長崎で原爆投下の歴史を巡る旅、後編。
前編はこちら。
長崎原爆資料館
長崎平和公園「学びのゾーン」にある長崎原爆資料館。
原爆落下中心碑からは、5分もかからない場所にあります。
広島の原爆資料館には小学校の修学旅行で行きましたが、長崎の方は初訪問です。
入口を入ると、こちらにも沢山の千羽鶴がありました。
地下2階の展示室前、何だか素敵なアートもありました。
子供の頃に行った広島の原爆資料館はもっと暗かった印象があります。
入口に被爆しただれた皮膚の人たちを模した人形があり、友達が周囲にいる手前平気なふりをしていましたが、暗所恐怖症でもある私にとって、トラウマ級の恐怖を感じる場所でした。
(その人形は、今はもうなくなったと聞きましたが。)

原爆投下の11時2分で永遠に止まってしまった時計。
2度と動かない時計の針は、この瞬間に失われた多くの命を表しているようにも感じました。
原爆投下直後の長崎の街の再現や、熱線、熱風、放射線の被害を伝える展示品や写真。
改めて、原爆の威力と恐怖を思い知りました。
印象的だったのは、海外の方も非常に多くいらっしゃったこと。特に欧米系の方が多かかったです。(どこにでもいるお隣の大陸の方はあまり見かけなかったです。たまたまかもしれませんが。)
あと、お子さんの姿も多かったのですが、何というか、割と皆さん平気そうというか。
中にはパンフレットを見ながら「おもしろそうだね」とお父さんに言いながら入口を入って行く子もいたりして。私が子供の頃に比べて、原爆や世界大戦に対して持つ印象が違っているのかなーと感じました。
(「興味深い」という意味での「おもしろい」なんだと解釈しましたが。)
私の世代の祖父母たちは戦争体験者で、夏休みの宿題では必ず「おじいちゃん・おばあちゃんに戦争体験を聞く」というものがあり、それらを作文にまとめたりしたものです。
でも、今の子供たちは、戦後生まれのおじいちゃん・おばあちゃんを持つ子が多く、身近に戦争体験を見聞きすることが少ないのかもしれません。だからこそ、もっと客観的にこの歴史を受け止めているのかもしれないな、とも思いました。
かくいう私も、小学生の時に広島で原爆資料館を見たときに比べると、衝撃も少なく、歴史を学ぶ場所として、淡々とすべての資料を見て回ることができました。
もちろん、実際に被害を受けた人たちの遺品や、写真で残る被爆後の症状は痛々しかったですし、被爆経験者の方の手記も心を痛めずはいられませんでした。
ただ、もっと見終わった後にくらーい気持ちになって、どんよりするかと思ったんですが、思ったほどメンタルへの負担はありませんでした。
大人になるにつれ、多くのことを経験し、悲惨で残酷な現実に、ある意味慣れて鈍感になってしまったのかもしれません。

展示の後半は、核兵器の歴史や現代の核兵器に関しての展示でした。

世界には今、約12000発もの核爆弾が保有されています。
私が生まれてからもずっと、今この瞬間も、世界では争いが起こり、戦争で命を落とす人々が絶えません。
「先の大戦のような悲劇は2度と繰り返してはならない」とは言うけれど「応仁の乱のような乱世は起こしてはならない」とか「戊辰戦争みたいな日本人同士の争いは2度と繰り返してはならない」みたいなことは聞いたことがないんですよね。
むしろ、戦国時代や幕末なんて作品ではエンタメ要素強く表現されますし。
この感情、自分も含めてどうしてなんだろうって考えるんです。
時代が経てば、悲劇的で残酷な出来事も、単なる歴史的事実に変わっていくから、感じ方が変わるというのもあると思いますが、もう一つ。
わざわざ言わなくても、日本に武士がいる時代は終わり、応仁の乱や戊辰戦争のような日本人同士が刀や鉄砲持って、争い合うなんてもう起こらないとみんなが思っている。
だからいちいちそんな事を言う必要もないのかな、と。
でも、世界大戦や原爆投下は違う。
戦後80年とはいえ、私たちはまだこの悲劇と地続きの時代を生きている。

展示室に入った最初に目にする言葉です。
今なお消えない核の脅威。だからこそ、わざわざ言葉にしなければいけない。
10か国に訳されたこの言葉が、この場所に来た一人でも多くの人に届くことを願うばかりです。
「クスノキ」が生まれた場所・山王神社
資料館の次に訪れたのは、前日私も一緒に福山さんと合唱した「クスノキ」という曲の題材となった被爆樹木がある山王神社。
創建1638年のこちらの神社は、爆心地から約800mの位置にあり、甚大な被害を受けました。

「クスノキ」の歌詞に『片足鳥居』として出てくる二の鳥居。
元々、一から四までの鳥居があったようですが、原爆により一の鳥居と二の鳥居の右半分のみが残りました。
一の鳥居もその後、交通事故により倒壊してしまったようで、現在も当時のまま残っているのはこの鳥居のみです。

神社の入口。
狛犬超しに、そびえるクスノキ。これこそ、神社の象徴ともなり、曲の中で歌われている被爆樹木です。
樹齢は5~600年とされています。

地元の方にとっては、元々有名な場所だったと思うのですが、福山さんの曲でこの神社を知った県外の観光客も多いはず。私もそのうちの一人。


至近距離で被爆したクスノキは、爆風と熱線により主幹の3分の1以上が損傷し、一時は枯死寸前となりました。
しかし、約2年後新芽が芽吹き、樹勢を回復。
80年経った今、伸びる枝に青々とした葉が茂り、見事に生命力を取り戻しています。

力強い木には、触れずにいられない。



山王神社の御祭神は、天照大御神、豊受比売神、大山咋神、大物主神、伊邪那岐神、高皇産霊神。多くの神々を祀っています。

8月8日~10日の3日間、境内では『鎮守の杜カフェ』というイベントが開催されていました。
ちょうど喉も乾いていたし、入口で出店されていたカフェでミルクセーキ購入。(結果的にこれが本日のランチとなりました・・・)
ドリンク代の一部は、被爆樹木の保全・保護活動に使用されるということでした。
他にも、みんなで千羽鶴を折るというイベントもやっていたので、私も参加させて頂きました。
折り鶴なんていつぶりやろ?ってぐらい久しぶりに作りましたが、案外覚えているもんです。
お隣で折っていた20代ぐらいのカップルの子たちに「え??早いっ!」って驚かれるぐらいサクサク折れました。

その折り鶴に、平和へのメッセージを書いた紙を吊るして、こちらの千羽鶴会場(?)へ。
近くにあるスピーカーからは、ずっと「クスノキ」が流れていました。

我が魂は この土に根差し
葉音で歌う 生命の叫びを
運よくゲットした歌番組参加をきっかけとした、長崎原爆投下の歴史を巡る旅。
自分の祖父母が生きた激動の時代を学ぶいい機会となりました。
おまけ(九州脱出大作戦)
最後に、長崎県美術館で開催されている「クスノキ/福山雅治×junaida」を見に行きました。

クスノキの楽曲を画家junaidaさんが描いたアニメーションに乗せて、映像作品として上映する特別展。
鑑賞後、長崎駅に戻り西九州新幹線とリレーかもめを乗り継ぎ、博多駅。
福岡からは、あえて名門大洋フェリーで1泊しながら帰るプランでした。
ですが、なんということでしょう。
8月10日のこの日、九州北部で線状降水帯が発生。
美術館行く前にすでにJRの運休の情報は入っていたんですが、数時間経てば再開するかなーと甘く考えていました。
これがタダのゲリラ豪雨なら、数時間で運転再開になったかもしれませんが、線状降水帯をあなどってはいけなかった。
結果、数時間後JR鹿児島本線、山陽新幹線の終日運休が決定し、この日私は九州から出られなくなりました。
幸い、西九州新幹線とリレーかもめは運行していたので、一旦北上。
博多駅までは行けたのですが、ホテル代高いし、駅周辺大混雑が予想されたので(切符の返金作業でみどりの窓口に行かなきゃいけなかった。)途中の鳥栖で急遽ホテルを取って1泊。(駅からホテルまでの数分にゲリラ豪雨に遭遇し、びっちゃびちゃ)
明けて翌日、今度は前日は動いていたJR鹿児島本線の博多方面が運休・・・
は、博多に出れない( ゚Д゚)
山陽新幹線は朝から運行していたので、前日博多まで出ていれば、問題なく新幹線乗れたんですけどね。
激レア観覧チケットを手に入れた見返りが、線状降水帯に阻まれて本州に戻れないという仕打ちでした。
結果、鳥栖駅からバスと西鉄(JRは運休してたけど、西鉄動いてたんです。本当にありがとう、西鉄さん。)地下鉄を乗り継いで何とか博多までたどり着き、無事山陽新幹線で新大阪まで帰ってくることができました。
九州から大阪帰るだけで、こんな労力使うことになろうとは。
やはり、私は今年雨女です。
近々、天照大御神様をお祀りする神社に行ってこようと思います。