過去のお城訪問回顧録。
6月に、推し活旅行で広島を訪れました。
広島の100名城・続100名城のお城は既に全制覇済みのため、お城には行かず。
観光列車に乗って、船に乗って、鞆の浦観光。
6月の推し活旅では、近くを通るだけでスルーした100名城の広島城を、今回はご紹介したいと思います。
訪問日:2018年4月21日
(ちなみに、この時も福山雅治さんのライブのため、広島に行ってました。)
広島城へのアクセス
・JR山陽本線・新幹線「広島」駅から、広島市内電車で約14分「紙屋町東」「紙屋町西」下車徒歩約15分
・JR山陽本線・新幹線「広島」駅から、徒歩約25分
広島城の歴史
広島城は、1589年に毛利元就の孫である毛利輝元によって、築城が開始されました。
毛利氏は、広島城築城まで郡山城という山城を拠点にしていたのですが、輝元が豊臣秀吉の聚楽亭や、大阪城を見物し、城下町と一体化し政治の拠点となる城の必要性を感じたために、築城されました。
関ヶ原の戦い後、輝元は萩へ。代わって福島正則が城主となりましたが、勝手に石垣修繕を行ったため、改易。(当時、勝手な築城はもちろん、城の修理も逐一報告が必要でした。)
その後、移ってきた浅野氏が明治まで十二代に渡り城主を勤めました。
1945年8月6日に投下された原爆で、城内全ての建物は崩壊。
天守は昭和33年に、二の丸の櫓群は平成6年に再建されています。
城内の見どころ
表御門
二の丸入口にあたる門。戦前までは、江戸時代のものが残されていましたが、原爆により焼失。現在の門は、平成に入ってから再建されたものです。
櫓群
再建された二の丸の多聞櫓(長細いところ)、太鼓櫓(左端のところ)、平櫓(右端にあるけど写ってないところ)
被爆樹木
城内には何本か被爆樹木があります。こちらはユーカリ。
爆心地からは740メートルの距離にあります。二の丸の建物群が炎上する中、生き残った木。
こちらはクロガネモチ。
お堀の中、沢山鯉がいます。
さすがカープの街。(まぁ、実際は広島以外のお城のお堀にも、結構鯉いるけどね。)
広島城は別名「鯉城(りじょう)」とも呼ばれます。一説には、この一帯は昔「己斐浦(こいうら)」と言われ、音が同じことからそう呼ばれるようになったとか。
広島カープはここから来てるんですって。
天守
2018年当時、工事中でした。
中は展示施設となっています。
お土産屋さんで、100名城のスタンプを押していると、韓国人観光客の男性二人組に、日本語で話しかけられました。
それは何ですか?
日本語分かるっぽかったので
これ、100名城スタンプっていって、こうやって日本全国のお城のスタンプ集めてるんです
と他のページをパラパラと見せて、説明してあげました。
すると
お~~~!!
と感嘆したあと、何やら興奮気味に話しだす二人。(何言ってるか分かんなかったのですが、韓国語ということだけは分かった)
そして、一人の人が私に向かって一言
素晴らしい趣味ですね!!!
と絶賛してくださいました。
そんなに褒めてくれた人、友人含めて初めてです。ありがとうございます。
日本の100名城文化を広めるという役割を果たし、最上階の展望フロアへ。
城内はほぼ木に覆われていて、正直上から見てもあんまりよく分かりません。
右側に見えるのが、広島で毎回ライブが行われる広島グリーンアリーナです。
先々月含め、過去に3回行ってます。広島で一番行った事ある場所、多分グリーンアリーナです。
旧天守の礎石
今の天守が再建されるとき、天守台からここに移されたそうです。
広島護国神社
城内にある神社。
鯉のぼり、だらーん。
風吹いて泳いてる時はいいけれど、このだらりんとした魚の布たちは、海外の方に何やと思われているんでしょうね。
そして、気になる「広島泣き相撲」の文字。
戊辰戦争で戦死した広島藩士を祀るために創建され、現在は、その後の戦争犠牲者の方たち(兵士の他、原爆の犠牲となった学徒動員の方たち)も祀られています。
最後にこちらを参拝して、お城観光終了。
利用案内(天守閣)
- 入館料:大人370円 シニア・高校生180円 中学生以下無料
- 開館時間:3月~11月 9:00~18:00 12月~2月 9:00~17:00(入館はそれぞれ閉館時間30分前まで。)
- 休館日:年末(12月29日~31日)その他臨時休館あり
※二の丸エリアは入城料無料