えちこの旅ブログ

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【100名城】No.15 足利氏館(栃木)

過去のお城巡り回顧録

前回書いたNo.6岩手城からちょっと番号飛んでNo.15の足利氏館です。

この間のお城がごっそり未踏です。東北には何度か行く予定立ててたんですが、台風来たり、コロナなったりでずーっと行けずじまい。

今年こそ。今年こそ。今年こそ。今年こそ。(圧強め)

 

訪問日:2019年5月26日

足利氏館へのアクセス

足利氏館の歴史

足利氏は、鎌倉時代の有力御家人足利尊氏により、室町幕府が開かれました。

この足利氏館の創建者には諸説あるそうですが、足利氏2代目義兼説が有力とのことです。

水堀と土塁に囲まれた鎌倉時代の地方武士の館の在り方を伝える、貴重な遺構。

1196年に義兼が館内に持仏堂を作り、それが鑁阿寺(ばんなじ)という足利氏の氏寺となり現在に至っています。

鑁阿寺」の「鑁」って字、初めて見たわ。何て読むのよ、これ。(「ばん」やろ)

城の遺構

方形の形はそのまま残っており、周りを水堀が囲っているのがよく分かります。

太鼓橋と楼門

名城とか言ってますが、完全に見た目お寺です。

見た目っていうか、ホンマに寺です。

こんなところにもお大師さん。(ほんと行く先々で大師像写真撮ってる。趣味に加えようかな。「大師像巡り」)

本堂

国宝指定。

1197年に足利義兼が持仏堂として建立。その後足利義氏によって大堂が建てられましたが、1129年の火災により焼失。現在のお堂は、足利尊氏の父 貞氏により1299年に再建されたものです。

ここに100名城のスタンプあります。お寺なのに、お城スタンプ。

スタンプ押してるのは私だけで、むしろ御朱印求めてる人の方が多かったです。

不動堂

干支には守り本尊がそれぞれいて、酉年生まれの私は不動明王です。

個人的に不動明王が守護仏で、とっても心強く思ってます。

不動明王さんが常に怒りを吸い取ってくれてるのか、普段怒りをあらわにすることはありません。

心の中で「イラっ」とすることはもちろんありますが、面と向かってけんかするとか、声を荒げるとか、子供の時、弟と兄弟げんかをしたきりです。

そして、いつの間にか弟がぐんぐんでかくなり、自分が負けることが確実になった頃から、兄弟げんかすらしなくなりました。

平和、一番。

(ただ、仕事してて明らかに「おい!」ってなった相手には、面と向かって異議申し立てをすることはたまにある。)

御霊屋

創建は鎌倉時代ですが、現在の建物は徳川11代将軍家斉による再建。

本殿には源氏の祖、拝殿には足利15代将軍像が祀られてるそうです。

多宝塔

多宝塔としては日本一の大きさだそう。(これ以上大きいのは大塔って言うんだって。)

ん~・・・でもこれよりでかい「多宝塔」という名の塔を見たことがあるような・・・もごもご。

徳川家が祖先発祥の地として、祖先供養のため再建寄進しました。

なぜなら、徳川家は新田氏の後裔と称しており、新田氏は足利氏から分家したから、だそう。

そして多宝塔の横には

樹齢約550年と言われる立派な大イチョウ

江戸時代には、このイチョウの木の下でお見合いが行われていたそうで、縁結びのご神木とも言われてるそうです。

イチョウの木の下でお見合い・・・なかなかおつですね。(そうですか?)

利用案内

  • 入場料 なし
  • 営業時間:9:00~16:00

www.ashikaga-bannaji.org