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【続100名城】No.131 村上城(新潟)|2024年「推し活」旅 第三弾in新潟⑤

推し=福山雅治さんのライブ旅in新潟。

鮭の街・村上で、続100名城の村上城を攻めます。

村上城へのアクセス

JR羽越本線「村上」駅から徒歩約25分

村上城は山城です。登山口までが約25分。そこから二の丸・本丸などがある場所までは、約10分かかります。

続100名城のスタンプは、山登りをしなくても押印可。

おしゃぎり会館(村上市郷土資料館)にスタンプはあります。

入口の外に置いてあるので、入館せずとも押印できます。

それともう1か所。

東北電力ネットワーク(株)村上電力センターの入口にもあります。

こちらの方が登山口までの道中にあるので、アクセスは良いかも。

休日でも、手前の自動ドア開きました。わざわざ、スタンプ押す城好きのために電気オンにしてくれているんですね。さすが電力ネットワーク。

村上城の歴史

村上城は、標高135メートルの臥牛(がぎゅう)山に築城された平山城です。

正確な築城年代は不明ですが、資料の中で16世紀には村上城の名が登場するため、その頃にこの地を支配していた本庄氏によって築城されたと考えられています。

戦国時代、本庄繁長(しげなが)は上杉謙信との戦いで、約1年間の籠城戦を展開するも敗北。

その後、上杉氏に従った本庄氏でしたが、豊臣秀吉によって改易され、村上城は上杉氏重臣の直江兼続の弟・大国実頼(おおくにさねより)に支配されました。

1598年上杉氏が会津に国替えとなり、村上頼勝が入封。

その後、堀氏、本多氏を経て、松平直矩(なおのり)の時代に、村上藩の領地は最大となります。現在残る縄張りや櫓台などは、この時代に改変された時のものと考えられています。

1720年、内藤氏が入封し、その後明治を迎えるまでの約150年間、城主を務めました。

城内の見どころ

登城口から七曲り道を上る

七曲り道は、近世村上城の正面の登城道。

「七曲り」というからには、七回曲がり道があるのか数えてみよう!と思いついたのが途中からだったので、その真偽は不明です。ただ、スタンプ押印するときにもらったパンフレットの地図には、8個の曲がり角が描かれていました。

あれれー?おかしいぞー(コナン君風)

四ツ門跡

二の丸と三の丸の間に位置する門跡。

9月初旬、新潟の気温はまだ高く30度近くあったので、約10分の山登りでも到着時にはすっかり汗だくです。

あと、この日は日曜日ということもあり、割と人がいらっしゃいました。

と言っても、10組にも満たないんですけど。でも、山城って平日に行くと誰もいないことがザラなんで、人がいるだけで「この城、大人気!!」って感じます。

四ツ門跡の正面から、本来は中世散策コースというのがあるようなのですが、2024年9月時点で、倒木や路肩の陥没により通行禁止となっていました。

現在地から、上にヒョロヒョロと伸びている赤いルートが中世散策コース。

そこには行けないので、今回は現在地から左右に広がるオレンジ色のエリア、本丸・二の丸・三の丸の近世を起源とする遺構を見学します。

まずは、右手側の二の丸と本丸エリアへ。

御鍾門跡

名前の由来となる鍾櫓は、1718年の落雷によって焼失。

二の丸の防御の要となる門なので、門の内側は直進できない桝形となっています。

出櫓台跡

本丸から突出する防御拠点。

当時は、櫓台に二層の出櫓と、接続する多聞櫓が築かれていたことが古地図から分かっているそうです。

近代以降、何度か崩落と修復を繰り返し、近年では平成15年から工事がなされ、平成27年に竣工しました。

村上城のシンボル的存在で、続100名城のスタンプもこの石垣のデザインです。

城の遺構の中では、一番石垣が好きなんですけど、特に山城の中で見る石垣ってカッコよさマシマシです。

ゲレンデで、男性が3割増しで男前に見えるのと同じです。(例え、古い?)

なお、私は20代の頃、何度かウィンタースポーツにトライするも、センス無さすぎて己が滑るのに必死で、他人を物色する暇なんてなかったので、イケメンマシマシメンズに出会えたことはありません。

こちらの多聞櫓跡下石垣は、村上城で最も高く約8メートルあります。

冠木門跡

本丸の中心部に続く門。

本丸

本丸からは、村上市街と日本海が一望できます。

絶景かな、絶景かな。

標高が上がったこともあり、時折吹く風が心地いいです。

本丸には、天守跡が残っています。

天守は、1667年の落雷で焼失後は再建されませんでした。

この天守跡からは、条件が良ければ佐渡島も臨めるようですが、この日は絶賛薄曇りのため見ることはできませんでした。

本丸から元来た道を戻り、今度は三の丸へ。

三の丸

調練場跡とも呼ばれる三の丸跡は、広く平坦な場所。

文字が、ほぼ暗号。

かつては、靱(ゆき)櫓や玉櫓などの武具に関する櫓が建っていたそうです。

かつての武具倉跡には

非常に立派な木が育っていました。

この木、何の木、気になる木です。まさに。

利用案内

  • 入場自由。年中無休。

www.city.murakami.lg.jp

おまけ

うっかり触ると、おじいさんになってしまうとか。(嘘です。)

続100名城のスタンプ帳 公式ガイドブック