過去のお城訪問回顧録。
前回までの大分旅行繋がりで、今回は100名城の一つ岡城をご紹介します。
訪問日:2017年11月
岡城へのアクセス
JR豊肥本線「豊後竹田」駅から徒歩約30分
豊後竹田駅のホームからは落門の滝という滝が見えました。
駅舎もお城味があり素敵です。
岡城まで少々距離はありますが、城下町を観光しながらのんびり歩けばそれほど長くは感じません。(と、個人的には思う。)
ただ、山城である岡城へ行くには多少坂道を上らねばならず、車で行く方がほとんどのよう。
お城跡自体には割と人がいたんですが、駅前はひっそりしていました。
岡城のある竹田市は、有名作曲家・滝廉太郎のゆかりの地。
12~14歳まで暮らしていた家が、現在は滝廉太郎記念館となっていました。
時間あれば帰りに寄ろうと思ってたんですが、結局時間がなくて行けませんでした。
歴史の道なるものがあったので、こちらを通ってみることに。
こちらが歴史の道。
感じましょう、歴史を。
道中にキリシタン洞窟礼拝堂がありました。
岩盤に掘り込まれた祭壇で、隠れキリシタンたちのための礼拝堂です。
戦国時代末期、岡城主だった志賀親次が熱心なキリシタンだったので、この地域にはキリシタンの方たちが多く住んでいたそうです。
岡城址の案内が見えました。
右側の坂道をこの後ひたすら上ります。
地面のでっかい岡の字が目印です。
山城と行っても普通にアスファルトの坂道を上っていけるので、そこまで大変じゃないです。5分ほどで駐車場に到着。
かわいいニャンコが出迎えてくれました。
全くもって無表情ですが、近づいても逃げたりせず、完全なカメラ目線をくれました。
拝観料300円を払って城内へ。
巻物(パンフレット)くれました。
色々お城行きましたが、巻物パンフは初めてです。こういうちょっとしたこだわり、いいですね。
岡城の歴史
岡城は、1185年に緒方三郎惟栄(これよし)が、兄の頼朝に追われる源義経を匿うために、標高325mの天神山に築城したと伝えられています。
ただ結局義経は九州に逃げることはなく、東北の奥州藤原氏の元へ行き、4代・泰衡によって殺害されます。もしも、この竹田城に逃げていれば、歴史が変わっていたかもしれません。
その後、1331年に志賀氏が城を拡張。
現在の城郭の形になったのは、1594年中川秀成(ひでしげ)が入封してからで、以後中川氏がこの城をおさめました。
しかし、明治になって城の建物は全て解体されてしまい、今は石垣などを残すのみです。
城内の見どころ
岡城跡は広く、公式HPによると本丸ルートで30分、じっくり1周ルートだと90~120分ほどかかります。
大手門跡
お城の正面玄関となる大手門跡。
当時石垣の上には、櫓が渡されていました。
真ん中の大きな石が特徴的な石垣。
西の丸跡
三代藩主・中川久清の隠居後の住まいとして、御殿が造営されました。
御殿の他にも庭園などがあり、城内で最も広い曲輪です。
三の丸跡
岡城のシンボルとも言える、三の丸北側の高石垣。
当時絶賛工事中でした・・・
その石垣を上から眺めてみたの図。
(工事部分を避けて)
柵とか何もないんで、自由にへりまで行けます。
高所恐怖症の私には、かなり気合がいる行動です。
それでも上から眺めたいと頑張るところに私の石垣愛、感じませんか?(知らんがな)
三の丸跡から、向こう側に位置する普請方・家老屋敷跡が見えます。
山の木々の間に見える石垣。要塞感があって、お気に入りの景色です。
九重連山も綺麗に見えました。
本丸跡
本丸は一段高いところに位置しています。
中央部には、本丸御殿が建てられていました。
本丸跡からの景色。紅葉が綺麗です。
本丸跡にある神社。
歴代藩主が代々守り神としてきた神社で、祭神は菅原道真公だそう。
こんなところに学問の神様。
老朽化に伴う修理が行われ、現在の社殿は2016年3月に完成されたもの。
二の丸跡
月見櫓や御風呂屋などが建てられていた場所。
現在、こちらには・・・
滝廉太郎さんがいらっしゃいます。
滝廉太郎(急に呼び捨て)の代表曲の一つ「荒城の月」は、この岡城址をイメージして作られたと言われています。
元々、荒れ果てた城だった岡城址は、この曲の発表により再度注目を浴びたことで、地元の方たちが植栽などの美化運動をはじめ、現在の姿になったそう。
「荒城」が滝さんの力で見事「美城」に蘇ったのです。
真っ白な空と滝廉太郎。(下なめアングルバージョン)
紅葉と滝廉太郎。(横顔バージョン)
(ちょっとこの銅像気に入っちゃったやつ)
本丸まで来たら、折り返して帰って行く方がほとんどなのですが、とりあえず全部歩いてみたくなる性質ゆえ、さらに奥へと進みます。
御廟跡
本丸跡奥に続く御廟跡、下原門跡を見学し、Uターン。(下原門跡が行き止まりになっているので、それより先に城はなし。)
最初に入ってきた大手門から帰る方がほとんどなのですが、三の丸跡から向こう側に見えた方にも行ってみようと思い、またまた人気のない方へ進みます。
↑この見えていた石垣の方面。
家老屋敷跡
多分、三の丸から見えていた石垣は方向的にこの辺かと。
阿蘇山が見えるそう。
え~っと・・・・
薄く奥に見えている二峰のどちらかですか?
それとも、手前のちょい濃い目のやつですか?
山の判別、素人にはむずいです。
近戸門跡
通用口として、家臣や領民の日常的な出入りに使用されていた門。
この門から城下まで「七曲り」と呼ばれるつづら折りの道が続いていました。
私もこの門から退出し、七曲りを通って受付のある駐車場まで戻りました。
ほぼ城内1周し、1時間15分ほどの滞在でした。(公式に1周コースは90~120分と書かれていましたが、さくさく回れば1時間強でも回れるかと。)
もう、この後行ける場所もないので竹田市観光はこれにて終了。
(滝廉太郎記念館が16時半までで、この時点ですでに16時過ぎだったので諦めました。)
利用案内
- 入館料:高校生以上300円 小中学生150円
- 入城受付時間:9:00~17:00
- 休城日:12月31日~1月3日
おまけ
行きに出る時は全く気付かなかったのですが、改札前に姫だるまがいらっしゃいました。
あらやだ、こんなに勢揃い。
姫だるまは竹田市の伝統工芸品。
「水曜どうでしょう」好きの人にとっては「おぉ!!」ってテンション上がる一品です。