えちこの旅ブログ

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【公共交通機関で行く坂東三十三ヶ所巡礼】第五番 勝福寺

エアコンつけると寒くなる。つけないと暑い。

つけて寝ると寒くて起きる。つけずに寝ると暑くて起きる。

最適解が得られないまま、毎年夏を過ごしています。

前回書いた石垣山城の前に、坂東三十三ヶ所の五番札所である勝福寺に行きました。

前日に行われた福山雅治さんのイベントは横浜で行われたんですが、横浜のホテル高かったので、ちょっと離れた藤沢で宿泊。名前はよく聞くけど、初めて降りたわ、藤沢。

翌日の朝ごはん買って行ったら、ホテル朝食付きでした。(たま~にやる。)

第五番 勝福寺(しょうふくじ)

勝福寺へのアクセス

小田原からのバスは、1~2時間に1本程度しかありません。

私は、藤沢からJRで鴨宮まで行き、往復歩きました。(次の目的地が小田原駅やったので、帰りはバスで直接小田原駅まで行こうかと思ったんですが、時間微妙やったから結局鴨宮駅まで歩いて、電車で小田原に行きました。)

特に観光地ではなくとも、むしろそういう知らない街を歩くのが単純に好きというのも徒歩を選ぶ理由の一つです。

勝福寺の歴史

8世紀後期に唐から渡来した鑑真が、勝福寺の十一面観世音像を招来したと言われています。鑑真はこの観世音像を孝謙天皇に献上。さらにこの像は、孝謙天皇から当時天皇の信頼厚かった(というか、非常に懇意だった)弓削道鏡へと渡ります。

(私の中で、道鏡孝謙天皇の権威を盾にやりたい放題やったエロ坊主っていう印象です。)

天皇の死後、道鏡下野国に左遷となります。その途中、この地に十一面観音像を安置して堂宇を建てたのが勝福寺の始まりとされています。当時の場所は現在とは異なっており、また寺名も「弓削寺」という名でした。

その後、現在の場所へ移転。1418年に小田原城の鬼門鎮護の寺となり、この頃名前を「勝福寺」に改称しました。

凄いご利益ありそうな名前なので、お寺としてはこちらの方がいいんでは?と勝手に事情も知らずに思う現代人。

境内案内

仁王門

1758年の建築。

曽我物語』で有名な曽我五郎・十郎兄弟が、この門の仁王像から力を授かったという伝説があるそうです。

ん・・・?曽我兄弟の仇討ち・・・?最近どっかで聞いた気が・・・

あ!NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でやってたんだ!

父を殺した工藤祐経を、頼朝が開催した「富士の巻狩り」の最中殺したというエピソード。

ただ、私この回見逃してます。最近、ネット動画ばかりで地上波を見る習慣がなくなり、ついつい録画し忘れることが多々・・・毎週録画の設定すればいいのにね。

本堂

1706年建立の本堂は、絶賛修繕中でした。

こんなん多いな、私。

修繕中ではありますが、参拝は可能です。

欄間には、色鮮やかな天女の彫刻が。

青銅水鉢

1704年製造の青銅製の水鉢は、竜頭船の形で船尾には十一面観音像が配された珍しいデザイン。

ただ、コロナの影響なのか、手は洗えないようになっていました。

二宮金次郎

二宮金次郎が、このお寺で僧侶の読経を聞いて感動したというエピソードがあるそうです。

金次郎像と言えば、学校で見かける薪を背負って本読む姿が有名ですが、こちらでは本堂に向かって熱心に祈りを捧げておられます。

(ただ、今でも金次郎像残っている学校少ないんじゃないでしょうか。というか、私が行ってた学校や近所の学校でも見かけたことなくて、もはや都市伝説なんじゃないか?の領域なんですけど・・・)

大銀杏

樹齢推定700年。

かつて、「乳イチョウ」と呼ばれ、お乳の出ない女性が願をかけたと言われています。

イチョウの木に願ったら、何か・・・銀杏臭のおっぱい出そう・・・

 

最後に

全国の色んなお大師さんを撮影することが、ある種趣味と化しています。

 

坂東三十三ヶ所札所まとめはこちら

iechiko.hatenablog.com