第三番 安養院
安養院の歴史
こちらのお寺の縁起は少々複雑・・ということで、坂東三十三所のガイドブックによると、この安養院には別名・田代観音という名前があり、それは源頼朝の家臣である田代信綱という人に由来します。
この人が1192年、武勲を挙げたのは観音菩薩の加護であるとして田代寺を建立。
この田代寺が当初の坂東三十三所の札所でした。
ちなみに、本尊の千手観音を信仰し、北条政子は源頼朝と結ばれたと言われ、良縁観音とも呼ばれているそうです。
で、その北条政子は頼朝の死後、菩提を弔うため1225年長楽寺を建立。
この年に政子もなくなり、長楽寺は政子の菩提寺にもなりました。
1333年、長楽寺は鎌倉幕府滅亡の際、兵火にあい名越の善導寺跡に移転し、旧善導寺と長楽寺、この二寺が合併。
そしてその時、名前も安養院と改称しました。
で、で、この安養院は1680年またまた火災にあい、その際末寺であった田代寺をこの地に移し、坂東の札所も安養院が受け継いで現在に至る。と。
複数のお寺が燃えたり、移転したり、合併したり、の歴史の中で生まれたお寺がこちらの安養院です。
境内案内
前回紹介した第四番札所の長谷寺とは違い、こちらは小さな境内のお寺です。
(というか、今まで14か所坂東三十三ヶ所の札所をまわりましたが、比較的小さなお寺が多い印象です。長谷寺とか浅草寺のいわゆるTHE観光名所級のお寺の方がまれ。それゆえ今まで知らなかったお寺に行けて、個人的には楽しいです。)
山門
ツツジが綺麗なお寺だそうで、その季節には参拝客も増えるのかもしれませんが、この日は私以外には誰もおらず。
天然記念物 槇の木
境内には樹齢700年の槇の木が。槇って、実際の木を見るよりも人名として見かけることの方が多い気がする。あ、木が気がするとか、2022年始まって一番しょうもないこと言ってもうた。
鎌倉幕府がまだある頃からここで生きていることになります。
木が話すことができたら、これほどすごい歴史の語り部はいないだろう、と思います。
ただ、見えてる範囲限られてるけどね。
本堂
中には入れないので、ガラス越しにご本尊をのぞき見したあと、御朱印をいただきます。
納経所には誰もおらず、ピンポーンでお呼び出し。
お遍路でも小さなお寺さんだと結構このパターンです。
アクセス
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