えちこの旅ブログ

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【100名城】No.16 箕輪城(群馬)

過去のお城巡り回顧録

訪問日:2019年5月25日

箕輪城へのアクセス

JR信越本線上越新幹線「高崎」駅から群馬バス「箕郷」行きで約30分「箕郷本町」下車 徒歩約20分

gunbus.co.jp

なお、私は箕輪城に行く前に、坂東三十三所15番札所 長谷寺へ行ってました。

そこからちょうどいい公共交通機関もないので、3キロほど歩いて箕輪城へ。

途中、鳴沢湖という農業灌漑用貯水池を通りました。

白鳥ボートが並んでるんですが、果たして、年間何度この水辺に漕ぎ出すのでしょう・・・

スタンプがあるのは、高崎市箕郷公民館。

私が持っている100名城の本には、スタンプ設置場所は二の丸駐車場付近と記載されていますが、盗難防止のため、現在は高崎市箕郷支所もしくは、この箕郷公民館に置いてあります。

時々、このスタンプを盗む人がいるそうなんですよね。

どうすんねん、これ盗んで。

公民館からさらに歩くこと25分。

たどり着いた入口は、予想外に山道でした。

箕輪城の入口はいくつかあります。

私が入ったのは・・・多分観音様口 だったかと・・・(記憶おぼろげ)

箕輪城の歴史

箕輪城は、1500年頃長野氏によって築かれました。

武田氏の侵攻の際、この箕輪城を拠点に抵抗しましたが、1566年武田信玄により落城。

その後、武田氏、織田氏、北条氏、徳川氏と名だたる武将の城となり、有力家臣が配置されました。

1590年、徳川家康の家臣・井伊直政が城主となり、城を近世城郭に改築したと伝えられています。

その後、直政が城を高崎に移し、箕輪城は廃城となりました。

城の遺構

郭馬出西虎口門(かくうまだしにしこぐちもん)

平成28年に復元された郭馬出西虎口門(かくうまだしにしこぐちもん)←噛みそうな名前。ていうか、試しに言ってみたら噛んだ。

最近できたばかりなので、10年前に買った100名城の本には載っていませんでした。

井伊氏時代の城門の礎石が発掘調査によって発見されたため、各地の近世初期の城門を参考に復元されたのがこちらの門です。

関ヶ原合戦以前では、確認されている中で関東地方最大規模の門跡だそうです。

郭馬出

大堀切

城を南北に分断する堀で、堀の南側が落とされても、主要部の北側を守る役割があります。

二の丸跡

ここにあるトイレはバイオトイレだそうです。

わざわざ地図にもバイオトイレと記載されてアピールされてました。

本丸跡

だだっ広い。誰もいない。

この碑の近くにある階段に座って、休憩しながらお菓子ぼりぼり。

ぼりぼりしながら、マップ兼パンフを見てると、ちらほらと人もやってきました。

イカーさんっぽい人やら、親子連れやら、カップルやら。

何だかいい大人の女が外でお菓子ばりぼり食ってるんのも恥ずかしくなってきたので、

適度に切り上げて散策再開。(多分、誰も私のことなんか気にも留めてないやろうけど。こういうのを自意識過剰という)

御前曲輪

ここにもバイオトイレあります。なんなん。最大の売りなん?

この北側にもまだ曲輪があるようでしたが、この辺りでUターン。

 

帰りは、行きとは違う出入口を目指してみようと思い

竹林の道へ。

帰りは榛名口というとこから城脱出。

 

そしてこのあとまたまた坂東三十三所16番札所水澤寺へと向かいました。