくのんびりしたのち、ちょうどさっきまで自分がいたあたりの下にある石垣を見学。
見上げていたら蜂に追われたので、早急に退散。
春日局の生誕地・興禅寺
下山後、山のふもとにある春日局の生誕地・興禅寺へ。
山門は、近年京都府宮津市にある智源寺から移築されたものだそう。
本堂
お福の産湯として使われたと言われている井戸。
黒井城は駅から近いし、山自体も20~30分程度で登れるお手軽ハイキングができる山城。
登って眺め良し!山頂の石垣も良し!で、かなり私好みの山城でした。
続100名城のスタンプ帳 公式ガイドブック