昨日から、1か月と短い期間ですが、年末調整関連のお仕事を始めました。
絶妙に机と椅子の高さが合わず、1日目から頭痛と肩こりに苛まれています・・・先が思いやられるぜ・・・
福島旅行3日目。午前中は会津若松市の飯盛山周辺を観光。
飯盛山は、会津の城下町を見渡せる小高い山。
ここには、幕末の戊辰戦争で犠牲になった、会津の若き志士たちゆかりの地があります。
飯盛山へのアクセス
バス停「飯盛山下」からすぐ
石段の横に「飯盛山動く坂道」があります。動く歩道のスロープバージョンです。
階段で上るもよし。有料だけど、楽して電動に頼るもよし。
面白そうなので、動く坂道に乗ってみました。(1回大人250円。)
斜めになっているので、乗っているだけでも結構ふくらはぎが鍛えられます。
あと、マイケルジャクソンの、めっちゃ体斜めになるポーズがお手軽にできます。
NHK大河ドラマ『八重の桜』出演者の似顔絵。オダギリジョーさんが新島襄役で、「ジョー被り!あえてか?狙ったのか?」と思った人は多いはず。
飯盛山から会津城を眺め、白虎隊のお墓に参る
スロープに乗って、マイケル遊びをしていたらあっという間に山の中腹に到着。(5分程度)
中腹の開けた場所から、階段で下りた墓地の中にあるのが「白虎隊自刃の地」
1868年に、薩長を中心とする新政府軍と会津藩を中心とする旧幕府軍間で戊辰戦争が起こります。
白虎隊は、戊辰戦争に際して会津藩が年齢別に編成した四部隊の一つで、16~17歳の会津藩士の子息によって構成された最も年少の部隊でした。
年少の部隊ゆえ、元々は戦闘に出る予定はなく、予備隊という位置付けだったようです。
ですが、新政府軍に攻め込まれたことで、藩主・松平容保公により白虎隊に出陣の命が出されます。
ですが、戸ノ口原の戦いで敗れ、退却した白虎隊は飯盛山へとたどり着きます。
そして、そこから見えたのは、黒煙と炎に包まれた城下町の姿。その姿を見て、敵に捕まって捕虜になるよりは、とこの地で自刃することを選択したのでした。
「捕虜になっては祖先に申し訳ない。武士の本分を明らかにするべき」とわずか16~7歳の少年たちが自らの命を絶つという選択をしなければならなかった。それが戦争。
日本人同士の戦争が起こったのは、約160年前。
でも、海外では今まさに戦争が起こっている訳で。
戦争が起これば、どのような悲劇が起こるか十分過ぎるほど人類は分かっているはずなのに、それでも争わずにいられない人間って悲しい性を持った生き物だな、と思います。
余談ですが、昔働いていた会社の同僚の人から聞いた話ですが、友達が福島県の人で、山口県の人と結婚しようとしたら、おじいちゃんに「長州のやつとの結婚なんて許さん!」と猛反対されたそうです。平成時代にも残る幕末の遺恨・・・
白虎隊自刃の地には、鶴ヶ城をのぞむ白虎隊士の像。
その方向へ目を向けると・・・
鶴ヶ城が見えます。
・・・見えます?
写真の真ん中辺りに鉄塔?のような細長いものが立っていて、その後ろにお城の姿があります。すげぇ分かりにくいですけど。
飯沼貞雄翁記念碑。
20名が自刃した白虎隊ですが、その中でただ一人、飯沼貞雄さんが命を取り留めました。この方が生き延びたお陰で、白虎隊の物語が世に伝わることとなったのです。
同志が皆死んでしまって、自分だけが生き延びたというのは、この時代なら相当な辛さもあったかもしれません。でも、自分たちの最後を語り継いで欲しい、という仲間の思いが、ただ一人の生存者を生んだとしか思えないんですよね。
お墓そのものを写すのは、何となく気が引けたので慰霊碑を撮影。
お線香があったので購入し、お墓参りをさせてもらいました。
ここには、自刃した白虎隊士19名の他、会津各地で戦い命を落とした白虎隊士31名のお墓も築かれています。
また、戊辰戦争で命を落とした女性たちを弔う「会津藩殉難烈婦の碑」もありました。大河ドラマ「八重の桜」で印象的だったのは、主人公の八重さんはじめ、女性が勇敢に戦う姿でした。
山の麓には、白虎隊に関する資料館もあるのですが、母が「資料館で色々見るのはつらい」というので割愛・・・実際に息子(私には3つ下の弟がいます。)がいると思うところもあるのでしょう。
行きと帰りで違う道「さざえ堂」
白虎隊の歴史に触れたあとは、非常にユニークな建造物へ。
それがこちらのさざえ堂。
建立は1796年。正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう」
飯盛山にかつてあった正宗寺(しょうそうじ)というお寺の住職・郁堂和尚により考案されたと伝えられています。
世界的にも珍しい二重らせん構造になっており、構造や外観が似ていることから「さざえ堂」と呼ばれています。
面白いのがこの内部。上りと下りの道に分かれているため、行きと帰りの人がすれ違わない仕組みになっています。こんなに細い建物なのに!!
二重螺旋階段の建物は世界にあるけれど、スロープ上になっているのはここ、さざえ堂だけなんだそう。世界で唯一です。唯一のサザエさんです。(サザエさんはそもそも唯一無二)
中はこのように1本道。
以前はスロープに沿って西国三十三観音像が安置されており、参拝者はこのお堂に来ることで、観音参りができるとされていたそうですが、今はなくなっていました。
ま、西国はリアル参拝して結願済みなので、むしろそんなお手軽な感じで巡礼されたら、私の数年に渡る労力は・・・とむなしくなります。
堂の上部からは外が眺められました。
ここがお堂の頂上。ここから反対側の下り道へ。
下り道。上ってくる人はいません。
空間把握とか、構造把握とかの能力が欠落しているので、私たちが歩いてきた道はどこ?ってなっています。
これを考えたのが、建築家とかではなくお寺の和尚さんという所が凄い。和尚、今なら有名建築家として、安藤忠雄さんや隅研吾さんと並んでいたかもしれない。
お堂の中自体は、特に見どころがあるという訳ではないのですが、ここでしか味わえないらせん構造体験は非常に面白かったです。こういう場所は写真で見るだけでは、その良さ分からないからね。
利用案内
- 拝観料:大人400円 高校生300円 小中学生200円
- 開館時間: (4月~12月)8:15 ~ 日没 (1月~3月)9:00 ~ 16 : 00
おまけ
帰りは歩いて下山。
さざえ堂から更に下ると嚴島神社。
このすぐ裏に、白虎隊が逃れてきた戸ノ口原堰洞穴があったんですが、立派な杉の木のせいか、突如アレルギー勃発で咳が止まらなくなったので、退散しました・・・