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【続100名城】No.107 秋田城(秋田)|2024年4月 桜求めて秋田旅①

関西の桜が散り始める頃、桜前線と共に北上し、初めて秋田に上陸してきました。

f:id:iechiko:20240419111554j:image秋田イッヌ。可愛すぎて罪。
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秋田は色々見どころがあるのですが、いかんせん広く、車の運転ができない身としては一度にあれもこれもと行くことは不可能。

ということで、今回は秋田駅近くのホテルを拠点に3泊4日の旅となりました。

秋田駅の改札出たらお出迎えしてくれる、でかい秋田イッヌとなまはげさん。

まずは、定番のお城巡り第1弾。秋田城をご紹介します。

秋田城へのアクセス

JR秋田駅から、秋田中央交通バス「将軍野線」または「寺内経由土崎線」行き乗車約20分。

「秋田城跡歴史資料館前」バス停から徒歩約3分。

利用案内|秋田市公式サイト

バスの本数は1~1時間半に1本程度です。

秋田城の歴史

秋田城は、奈良時代に日本海側の出羽国(でわこく)に置かれた地方官庁。

『続日本記』には「733年に出羽柵(いではのき)が、庄内地方から秋田村高清水岡に移転した」という記述が残っています。

移転後当初は出羽柵と呼ばれていましたが、760年頃「秋田城」と呼ばれるようになりました。

秋田城は、律令国家を進める奈良時代に、東北地方の蝦夷支配を目的として設置した城柵(軍事・行政機関)の一つ。その中で、最も北に位置しています。

平安時代の878年、蝦夷の人々による元慶の乱が起こり、一時的に占拠されますが、10世紀の中頃までは機能していました。その後、10世紀後半に古代城柵としての機能を失いました。

城内の見どころ

秋田城があったエリアは、「秋田城跡史跡公園」として整備されています。

上記マップの真ん中辺り、ちょっと濃い緑のお抹茶色している部分が公園。

まずは、歴史資料館でスタンプを押そうと向かっていたら

えぇぇ。付近はそれほど山深い感じもしないのに、こんな所にまでクマさん出没ですか・・・熊鈴、持ってきてないんですけど。

秋田市立秋田城跡歴史資料館

続100名城のスタンプの設置場所。

帰りのバスが1時間後なのであまり時間がないのですが、こちらで少しお勉強もしたいので、入館(有料)

こちらでのスタンプは、出口付近にあるため入館料が必要となります。

ですが、秋田城のスタンプはもう1か所、史跡公園管理棟にもあり、そちらであれば無料で押せます。

ただし、9:00~16:00以外は押印不可&12~3月の冬季期間は閉鎖されるそうなので、ご注意を。(冬季期間も、資料館であれば押印できます。)

秋田城の全貌ジオラマ。

城内から出土したものが、色々と展示されていました。

「人面墨書土器」は、人についた穢れを封じ込めて祓うための、いわば呪いの道具だったようです。

祓う対象の人の顔がユニーク過ぎるんだが・・・

そして、ここ秋田城で最も私が見たかったものがこれ。

古代の水洗トイレです!

資料館では、ちゅう木(くそべら)も展示されていました。

毎回思うけど「くそべら」っていう名前のストレートさよ。

こんなの現代人が使ったら、おケツ、血まみれ確定。一発で皆さんボラギノールのお世話になることでしょう。

そして、沈殿槽内の出土状況写真があるということは、これは使用後・・・?

古代のトイレ事情に妄想を膨らませながら、資料館を出て史跡公園内へ。

史跡公園内は無料で入ることができます。

政庁

政庁は、東西94m、南北77mの区域にある秋田城の中心施設。

まずは資料館から、公園内へ渡る史跡公園連絡橋を渡ります。

この橋の手前は、当時の政庁の西門にあたる場所。

秋田城で最も重要であった正殿跡。

ほぼ同じ場所で、6回建て替えられており、最初の正殿は白壁で床には煉瓦が敷き詰められてたことが、発掘調査から分かっています。

政庁から城外へ

政庁の東門を抜けると、

ドンと城内東西大路が広がります。

当時この道は、政庁から外郭東門を経て、城外へ延びていました。

政庁などと同様、こちらの道路も6時期の変遷があることが分かっています。

復元されている道は、奈良時代のもので道幅12m。なお、平安時代には9mに狭められたそうです。

奈良時代の大路は、現代の道路によって途中分断されています。

復元された外郭東門と外郭築地。

鵜ノ木地区

外郭東門の外側にある鵜ノ木地区には、寺院兼客館がありました。

建物跡と共に、井戸跡も見つかっています。

出羽柵が遷された、733年頃に造られたと考えられています。

水の確保は、生きていく上で何よりも大事ですからね。

水さえあれば、人間は食べ物がなくても30日ぐらいは生きられるって聞いた事あるし。

古代水洗トイレ

お待ちかねの古代水洗トイレです。

城内の見学時間があまりなかった上に、城内が思ったより広かったので、実際は一目散にこのトイレ目指して歩いてきていました。(シンプルに、トイレ行きたい人の行動。)

小屋の見た目は、現在のトイレとしても通用しそうな外観。(ただし、実際この見た目のトイレ入るには、勇気いるけどね。)

調査の結果から、奈良時代後半のものであることが分かっています。

私が何でこんなにトイレにこだわっているのかと言いますと、このような建物構造を持ち、水洗機能が整備されたトイレの遺構は、ここ秋田城でしか発見されていないからです。

すなわち、ここは、現在発見されている日本最古の水洗トイレな訳です!

トイレ跡は、盛り土した上に建てられており、建物内の便槽から斜面方向に木樋が埋められ、その先端部分には沈殿槽が掘り込まれています。

この沈殿槽に溜まったものは、ずーっと放置だったんだろうか・・・(お食事中の方は、想像しないように。)

トイレの中も復元されているので、中に入ってみます。

3つの便槽があり、それぞれちゃんと個室になっています。

トイレ内のプライバシーが、ちゃんとこの頃から守られていたようです。

こちらが、TOTOの先駆けともなる古代の水洗トイレ(復元)です。

水洗用の設備が確認されなかったため、大甕に貯水して、柄杓で水を汲んで流したと考えられています。

トイレの復元の場所に、よく「使用できません」っていう注意書きがあるんですけど、注意書きなければ実際使っちゃう人いるってことなんでしょうか。さすがにアホすぎん?

足場の木の間から、便槽も覗いてみた。

綺麗です。(そりゃな。)

古代水洗トイレは、客館に付属する施設のようで、検出された寄生虫の分析から近畿地方や、大陸からの来訪者が使用したと考えられているそうです。

そんな事まで分かるのか・・・う〇こってすげぇ。

お尻を拭く、ちゅう木もありました。

トイレって、誰もが1日に1回以上使用するし、文化や文明を反映したものの一つでもあると思うんですよね。

海外に行くと、日本のトイレの清潔さとクオリティの高さを改めて感じますし。

100名城・続100名城には、数か所の古代城が選ばれていますが、トイレに関する遺構はここだけ。

そんな訳で、このトイレの存在は凄く興味深くて、実際に見てみても面白いものでした。

(今回、話の半分がトイレ・・・)

利用案内(秋田城跡歴史資料館)

  • 開館時間:9:00~16:30
  • 休館日:年末年始(12/29~1/3)
  • 観覧料:一般310円 高校生以下無料

★史跡公園内は入園無料。年中入園可

www.city.akita.lg.jp

おまけ

資料館にあった、古代水洗トイレ復元模型。

最中が、復元・・・

続100名城のスタンプ帳 公式ガイドブック