えちこの旅ブログ

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【続100名城】No.193 臼杵城(大分)

前回、以前宮崎旅行をした際に訪れた飫肥城を紹介しましたが、時代は戻って現代。

先日の宮崎&大分旅行の続きです。

「36ぷらす3」に乗車し、宮崎から大分に移動してきた翌日、再びJR日豊本線を南下します。

行ったり来たりしていますが、この2日は、鉄道に何ぼ乗ってもタダなんでね。(JR九州の株主優待でもらった1日乗車券を利用しているので、厳密に言えば株価としてお支払いはしている。)

臼杵城へのアクセス

JR日豊本線「臼杵」駅から徒歩約10分

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「う❤」=「う好き」=「臼杵」駅。

「I ❤ NY」の日本語バージョンですね。

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臼杵と言えば、有名なのが国宝の臼杵石仏

合わせて見に行きたかったのですが、駅からバスで20分ほどかかり、そのバスの本数が少なくて時間を合わせるのが難しかった、かつ雨予報だったため、見送りました。

(ちょうどこの日、九州北部が梅雨入りしました。)

実は臼杵に来る前、もう一つ続100名城の佐伯城にも訪れていました。

立派な石垣が残る山城だったので散策してみたかったのですが、雨が降る中で山城散策はちょっと辛いな・・・ということで、資料館見学&スタンプ捺印のみ。

なのでブログ記事も割愛します。

雨は旅行好きにとって嬉しくない存在ですが、かと言ってあまりにも梅雨が短くて水不足にでもなったら、それはそれで困ります。

臼杵城の歴史

臼杵城は1556年、当時「丹生島」と呼ばれていた地に大友義鎮(宗麟)によって築かれました。

1578年に家督を息子の義統に譲った義鎮は、臼杵の教会で洗礼を受けキリスト教徒となりました。

(宗麟の名前の方が広く知られていますが、こちらは出家後の法名で、実際は本名の義鎮の方を長く使っていたそうです。)

その為、臼杵城や城下町には多くの宣教師が訪れ、居住していた館にはキリスト教の礼拝堂もあったそうです。

豊臣秀吉の九州平定後、大友氏は改易され1594年に太田一吉が城主として入城。

太田氏の時代に、初めて天守閣が築かれました。

その後、1600年に入城した稲葉氏が15代、約270年間に渡り城主を務めました。

城内の見どころ

臼杵市観光交流プラザ

スタンプの設置場所です。

入館料は無料。

ちょっとした臼杵城に関する展示もあります。

また、レンタサイクルも行われていますが、駅からここまで徒歩で約10分かかります。

お城はこの施設のすぐ傍なので、お城に行くだけならサイクルは不要です。

 

うっすら雨が降ってきたので、傘を差しながらお城散策開始。

お天気はイマイチですが、このお城、物凄く好みの見た目をしているので、テンションは上がっています。

今は周辺が埋め立てられていますが、元々ここは島だったので、海が天然の要害となり城を守っていました。

現存する古橋を渡って、城内へ。

現在、宗麟時代の遺構はほとんど残っていません。

その貴重な遺構の一つが、古橋から二の丸へと登る「鐙坂」と呼ばれる切通。

ですが、現在はご覧の看板にある通り、落石防護壁が設置されています。

がっつり壁になっていて周囲の石垣などもあまり見れませんが、安全のためです。致し方ありません。

畳櫓

稲葉氏時代に建てられた現存の櫓。

大門櫓と現存石垣

大門櫓も稲葉氏時代に建てられましたが、明治初年の廃城時に取り壊されました。

現在の門は、平成13年に古地図や写真をもとに、復元されたものです。

井楼櫓台石垣

大門櫓の向かって右側にある井楼櫓跡。

二の丸西南端に置かれ、天守に次ぐ規模の櫓だったそうです。

説明書きにあるように、こちらの石垣の西南隅は二重の角になっています。

写真だとちょっと分かりにくいな・・・

先ほど紹介した大門櫓を通ると、二ノ丸跡に出ます。

会所櫓跡

臼杵護国神社

二ノ丸跡に建つ臼杵護国神社。

明治11年に西南戦争で戦死した隊士43名を祀ったのが始まり。

明治12年に、藩祖・稲葉良通と歴代15藩主を祀る稲葉神社と合祀しました。

現在は、歴代稲葉藩主、ならびに西南戦争、その後の戦没者国家公共に尽くした方たちを御祭神としてお祀りされています。

二ノ丸の端っこから遠くを眺めたら、パゴダみたいなものが見えました。

何だろあれ。

臼杵城は現在公園として整備され、二の丸跡には多目的広場が作られています。

多目的広場では、小雨に負けずゲートボールをたしなむ地元の方たちがいました。

ゲートボールしている人、久しぶりに見たわ。

空堀

二の丸と本丸の間に残る空堀。

鉄門桝形石垣

本丸の入口となる鉄門の石垣。

北側の石垣は大正時代に撤去され、現在は南半分のみが残されています。

城内の中で一番大きい石が用いられているのが特徴。

本丸

「これより本丸」というご丁寧な案内あり。

海の向こうに、小さな小島が見えました。

Googleマップで、見たところ津久見島と思われます。無人島みたいです。

天守跡

かつて、この場所に3層4重の天守がありました。

築造時期は、1594年~1600年頃と考えられています。

大友宗麟公碑

最後に、宗麟さんの姿を愛でてお城散策終了。

臼杵城下町プチ散歩

列車まで時間があったので、お城散策後に城下町をぷらっと散策。

二王座歴史の道と呼ばれる石畳の道沿いに、武家屋敷跡や寺院などが軒を連ねています。

旧真光寺というかつて寺院だった場所が、改修され休憩室となっており、内部が自由に見学できました。

2階の窓から歴史の道の景色が綺麗に見えます、みたいに書いてあったんですが、窓開かなかったです・・・

石畳の道って、雨が降っていると風情が増すと個人的に思うので、雨の中の散策も悪くなかったです。傘差しながらだと、写真撮りずらいのだけは難点ですが。

人もほぼいなくて、とっても静かだったのも良かったです。

歴史街道みたいな場所も、観光客だらけだと情緒の欠片もないですからね。

(自分もその観光客の一人なんで、文句言えた筋じゃないんですが。)

利用案内

臼杵公園(臼杵城)内は、見学自由

おまけ

臼杵城の前に訪れた佐伯城の最寄り駅、佐伯駅に到着した際、何と反対側のホームにあの豪華列車が停車していました。

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クルーズトレイン「ななつ星in九州」です!

本物初めて見たー!!

かっちょよー!!

美しかー!!(突然のエセ博多弁)

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1泊2日コースで、一番安いお部屋でも68万円(2人1部屋)します。

ソロで乗ろうもんなら、95万円です。

それでも抽選なかなか当たらないんだろうなー。

(西日本を走る豪華列車「瑞風」に複数回応募していますが、一度も当たりません。ちなみに、瑞風はななつ星の半額ぐらい。それでも十分お高いですが、この値段見たあとだとお安く感じてしまう・・・)

続100名城のスタンプ帳 公式ガイドブック