えちこの旅ブログ

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【続100名城】No.133 鮫ヶ尾城(新潟)

あれは約2か月前、4月初旬のことでした。

富山&新潟旅行の最終日、新潟にある「鮫ヶ尾城」「春日山城」「高田城」3つのお城を1日でまわる予定が、ぽんこつ炸裂してスケジュールを台無しにするというハプニングが起こりました。

iechiko.hatenablog.com

消化不良すぎたので、帰ってきて速攻5月末にリベンジ鮫ヶ尾城&長野&東京旅行を計画。

今回は無事に鮫ヶ尾城を訪問することができました。

ですが、普段使用しているCanonのミラーレスカメラを持っていくことを忘れたため、写真は全てiPhoneで撮影する羽目に。別にカメラの腕がいい訳ではないし(むしろ下手くそ)こだわった写真を撮る訳ではないのですが、いかんせんスマホで撮影するとバッテリーの減りがめっちゃ早い。常にバッテリーLOWの恐怖と隣り合わせの旅となりました。

加えて、東京のカフェに傘置き忘れてきました。(古い傘だったこともあり、送ってもらうこともなくそのままお別れしました。)

自分の脳みそがどんどん退化していることを感じざるを得ません。

鮫ヶ尾城のアクセス

えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン「北新井」駅から徒歩約35分

1か月半前に初めて訪れた新潟に、2か月連続で訪問。

大阪からサンダーバードに乗車し、金沢へ。金沢を一切観光することなく、北陸新幹線に乗り換えて上越妙高駅に到着。

新幹線停車駅なので、駅は立派ですが人が少ない。私、そういう駅好き。

時間の都合上、行きは上越妙高駅からタクシーで鮫ヶ尾城のスタンプ設置場所である太歴史の里総合案内所まで向かいました。

最初、駅の西口でタクシー待っていたら、たまたま近くにいた観光バスの運転手さんが

タクシー待ってます?こっちあまり来ないから、多分東口に行った方が捕まえやすいですよ

と親切に教えてくださいました。

教えてもらった通り東口に行ったら、客待ちタクシー数台ありました。(西口では5分ぐらい待っていたけど、1台も来なくて、でもしばらく待っていたら来るかな~と呑気に思っていたんです。教えてもらって本当に良かった。)

タクシーの運転手さんも凄く親切で、道中に見える山々や新潟についてのお話など聞かせてくださり、非常に有意義な時間を過ごせました。(タクシーって一人で乗ると割高なので、普段ほぼ使わないんですが、地方のタクシーに乗ると運転手さんが色々地元のお話してくださることも多いんで、そういう意味ではお値段以上の体験ができる乗り物ではあるな、と思います。)

上越妙高駅からタクシーなら約10分。タクシー代は2,070円でした。

鮫ヶ尾城の歴史

鮫ヶ尾城の正確な築城年代は分かっていませんが、上杉謙信が拠点とした春日山城を守るために築城ないしは改修されたと考えられています。

このお城は上杉家家督争いの「御館の乱」決戦の地として歴史に名を残しています。

1578年、上杉謙信が死去すると、養子の景勝景虎の間で後継者争いが勃発しました。争いの末、追い詰められた景虎がこの鮫ヶ尾城へ逃れ、最終的に城内で自害。

城内の遺跡からは、このときの戦火によって焼けた陶磁器や炭化したおにぎりが多数出土しているそうです。

城内の見どころ

斐太歴史の里の全体図がこちら。

鮫ヶ尾城がある山の麓には弥生時代の集落遺跡・太遺跡があります。太遺跡自体も平地より高い場所にあり、魏志倭人伝に残る「倭国大乱」の時代に、戦乱に備えるために作られた高地性の集落の一つのようです。

復元された竪穴住居もありました。

まずは総合案内所で続100名城のスタンプゲット。こちらの女性スタッフの方がとても親切で、鮫ヶ尾城散策ルートや見どころを色々出発前に教えてくださいました。

加えて、案内所で荷物も預かってもらえたので助かりました。(旅行の荷物は、基本リュック。これが結構重いんだわ。)

スタッフの方おすすめルートに従って、案内所から東登城道を通り、山頂の本丸跡へ。そこから北登城道をくだって案内所に戻るという一周コースを歩くことにしました。

このように要所要所にきちんと案内板も出ているので安心。(地図ももらったし。)←地図の読めない女選手権があったら優勝できるレベルの方向音痴だけど。

案内板にある淡水魚の池では、おじさんたちがこぞって淡水魚釣りをしていました。

この魚釣りに興じるおじさんを最後に、城跡内では誰一人遭遇せず。

山城ですが、それほど急坂続きということもなく、道も未舗装ではありますがきちんと整備されているので歩きやすいお城です。

斐太遺跡

矢代山B地区と呼ばれるこの地域では、60か所以上の竪穴建物跡が見つかっているそう。

令和に生きながら、16世紀のお城跡を目指す途中で弥生時代の遺跡を通過。

歴史のマリアージュや~

(使い方あってんのかは知らん)

大堀切5

ちょっと草が生い茂っていて分かりにくいですが、長く伸びる堀切の遺構。

綺麗なササユリが咲いていました。

通称「東一ノ丸跡」

通称東一ノ丸跡の発掘調査では、山城の遺構の下から弥生時代の墳丘墓が見つかったそうです。

景色もなかなか良好。ですが、本丸跡はここからさらに上ります。

堀切6

ロープがありますが、そこまで長い距離でもないし、むしろ急坂はこことあと1か所手前にあったぐらい。

正面が本丸。左に行くと三ノ丸。ひとまず正面の本丸へ。

本丸

本丸跡は標高約185m。

『北陸新幹線が縦断する高田平野を一望することができます』とパンフレットに記載されていたんですが、新幹線・・・線路どこだろう?走っていたらすぐ分かったんでしょうが。

来た時からずっと薄曇りではあったのですが、頂上に着くと雨がパラパラ降ってきました。

えーこれ以上激しく降って来たらい嫌だなぁ

と思いつつ、休憩所でおやつのグミをもぐもぐ。(本降りになる前に下山しろよ。)

結局、案内所に戻るまでは、雨はパラついたものの本降りになることはありませんでした。

本丸からの眺めをしばらく楽しんだ後、本丸を出て先ほどの分かれ道に戻り、三ノ丸へ。

通称三ノ丸

三ノ丸手前にあった井戸跡。

こちらの通称三ノ丸跡からは、炭化したおにぎりが出土しています。おにぎり、炭化するまで焼けたら腐ることなく数百年も残り続けるんですね。
通称二ノ丸

発掘調査の結果、曲輪の中央に、掘立柱建物が1棟あったことが分かっています。また、ここからは焼けた陶磁器片が出土しています。

本丸周辺見たら、あとは北の道通ってひたすら下って来てください。

と案内所の方に言われていたので、あとはひたすら下って案内所まで戻ります。

ひたすら下る。

天然の下り坂と、微妙な段差が付けられた階段。どちらが歩きやすいか交互に試しながら下る。(結果、どちらも大して優劣なし。)

途中に上信越自動車道が通っていました。ずっとゴーって音がしてるの何だろうって思っていたんですよね。音の正体が分かってすっきり。

案内所の横にあった楽しそうな遊具。

出発前に、大体1時間程度で戻って来れると思いますよと言われていたんですが、本当にちょうど1時間で戻って来ました。

御親切にしてくださった案内所の方にお礼を言って、ここからは徒歩で北新井駅へ。

案内所を出ると同時に、本格的に雨が降り出しました。

お城散策中じゃなくて良かった~

斐太神社

案内所から坂を下って降りている途中に、斐太神社がありました。

御祭神は大国主命(オオクニヌシノミコト)・事代主命(コトシロヌシノミコト)・建御名方命(タケミナカタノミコト)の3柱。

平安初期の創建で、鮫ヶ尾城築城の際、この里の守り神と定められた神社だそう。

旅行中、一番最初に訪れた神社もしくは寺院では、ご利益とは関係なく、必ず同じことを祈願しています。

安全に楽しく旅ができますように

今まで旅行中に怪我や病気に見舞われることなく帰って来れているので、恐らくこの言葉は毎回神様に届いていると信じたい。

ただし、何かとハプニングに見舞われることは多々あります。

ちなみにこの日、ホテルの廊下で男の人の笑い声とドアの開閉音がうるさく、夜中に目が覚めました。そしてその後、なかなか寝付けず寝不足で翌日を迎えるというアクシデントに早々見舞われはしました。というか、あの声、ただの酔っ払いだよね。そうであってくれ。(私、霊感とかないし。)

余談ですが、目が覚めた時、スマホの時計見たら「2:22」でした。エンジェルナンバー!え?てことは、あの下品な笑い声の正体・・・エンジェル?

利用案内(斐太歴史の里総合案内所)

  • 開館時期:4月初旬~11月下旬
  • 開館時間:4月~9月 9:00~17:00、10月 9:00~16 :00、11月 9:00~15 :00

※注意:上記の通り、斐太歴史の里総合案内所は、冬季休館となります。その間は、続100名城のスタンプ設置場所は「神の宮温泉かわら亭」に変更となります。

斐太歴史の里(総合案内所、県民休養地、史跡公園) - 妙高市

鮫ヶ尾城の冬季のスタンプ置き場について | 公益財団法人日本城郭協会

おまけ

1か月半ぶりの北新井駅。

鮫ヶ尾城、リベンジ訪問してきました!

(自販機の「トキテツくん」(えちごトキめき鉄道のキャラクター)に報告)

続100名城のスタンプ帳 公式ガイドブック