誕生月にお得に四国を旅することができるJR四国『バースデイきっぷ』を利用しての旅。
バースデイきっぷの概要はこちら。
最初の目的地は、徳島県にある続100名城の勝瑞城。しかし、こちらは時間の都合上スタンプ押印のみとなったので、今回は合わせて香川県の引田(ひけた)城も一つの記事でご紹介します。
勝瑞城のアクセス
JR高徳線「勝瑞」駅から徒歩約10分
JR徳島駅から勝瑞駅までの乗車時間は約10分。
バースデイきっぷを使って最初の列車。
ちなみに、徳島の人は地元の列車を「気車」と呼ぶそう。実際、私の大学時代の友人もそう呼んでいました。何故なら徳島県は全国で唯一「電車」が走っていない県。
こちらはディーゼルエンジンで動く「気動車」であって、架線を通る電力を動力にして走る「電車」とは厳密には違うのです。でも、当時の私はそんな知識もなく。
徳島県って、未だに汽車が走っているんだ・・・
とSL機関車を思い浮かべたものです。
勝瑞駅到着。次の列車まであまり余裕がないので、急いでスタンプ設置場所の「勝瑞発掘現場事務所」を目指します。
駅から徒歩10分という立地は、駅からのアクセス良好のお城。ただ、根本的に列車の本数が少ないっていう問題はあるけどね。
勝瑞城の歴史
正式な築城年は不明。
南北時代に阿波守護細川氏が守護所を置いたと伝わり、戦国時代に阿波の実権を握った三好氏も、勝瑞を拠点としたため、阿波の政治・経済・文化の中心として城下町も繁栄しました。
しかし、1582年長宗我部氏の侵攻によって城は落城。廃城となりました。
勝瑞城のスタンプ場所
勝瑞城のスタンプ設置場所は勝瑞発掘現場事務所。
ただし、土日はお休みのため近くの武田石油でスタンプが押印できるようです。
勝瑞城は、平成13年に国史跡に指定され、現在も発掘調査が継続して行われています。
こちらは三好氏の居館跡。
実際の城跡とは、現在は交差点を挟んで対角上に位置しています。
史跡公園として整備中ということですが、現状だだっ広い平地。写真に写っているグレーの建物が発掘現場事務所で、あちらに続100名城のスタンプと勝瑞城に関する資料展示がありました。
ちょこっとなら展示品見る時間あるかな、と思ったんですが、たまたまスタンプ台前でお会いしたご夫婦の方から
何か所ぐらい行かれました?
なんて話しかけられ、そのまま会話が続いたので、ご夫婦と一緒に事務所を退出することになり、ホンマにスタンプ押すだけで館跡を後にしました。
車の運転できないんで、全部公共交通機関と己の足でまわってます
って言ったら、えらく感心されました。まぁ、お陰で10年以上経ってもまだ制覇できていないんですけどね。
勝瑞駅を出発して、約30分後に再び勝瑞駅に戻ってきました。
徳島での観光はこの勝瑞城のみ。早々に徳島から香川に移動し、次の目的地である引田城へ向かいます。
引田城のアクセス
JR高徳線「引田」駅から徒歩約20分
「引田より愛をこめて」と強めのメッセージ付きで、妙にデコられている引田駅。
まずはスタンプ設置場所の讃州井筒屋敷まで。駅からは徒歩7分です。
讃州井筒屋敷は、江戸時代から醤油や酒造りを行っていた商家をリニューアルした施設。有料(300円)ですが、母屋の見学も可能です。
スタンプは白い建物のお土産屋さんの店内にありました。
引田城はここから徒歩約10分。そしてそれは登山口までの距離であって、そこから山城登山となります。
今回は1時間ほど観光時間を取っていたので、スタンプを押したら早速登山口へ向かいます。
讃州井筒屋敷の近くにある有名なおうどん屋さん。実はここ数年前に前述した徳島の友人と一緒に来たことがあります。
その時は単に友人に連れられて来たため、スタンプ帳なんて持っているはずもなく。また続100名城のスタンプ帳持って再訪します、と心の中で宣言し、美味しいおうどん食べて、ドライブして徳島に帰りました。
しばらく歩くとこんもりしたお山が目の前に。
・・・あれ、登るのか
登山口には手作り感満載の看板が立てられていました。
さて、3泊4日分の荷物背負ったままで荷物重い上に、思いっきり普段着だけど、いざ、山登り。
引田城の歴史
戦国時代の永正年間(1504~21年)に、寒川氏に属する四宮氏が引田城主となり、その後、三好氏が城を奪い家臣の矢野氏が城主となりました。
天正年間、土佐国の長宗我部氏が讃岐国を侵攻。豊臣秀吉が仙石秀久を讃岐に派遣し、引田城は重要な軍事拠点となりました。しかし、仙石勢は長宗我部氏に敗北し撤退します。
1587年に豊臣秀吉から讃岐を与えられた生駒親正が入城。生駒氏はその後高松城、丸亀城を築き、引田城から移動しますが、国境付近に立地していたため、重要な拠点として重視されていました。
しかし、その後の一国一城令により引田城は廃城となりました。
引田城の見どころ
引田城は、海に面した断崖に位置し、各郭の総延長は600mに及びます。
スタンプが置かれていたお土産屋さんで頂いた引田城散策マップ。
地図左下の引田港側登山口から登り、まずは本丸を目指します。そのあと、引田鼻崎灯台まで行って、ぐるっと一周描いて本丸に戻って来るルートを歩いてみよう。
時間どれぐらいかかるか分からないけど、多分大丈夫でしょ。(電車の下調べはちゃんとするくせに、城巡りは行き当たりばったりな人)
思っていた以上にしっかり山でした。城巡りという名の山登りです。
5分ほど登ると、視界が開けました。
おぉ!いい眺め!!
引田港の風景。海に近い山城は、このような眺望が楽しめます。(でも、大半の山城は山々に囲まれていたり、木々が茂っていてこのように眺望が綺麗に見えるところは少ない。)
この先の足場はこんな感じ。そういえば、山城でこんなに空が見えることも珍しいかも。
狼煙台跡。確かにここから狼煙を上げたら、城下からはよく見えたことでしょう。
私も何かあれば、ここから狼煙を上げて助けを呼ぼう。(安心してください。そんなことしなくても、スマホの電波入ります。確か。)←正直、あんま電波気にしていなかったからはっきり覚えていない。
先ほどの場所から更に5分登って、更に視界が高くなりました。播磨灘が一望できますが、霞みで全体的にぼんやりなのがちょっと残念。
ここから数分で本丸の石垣に到着。この一帯が本丸と考えられている場所。
本丸の石垣の算木積みは、隙間に間石を用いる古式で、引田城で最初に築かれた石垣と考えられています。
このお山、城山という名がついていたみたいです。ここが頂上っぽい。標高82.3m。
天守台
石垣から100mほどに位置するこの場所が天守台と推定されています。
引田の町がよく見えます。すなわち城下からもよく見えるということ。ここに天守を建てることで、権威を示していたようです。
天守台跡の向かって左側に灯台へ向かう道があるんですが、最初その道に気づかず(道が見える位置まで行かず、ここで行き止まりだと思い込んだ)
え?ここから灯台にどうやって行くの?
となり、明らかに道なき道をちょっと行っては引き返すということを5分ぐらい繰り返し、途方に暮れて城山表示のベンチで休憩。
もうこのまま引き返そうか、その前にもう一回だけ天守台からの景色見ておこうと再び突き当りまで行ったら・・・
左側にめっちゃ道あったわ。
気を取り直して、灯台を目指します。途中にこのようにちゃんと案内板を建ててくださっているので、とても分かりやすいはずなんですけどね。何なんでしょうね、私の脳みそ。磁場狂ってるんかな。(道が見つけられないのは、単にポンコツなだけ)
引田鼻灯台
一時は諦めた灯台に到着。結構老朽化していて、塗装剝げ剝げ。今はもう使われていないのでしょうか。
相変わらず霞が強くて、もはや幻想的ですらあります。見えているのは女郎島かな?
さて、途中無駄に道に迷う(というか道を見失う)ロスタイムが発生したこともあり、あまり時間に余裕がなくなりました。ここから登山口まで戻って、引田駅までは更にそこから約20分かかります。
正直、灯台から登山口までどれぐらいかかるかもよく分かっていません。ということで、ここから先は急ぎ足で城を散策。
正面の東の丸方面へ。
定期的に眺望を楽しむ。もはやお城巡りというよりは、単にこの景色を見るためのプチトレッキングに来た気分になっています。
7分歩いて、本丸に戻って来ました。思ったより近かった。(というか、ほぼ速足でスピードハイキングしたせい。)
下山しまーす
行きに比べたら、山の霞が晴れてる!
こちらが約40分前の行きの景色。うん、やっぱりだいぶ山の稜線がクリアになってる。
そして、下山を続け登山口に到着。
今回私が歩いたのは赤い線でなぞったルート。途中道迷いの時間を除くと、約40分ほどのルートでした。(ただし、後半急ぎ足)
バースデイきっぷで乗り鉄を楽しむ旅の合間にしては、しっかり汗をかくほどの山城散策となりましたが、城跡からの眺めはよく、歩き甲斐のあるお城でした。
利用案内(讃州井筒屋敷)
・開館時間:10:00~16:00
・休館日:水曜日、年末年始
おまけ
結局、列車発車時間の20分前に駅に到着。(そんなに引田城、最後急いで回らなくて良かったじゃんっていう話。)
暇を持て余し、ホームで写真など撮って時間つぶし。
ずっと「ひきた」だと思っていた駅名。
来年の4月は、バースデイきっぷを使って四国一周をしようと既に考えています。
電車、まだかな~
あ、うずしお号、前方にうずしおマーク描かれてる!
暇を持て余したにわか乗り鉄の、遊び。
続100名城のスタンプ帳 公式ガイドブック