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【続100名城】No.111 向羽黒山城(福島)|2023年10月福島の旅⑤

飯盛山周辺観光のあと、帰宅する母と別れて(私は追加でもう1泊。)続100名城の向羽黒山(むかいはぐろやま)城へ。

向羽黒山城へのアクセス

・JR只見線「会津本郷」駅から徒歩約30分(JR「会津若松」駅から「会津本郷」駅まで約13分)

・会津バス 本郷循環線「インフォメーションセンター前」徒歩約5分

向羽黒山城は非常に広く、上記のアクセスは山城の入口までの所要時間です。

入口から城の本丸までは、約1時間ほど更にかかりました。(途中、曲輪見学した時間も含めて)

あと、JR只見線もバスも本数が少ないので、公共交通機関で行く場合は、時間は事前に要チェックです。

私は行きはJR只見線に乗って会津本郷駅まで。そこからひたすら徒歩。

会津本郷駅周辺は、ポストぐらいしかない小さな無人駅。

帰りは、JR只見線の会津若松駅方面の電車が無さすぎて、循環バスに乗りました。

この循環バスで会津若松駅近くにある「若松バスセンター」まで戻ることができます。乗車時間は約50分。

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「インフォメーションセンター前」のバス停は「会津美里町観光案内所」の近くにあります。
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が、要注意。インフォメーションセンター前のバスは、バス停前に停まりません。

2つ上の写真に写っている「山田まんじゅう」という和菓子屋さん前に停車します。

向羽黒山城の歴史

向羽黒山城は、会津若松城から南南西に約6キロの場所に位置します。

会津の有力大名だった葦名氏の中興の祖と言われる十六代・盛氏(もりうじ)が、隠居城として築城しました。

1589年に葦名氏が滅亡し、会津は伊達氏・蒲生氏の支配を経て、1598年上杉景勝に与えられました。

盛氏時代より後の遺構が見つかっていることから、歴代の会津藩主によって向羽黒山城が改修されていたことが分かっています。

上杉景勝は、向羽黒山城を2年に渡って大改修しており、この城を徳川家康との戦いの最後の砦と考えていた、とも言われています。

1600年(関ヶ原の戦いの直前)、徳川家康は会津征伐に向かいますが、石田三成挙兵の報を受け引き返したため、結局会津の地で合戦が行われることはありませんでした。

関ヶ原の戦いで敗戦した上杉氏は、会津から米沢へ移封となり、向羽黒山城も廃城となりました。

城内の見どころ

城内を見学するのに、観光案内所でレンタルサイクルを借りられるようです。

事前にその情報を得ていたにも関わらず「ま、徒歩の方が山城なら巡りやすいんじゃないかな」と判断しましたが、すぐに後悔します。

先に書いたように、城跡登山口から本丸まで歩くと1時間近くかかりました。

向羽黒山城を構成する山をぶち抜くように、現在は舗装道路が通っているため、ここを自転車で走って、遺構を周る方がよさそう。ただし、行きは基本上り坂ですが。

なんせ大きさは東日本最大級山城。

岩崎山・羽黒山・観音山の三山からなり、面積は50.57ha。(東京ドーム11個分。甲子園球場やと・・・気になる人は自分で調べてみてください。)

続100名城スタンプ

続100名城のスタンプは、登山口からすぐの「向羽黒山城跡整備資料室」にあります。

営業時間は4月中旬~11月の土日 10:00~14:00とかなり限られていますが、スタンプは施設の外に置いてあったので、いつでも押せるようです。

スタンプ押印後、いまいち距離感の分からないまま城散策スタート。

資料室からすぐ、山の中へいざなう遊歩道入口がありました。

が、この道を行けばどうなるものか、行けば分かるさ!かもしれませんが、山中で迷子になりたくなかったので、舗装された道路を歩くことに。

・・・この道歩けば、本丸跡とかにたどり着くよね・・・?

(観光案内所でちゃんと教えてもらえば良かった・・・)

私は羽黒山城に行きたいのですが、白鳳山公園とは・・・?

白鳳山=城を構成する山の一つ、岩崎山のことらしい。(あとで知った。)

とりあえず、向羽黒山城が自分が思っている以上に広大だということだけは分かりました。東日本一、なめんなよ、と大改修を施した上杉景勝に言われている気分です。

三の丸跡

上記の看板から数分後、お城跡を示す看板にようやく出会いました。

登山口からここまで約20分かかりました。

1561年、馬の訓練場として作られたところ。

説明書きには「当時の駿馬のいななきが聞こえるようである」とありました。

・・・ヒヒン

(とりあえず、自分で鳴いておく。)

二の丸跡

三の丸から13分。(城跡登山口から徒歩約40分)

二の丸広場&展望台の入口に到着。

ちなみに、車で来られた方は、この階段付近に駐車されていました。

階段下に目立つ「熊出没注意」の看板。

最近、熊に関するニュースが激増しているので、しっかり登山じゃなく、お城巡りなどで山に行く時も熊鈴は必須アイテムだな。

熊看板横の階段を上ると、二の丸跡。

解説書きによると、この二の丸は近世の本丸(城主の居所)にあたるところと考えられるそう。

展望もなかなかに良し。

ちょうど木で隠れてしまっていますが、中央やや右よりの奥に見える山が、多分磐梯山。

多分、磐梯山。(何で2回言ったん)

一曲輪

現在道路になっている所が、元々は二曲輪(二の丸)と一曲輪の間の堀切だったようです。

二の丸跡から上ってきた階段を一旦下りて、道路を渡り、一曲輪へ。

一曲輪入口。

一曲輪は標高408メートルの山頂にあります。

二の丸跡は階段を少し上ったらたどり着いたので、そのノリで上り始めたら意外と遠かった・・・でも、途中で引き返すのも何なので、山頂目指してひたすら登る。

入口から1分。堀跡。

ひたすら上がる。

一曲輪跡到着。入口から8分かかった・・・

ですが、登った分だけ眺望よし!

この景色を眺めながら、前日宿泊したお宿の御茶請け菓子の塩大福(非常食として、リュックに忍ばせていた。)を食べる。

うまし!(口周りと服が粉まみれやけど。)

反対側の山々も綺麗。

ちょっとのんびり景色見ながら休憩しつつ、バスの時刻を確認したら当初予定していたよりも1本前のバスに間に合いそう!

ということで、慌ててダッシュで一曲輪から下山。早歩き時々駆け足で城跡登山口まで急いでみた結果、1時間かかった道のりを帰りは30分強で戻ることができました。

今週末、ランニングできてなかったから丁度良かったわ。

(無理やりのポジティブ思考)

おまけ

山城跡の入口に、マイクラのクリーパーがいました。

・・・入口、爆破されてまうやないか。

 

続100名城のスタンプ帳 公式ガイドブック