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【100名城(世界遺産)】No. 98 今帰仁城(沖縄)|2023年1月沖縄③

12年も行ってなかったくせに、一度行ったらすっかり沖縄が恋しくなって、YouTubeでガレッジセール ゴリさんの動画を見て沖縄に想いを馳せています。年内にまた行こう。

沖縄旅2日目。本日は丸1日水族館周辺エリアを観光します。

まずはホテルからバスに乗り、100名城であり、世界遺産でもある今帰仁(なきじん)城」へ。

世界遺産名:琉球王国のグスク及び関連遺産群

琉球王国の歴史を伝えるグスクやその関連遺産が9か所登録されています。(登録年:2000年)

今帰仁城へのアクセス

バス:本部循環線今帰仁城跡入口」下車徒歩15分

   またはやんばる急行バス(四島線)今帰仁城跡」下車すぐ

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やんばる急行バス(四島線)時刻&運賃表(2023年1月時点)

宿泊していた「ロイヤルビューホテル美ら海」前にバスが停まるので、私はやんばる急行バスを利用しました。ホテルから今帰仁城までは15分弱で運賃は300円。

安いのはいいのですが、本数が非常に限られているのが難点です。私以外にも2組ホテルから利用している方がいたのですが、皆さんハートロックで有名な古宇利島へ行かれました。絶景もいいけど、それよりも城。今回の旅、ここを含めて4か所のお城攻めしています。

今帰仁城の歴史

今帰仁城の創建は明確なことは分かっていませんが、13世紀後半から14世紀にかけて造られたと考えられています。

1429年に琉球王国が成立しますが、それ以前の沖縄本島北山・中山(ちゅうざん)・南山(なんざん)の3つの勢力に分かれていました。

農耕の始まりとともに、集落には按司あじ)と呼ばれるリーダーが生まれ地域を束ねるようになりました。そして13世紀頃から各地で勢力争いが生じ、グスク(城)が造られるようになりました。

今帰仁城は北山で力を持った按司の居城でした。

1416年、北山王の攀安知(はんあんち)は本島統一を目論む中山の尚巴志と戦いました。善戦するも、北山王の腹心の裏切りによって城は陥落。攀安知は裏切り者を殺害し、自身も切腹。こうして北山は滅んでしまいました。琉球王国成立後は、今帰仁城には中山から監守が派遣されました。その際に北山王国の建物は破壊され、首里城と同じように正殿が整備されました。

17世紀まで尚氏の管理下にあった今帰仁城ですが、1609年の薩摩侵攻により炎上し廃城となりました。

その後も城は聖域として存続し、平成12年には琉球王国のグスク及び関連遺産群の構成資産として世界遺産に登録されました。

城の遺構

チケット売り場から外郭(無料エリア)

バス停を降りてすぐの場所に券売所があります。こちらの建物に100名城のスタンプもあります。あと御城印の購入もチケット販売窓口でできます。

拝観料は「今帰仁村歴史文化センター」と合わせて大人600円。

ですが拝観チケットが必要なのは「平郎門」以降なので、その手前までならチケットなしでも入ることができます。(チケット購入して城跡見た方がもちろんいいですけどね。)

世界遺産に登録されたグスクは全部で5つ。石垣には石灰岩が使用されていますが、地域によって異なる石が使われているそうです。

今帰仁城の石材はこちら。地質学に長けていたら、石の違いという観点で城を見ていくことができて面白いんでしょうね。

今帰仁城跡立体模型

石垣による縄張り全体図を把握することができます。

外郭エリア

高さ2メートルほどの低い石垣が蛇行しています。石垣好きの私は既に「沖縄のお城、素敵!」と興奮しています。沖縄グスクの石積みは、本土のお城よりも100年以上も早く始まったんだそうです。

後ろは大隅の石垣。大隅と書いて読み方は「ウーシミ」沖縄の言葉は読み方が難しい。

古宇利殿内(ふいどぅんち)

祠は古宇利島のある北東の方角を向いていて、古宇利島の人たちが旧8月に遥拝されるそうです。なお「古宇利」は沖縄の方言で「フイ」と言うそう。(文字数合ってないんですけど?)

この木何の木みたいな木があった。

今帰仁城の城壁には、約2億3000万年前の石灰岩が使われておりアンモナイトの化石が見られることも。すご。

ここまではチケットなしでも拝観可能です。

平郎門から城内へ(有料エリア)

平郎門

門前にチケット確認所があり、そこでチケットを見せて城壁内へ。

こちらの平郎門は今帰仁城の正門で昭和37年に修復されました。

この道は戦後に作られたもの。両脇にはカンヒザクラの木がずらり。開花時期は1月~2月で、毎年今帰仁城では桜祭りが行われています。2023年は1月21日~29日の期間で開催。

第16回今帰仁グスク桜まつり|ニュース&イベント情報|一般社団法人今帰仁村観光協会|【公式】ホームページ

まさに今行われている最中ですが、果たしてこの大寒波の影響で桜どうなっていることやら・・・

私が行ったのは1月13日。ほんのちらほらですが桜咲いていました。

2023年の初桜。大雪が降る地域がある一方、沖縄では桜が咲いている。そう考えると日本って広い。というか、今さらですが物凄い曇天で写真が全部暗いわ。

旧道

平郎門を通って右側、戦後に作られた道の隣に本来の通路であった旧道があります。防衛上の理由から、道幅は狭く曲がりくねった急階段になっています。

大庭(うーみゃ)

かつてはこの大庭を取り囲むように正殿(主郭)、北殿、南殿が配置されていたと考えられています。

御内原(うーちばる)

大庭の北側の広場。ここはとても眺めがよく、平郎門の左側にある大隅や海を見下ろせます。

大隅を上から見た景色。大隅は兵馬の訓練をした場所と考えられています。

上から見た城壁がかっこよい!このような城壁のあるお城は今まで見た記憶がなく、やはりここには、元は日本とは異なる文化や歴史の国があったんだなと思います。そもそも「うーしみ」とか「うーみゃ」とか場所を示す言葉が、全然聞きなれないですしね。音の響き、やたら全部可愛いけど。

御内原は、今帰仁城に仕えた女官の生活の場と考えられており、城内で最も神聖な場所とされています。こちらはテンチジアマチジと呼ばれる御嶽。「御嶽」とは琉球独自の際し施設のことで、神様が存在または来訪する場所のこと。

世界遺産にも登録されている斎場御嶽(せーふぁうたき)が観光スポットとして有名です。(今回は行かなかったので、次回沖縄来た時にはぜひ行こうと思ってます。)

御内原とこの区域は男子禁制であったそう。女人禁制の文化は本州の寺院や山で聞きますが、その逆なところが琉球文化は面白いなと思います。

主郭

大庭の東側にある一段高くなった廓。正殿など城内で最も中心的な建物があった場所とされています。

こちらの祠には、第二尚氏時代の北山監守一族の火の神が祀られています。火の神様は家とそこに住む人々を守ると考えられ、現在でも沖縄では台所に火の神を祀っている家庭もあるそうです。何かこの話、聞いたことある。

火の神様のイメージとして『ハウルの動く城』に出てくるカルシファーが出てきたんですけど、あれ火の神様じゃなくて火の悪魔だったわ。

今帰仁城今帰仁集落跡の間にあるハンタ道を通って、少し歩いた場所にも今帰仁阿応理屋恵火之神の祠(なきじんあおりやえひぬかんのほこら)がありました。今帰仁阿応理屋恵とは、今帰仁城内の祭祀を司る国頭地方の最高位の神女のこと。北山監守の一族の娘や妻がその職に就いていたそうです。

志慶真門郭(しげまじょうかく)

主郭の南側を見下ろすと見えるのが志慶真門郭。調査によってこちらには4つの建物が建立された跡があり、城主に仕えた人々が居住していたと考えられています。

これで一通り城内を散策できたので、平郎門へ続く道を降りて門外へ。

今帰仁村歴史文化センター

帰りのバスまでまだ時間があったので入館。お城の拝観チケットで、こちらの文化センターも入館可能です。今帰仁城今帰仁村の歴史や文化を紹介する展示品があります。

こういう施設内って、カメラ撮影していいのかどうかよく分からないので、撮影は控えています。(毎回入口で「撮影しても大丈夫ですか?」って聞き忘れる。)

利用案内

  • 入館料:大人600円 中高生450円 小学生以下無料   
  • 開館時間

   ①通常期(1~4月、9~12月)8:00~18:00(最終入場17:30)

   ②夏期(5~8月)8:00~19:00(最終入場18:30)

  • 年中無休

おまけ

今帰仁村文化センター内にあった「桜まつり」のちらし。

そない同じところに並べて貼らんでも。