えちこの旅ブログ

知的好奇心のおもむくままに

MENU

消された女王・ハトシェプストの葬祭殿|2024年1月エジプト旅行⑱

阪急トラピックスさんの『【エミレーツ航空利用おひとり様参加限定】感動のエジプト ナイル川クルーズ8日間』に参加し、人生初のソロ海外旅行デビュー。

「王家の谷」で王墓見学をした後は、ハトシェプスト葬祭殿へ。

消された女王・ハトシェプスト

ギザの三大ピラミッドなどが建造された古王国時代の後、古代エジプトは第一中間期中王国時代と変革します。

続く第二中間期は、アジア系のヒクソスが侵入し王朝を立てました。

そのヒクソスをエジプトから追放し、新王国時代が始まり、第18王朝最初の王となったのがイアフメス

その息子トトメス1世は、アジアへの軍事遠征を行いました。

そして、そのトトメス1世の娘にあたるのが、今回ご紹介する葬祭殿を建設した女王・ハトシェプストです

「ハトシェプスト女王のオシリス柱頭部」@エジプト考古博物館

ハトシェプストは、トトメス1世の次の王となったトトメス2世と結婚しますが、二人の間に男児は生まれませんでした。

トトメス2世の死後、側室との間に生まれたトトメス3世が即位しますが、まだ幼かったため、ハトシェプストが摂政となり政治の実権を握りました。

(幼帝が立って、摂政が力を握る。日本の歴史でも出て来るパターン。)

ハトシェプストのスフィンクス像@エジプト考古博物館

新王朝の中で、大いに繁栄した第18王朝期ですが(初の宗教改革をしたアクエンアテンや、その息子・ツタンカーメンも18王朝の王です。)その礎を築いたのがハトシェプスト女王だと言われています。

葬祭殿や、王家の谷、カルナックアメン大神殿のオベリスクなどを建設し、また武力ではなく他国との交易を拡大することで、国の発展を行いました。

自身が王として君臨する正当性や、行った事業が葬祭殿のレリーフに刻まれているのですが、それらは彼女の死後、トトメス3世によって削られてしまいました。

以前は、摂政という立場で権力を握り続けたハトシェプストに対しての恨みから、彼女の存在を抹殺しようとした、と考えられていたようですが、近年では、女王の存在を消すことで、父(男性)から息子(男性)への王位継承権の正当性を強めた、という説が有力視されているようです。

3層テラスからなる広大な「ハトシェプスト葬祭殿」

ハトシェプスト葬祭殿は、女王の側近であったセンムトが責任者となりアル=ディール・アル=バハリの崖下に建設されました。王家の谷と崖を挟んで反対側に位置しています。

非常に素晴らしい葬祭殿で、エジプトに行ったら絶対に行きたい場所の一つ。

ただ、この場所で悲惨な出来事があったことも忘れてはなりません。

1997年、イスラム原理主義過激派「イスラム集団」のテロリストによる無差別テロがハトシェプスト葬祭殿で行われ、日本人観光客10名を含む62名の方々がお亡くなりになりました。

その後も何度かエジプトでは、テロで観光客の方が亡くなる事件が起こっています。

現在は、遺跡の入口ごとに手荷物検査があり、一定の安全対策は取られているかと思います。(ただ、バスを襲ったテロ事件もあったようで、それはもう防ぎようがないのでは・・・)

でも、海外にいようが、日本にいようが、いつどこで何が起こるかは分からない。この一言で片づけてしまうのは良くないのかもしれませんが、結局人生「運次第」やと思って生きています。

あ、話それたので葬祭殿に戻します・・・

入口にあったハトシェプスト葬祭殿の模型

入場チケットは360エジプトポンド(日本円で約1,800円)(2024年1月時点)

崖下に、君臨する葬祭殿。見事な景観です。

葬祭殿は3段のテラス構造となっています。

元々、女王の葬祭殿の隣に第11王朝の王・メンチュヘテプ2世の墓所があり、葬祭殿はそれをモデルに建造されました。

王は、王墓とは別に葬祭殿を築きました。そのため、ハトシェプスト女王のミイラは王家の谷で発見されています。

王家の谷に埋葬された王は60名以上いますが、全員の葬祭殿は見つかっていません。

というか、3000年以上残っている方が凄いのよね。普通、消えてなくなるでしょ。3000年も経てば。

当時、入口前に木が植えられており、その根っこが今も残っています。

凄く見にくいんですが、柵で覆われた地面の所、黒い塊みたいなのが根っこ。3000年ぐらい前の根っこ。

葬祭殿第一テラス

第一テラスには、前庭が造られていたそうです。

スフィンクス像、鎮座。

f:id:iechiko:20240316095846j:image

おめめ、パッチリ。

第一テラスから第二テラスへのスロープ。

葬祭殿第二テラス

第二テラス。広いんですけど。凄く立派過ぎるんですけど。

ちなみに、葬祭殿責任者のセンムトとハトシェプストは恋愛関係にあったのではないか・・・とも言われております。

ハトシェプストが主人公の漫画『蒼いホルスの瞳』では、確実にそのような関係性で描かれていました。気になる方はぜひご一読を。
f:id:iechiko:20240316095907j:image

愛と美の女神・ハトホル女神礼拝所の前の列柱室。列柱の頭部にもハトホル女神が刻まれています。

牛と向かいあって描かれたハトシェプスト女王のレリーフは、削られてしまっています。

結構劣化が進んでいますが、当時の交易の様子を描いたレリーフも残っています。
f:id:iechiko:20240316095824j:image

人が船漕いでいるの、分かりますかね・・・

ハトシェプスト女王は、当時プントと呼ばれていた国と交易をしていました。

プントの位置は明確には分かっていないようですが、今のエチオピアやエリトリア、ソマリア周辺の紅海に面していた辺りだと考えられています。

f:id:iechiko:20240316095832j:image
青い色の海の中に、お魚さんが描かれているのですが、描かれているのは紅海にいた海のお魚。

なお、紅海はダイビングスポットでもあるようで、ガイドさんもおススメしていました。ダイビングなー。やりたいんだけど、鼻腔が狭い私は耳抜きがとっても苦手・・・

葬祭殿第三テラス

第二テラスから第三テラスへ上がると、両側にずらりと列柱が並んでいます。

ハトシェプスト女王の顔をしたオシリス神像。

少し、顔に色が残っている箇所もありました。

列柱を抜けて、第3テラスへ。

人、多め。

崖、高め。

インディジョーンズみたーい。

(完全に雰囲気で言ってます。)

この奥が至聖所となっています。

レリーフはだいぶはがれていて、ちょっと何が描いてあるのか分からない。

(ま、綺麗に残っていても、大抵どういう場面が描かれているのか分からないんですけどね。)

第三テラスを見てまわって、ハトシェプスト女王葬祭殿見学、終了。

当時は、女王としての存在を消されてしまったハトシェプスト女王。

ですが、そんな彼女の葬祭殿が数千年間残り続け、現在多くの観光客にその名が知られることとなっているのも、これまた歴史というのは皮肉なもんだな、と思うのです。

この後、以前紹介したツタンカーメン王墓を発見したハワード・カーター氏のお家を見学し、石製品のお土産屋さんへ。

石でできた置物や、カップなんかが売っていたのですが、重いし、かさばるし、で相変わらず私は何も買うことなく、お土産屋さんの商品をただただ見学。

そしてその後、オプショナルツアーで「王妃の谷」にある「ネフェルタリの墓」見学へ。

最も保存状態が良いと言われるお墓の様子は、次回ご紹介します。