春の東北旅2日目。
今日も今日とて、お城と桜巡り。
本日もJR東北本線を北上し、郡山駅から福島駅を目指します。
が、その途中、一旦100名城の二本松城に立ち寄ります。
二本松城は「日本さくら名所100選」に選ばれた桜の名所でもあるので、ここでもお城巡りとお花見が同時に楽しめる予定。
さて、開花状況はいかほどか・・・?
二本松城へのアクセス
JR東北本線「二本松」駅から徒歩約20分で城入口。入口から本丸まで更に徒歩15分。
1日目に宿泊した郡山駅からは、約20分の乗車で二本松駅に到着。
駅前には、二本松少年隊士像がありました。
二本松少年隊については、後述。
駅から徒歩20分は、個人的にアクセス良好の部類に入るんですが、駅から二本松城までの道中には急坂があるという事前情報を手に入れていました。
しばらく歩くと、目の前に現れました。お前の事やな。
急坂は、ただ舗装されているだけの山です。
しかも、例のごとく5キロ強のリュック背負ったまま来ているので、プチ登山です。
その坂の手前に、大手門跡があります。
大手門跡からせっせと山を登って、下って、
スタンプ設置場所の「にほんまつ城報館」に到着。
なお、Googleマップ先生に聞くと、このようなルートを提示されますが、実際はセブンイレブン横から城報館の駐車場に入ることができるので、こんなに迂回せず直線距離で入口に行けます。
(マップ上、私何らかの建物内にいることになっていますが、その前のスペースが駐車場になっていて、そこにいたはず。)
にほんまつ城報館
二本松に関する歴史などの展示がされている施設。
中にある歴史館エリアは有料ですが、施設自体は無料で入館できます。
私の苦手な菊人形が出迎えてくれました。
(子供の頃、ひらかたパークの菊人形展で見た人形が怖くて、トラウマとなっています。)
返却式のコインロッカーがあったので使用させてもらいました。
二本松城は公園として整備されていますが、山城でアップダウンがあるので、身軽で行くことをお勧めします。
無料エリア内にある「二本松城ガイダンス室」では、二本松城に関するVRコンテンツを視聴することができます。これが勉強になるし、面白かったです。
VRだけでも良かったのですが、せっかくなので有料の歴史館常設展示室にも入館しました。(ロッカーも借りてるしね。)
こちらも行っておいて良かったです。
二本松城の歴史を語る上で、しっかりと知っておくべき二本松少年隊について、学ぶことができました。
二本松城の歴史
二本松城は標高345mの白旗ケ峰に、室町時代中期に奥州菅領を命じられた畠山満泰(みつやす)によって1414年に築かれたといわれています。
1586年に伊達政宗により畠山氏は滅亡。その後は、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏などが城主を務めました。
1627年~1643年の加藤氏の時代に近世城郭への大規模な改修が行われたことが分かっています。
1643年に二本松藩が誕生し、初代藩主として丹羽光重が入城。
城内の建造物の新築や改修、城下町の整備を行い、幕末まで丹羽氏の居城として存続しました。
幕末の戊辰戦争で戦地となった二本松城は、1868年7月、新政府軍に攻められ落城。
この時の戦いでの戦死者337名。うち、14名は「二本松少年隊士」と呼ばれるわずか13歳~17歳(数え年)の少年兵でした。
城内の見どころ
二本松城は別名「霞ヶ城」とも呼ばれ、現在公園として整備されています。
別名の由来は、春に桜が満開になると城全体が霞に包まれたように見えるから、らしいです。
右下の赤い現在地となっているところが「にほんまつ城報館」
「霞ヶ城公園桜まつり」が開催されており、入口手前の駐車場には出店も出ていました。
ちなみに、今年の桜祭りの期間は4月3日~5月6日まで。なっが。
こちらが入口。既にお気づきでしょうが、今日も絶賛薄曇りです。
紫外線浴びる量少なくて済むから、お肌的にはありがたいんですけどね。
二本松少年隊群像
先に触れた二本松少年隊士の像。
藩士たちの集合場所であった「千人溜」と呼ばれる場所の跡地に建っています。
戊辰戦争の最中、1868年7月、二本松藩の大半の兵力が領境などに派遣されており、二本松領は空虚同然でした。
その状況下の中、迫る新政府軍との戦いを前に、出陣を嘆願したのが後に「二本松少年隊」と命名された少年たちでした。
少年兵としては会津藩の「白虎隊」も有名ですが、こちらは正式に編成された隊士たち。一方、二本松少年隊士は緊急で配属された部隊のため、当時は正式な名称すらありませんでした。
年齢は当時の数えで13歳~17歳、合計62名の隊でした。
少年たちの熱意に藩主はやむなく出陣の許可を出し、7月29日、城内への要塞である大壇口で、少年25名が戦うも二本松城は落城しました。少年隊士62名のうち14名が命を落とし、また少年兵を率いていた隊長の木村鉄太郎氏(22歳)、副隊長の二階堂衛守氏(33歳)も共に戦死しています。
少年兵の一人、武谷剛介氏が後に回顧録として残した言葉が、当時の少年たちの価値観を表しているようで印象的でした。
「藩のため戦争に出て戦うことは、武士の子として当然であって、特に語るべきことではない。恐ろしいとは思わなかった。出陣の前夜などは、今の子どもの修学旅行の前夜のようなはしゃぎようだった。」
歴史上、戦で命を落とした武将の話は沢山あるけれど、やはりこのような少年たちの戦いの話は、読んでいて辛さが段違いです。
隊長と少年隊士の右横には、我が子の出陣服に藩主・丹羽氏の家紋の肩印を縫い付ける母親の像もあります。
この像を見て、おば様たちの集団が
「あーこれ、白虎隊やねー」と言って通り過ぎて行きました。
違います。おば様達、一旦あそこの歴史館で彼らについて学んできてください。
と言えるはずもなく、ソクラテスの「無知は罪なり」という言葉ってこういう時にも当てはまるんかいな、なんてことを思いながら像を後に。
箕輪門
隊士像の前の階段を上がり、箕輪門へ。
昨日の白河小峰城に比べると、だいぶ桜も咲いています。
丹羽光重入城直後に建てられた最初の建造物の一つ。
「×」は丹羽氏の家紋なんですけど、知らなくて城報館で御城印買おうとしたら、「×」って書かれてて、一瞬売り切れて今ありませんよ、のバッテンマークかと思いました。
無知は罪です。丹羽さん、知らずにすみませんでした。
箕輪門から三の丸への道中の石垣。
一見、やみくもに石積み上げたように見えるけれど、隙間に小さい石を入れて絶妙なバランスで保たれているんだから凄い。
三の丸
丹羽氏が居住した御殿跡。
二本松城の三の丸は二段に分かれているのが特徴的。こちらは下段。
三の丸跡には、明治6年、二本松製糸株式会社(後の双松館)が創立されました。
こちらの山田脩(やまだおさむ)さんは、その会社を引き継ぎ、双松館の館主を務めた方だそう。
三の丸上段。
昨日より北上してるんですが、こっちの方が桜咲いています。
ようやく城と(ちゃんと咲いている)桜のコラボを見ることができました。
三の丸上段から、更に上って本丸を目指します。
案内板の文字はほぼ呪文。読めん。
三の丸から本丸への道
二本松城の全体図がこちら。
Pがやたら多いのが一番目につきますが、そのPに囲まれたオレンジ部分の一番広い所が三の丸。
そこから続く細い道を通って、上部のグレーになっている本丸へ向かいます。
二本松城は山城なので、本丸までは山を上っていかなければならないのですが、ご覧のように道はかなり整備されています。
ウッドチップ歩道なるものがあったり。
広めの砂利道があったり。
歩きながら思った事。
二本松城、想像以上に広いな。
(結果、当初予定していた電車よりも、後の電車に乗ることになりました。)
二本松藩士自刃の碑。
この地で、家老・丹羽一学、小城代・服部久左衛門、郡代・丹羽新十郎の3名が責任を取り自刃したそうです。
日影の井戸。
「リング」が流行った世代なので、井戸=貞子を連想しちゃってちょっと怖い。
でも、毎回あると必ず覗いてしまう。何が見えるって訳でもないけど。
本丸直下大石垣
二本松城に築かれた最も古い石垣のひとつ。
そこから更に階段を上がって本丸へ。
本丸
平成3年に行われた発掘調査で本丸の形状と規模が判明し、平成5年~7年にかけて修築・復元工事が行われました。
かかった費用は何と!約5億3千万円!!
虎口を上がって
こちらが本丸。
天守台跡。
天守台はありますが、天守が建てられた形跡は残っていないそうです。
天守台横には、城代・丹羽和左衛門、勘定奉行・安部井又之丞の供養碑があります。
説明書きによりますと、和左衛門さんは切腹後、自らの内臓を掴みだしたそうです。
武士の最後は壮絶が過ぎます。
本丸は標高345mの場所にあり、かつ周囲に高い建物等もないので、本丸からはナイスビューが拝めます。
特に西側からの、安達太良山を望む景色が素晴らしい。
100名山がこんなに綺麗に見れる100名城もなかなかないです。
ついでにさくら名所100選だし。
本丸を下りて、ぐるりと周囲の石垣も見てまわります。
5億円3千万の力作をしっかり見学。
石垣は慶長期に蒲生氏が築いたものから、江戸後期に積まれたものまで確認されているそう。
こちらの石垣の内部からは、本丸直下にあったのと同様の古い時代(慶長初年)の石垣が見つかりました。貴重な遺構であるため、石垣の再建にあたりそれらは現状のまま再び埋め直され、保存されています。
天守台西直下二段石垣
上段と下段に分かれており、二本松最古の石垣とされています。
東側から本丸に上がってくるルート(私も利用した道)と、本丸にはそこそこ人がいたのですが、西側は案内板をじっくり読み込んでいるガチの城好きっぽいおじさまが数名いる程度でした。
本丸から少し下がった景色もなかなか良き。
搦手門
お城の裏門。
何回見ても飽きない安達太良山。
(私はデカい山を見るのが好き。)
新城館
二本松城が会津の支城の時代、2人の城代(城主に代わって城を守る人)が置かれていた時期があり、それぞれ東城と西城に詰めていました。
こちらはその西城にあたる部分。
跡地には、少年隊顕彰碑が建てられています。
城内にはいくつか池があり、マップ上で「霞池」と城の別称と同じ名の付く池を見つけたので、最後にそこに行ってみました。
霞池
・・・小汚いただの池でした。
広くて全部のルートを歩くことはできませんでしたが、1時間ほどで城散策終了。
昨日の白河小峰城の桜も三春滝桜も開花~三分咲き程度だったので、さほど期待していなかったのですが、想像以上に桜が見れて良かったです。
これはこの後の桜スポット、期待できそう。
行きに上って下りた坂を再び上って下りて、二本松駅に戻り、次の目的地福島駅へ。
利用案内(にほんまつ城報館)
- 入館料(二本松歴史館常設展):大人200円 高校生以下100円
- 開館時間:9:00~17:00(歴史館の入館は16:30まで)
- 休館日:月曜日(祝日の場合翌平日)、年末年始(12月29日~1月3日)