えちこの旅ブログ

知的好奇心のおもむくままに

MENU

【100名城】No.3 松前城(北海道)

体は丈夫だけど(というか、ウイルス系にすこぶる強い)お肌激よわ体質なもので、現在、謎の大肌荒れに苛まれています。顔面、赤と肌色のまだら色なんですけど・・・

人間、完璧に健康な人はそうそういないということですね。

 

前回の函館 五稜郭に続いて、今回は同じ北海道にある100名城「松前城」の紹介です。

訪問日:2016年10月18日

松前城へのアクセス

JR木古内駅から函館バス 約1時間30分「松城」下車 徒歩約10分

函館からは、まずいさりび鉄道に乗って約1時間で木古内駅へ。

乗ってきたいさりび鉄道とは別に、JRの駅もあります。

こちらは2016年3月に開通した北海道新幹線の停車駅として、新たに設立された駅のため、10月時点ではまだ開業して半年ちょい。とても新しくて綺麗な駅でした。

駅前には、道の駅(正しくは駅の駅だと思うんだが)もあります。

木古内ゆるキャラ 「キーコ」

(名前に牛感が1ミリも入っていないとこ、もはや清々しいっす)

この道の駅前にあるバス停から、バスが出ています。

普通の路線バスのはずですが、長距離移動のためかでっかい大型バスタイプでとても快適でした。

松城バス停。海をバックになかなか絵になるバス停です。

松前城の歴史

松前は、北海道唯一の城下町。

開国に伴う外国船出没の対策として、幕府が松前藩に築城を許可したお城です。

基になったのは、元々存在していた福山館という陣屋でした。

(福山館、いい名前です)

1850年の築城で、ここが最期の日本式城郭

(この後に、五稜郭ができてるんですが西洋式の星形なので、「日本式」という点ではこちらが最後。)

戊辰戦争では、土方歳三旧幕府軍に攻められ落城。

天守は、昭和24年の火事で焼失後、昭和35年に再建されました。

現在は城跡や寺町、松前藩屋敷などを含む「松前公園」として桜の名所としても有名な場所となっています。

城の遺構

入口

天守

再建された天守の中は、現在資料館となっています。

アイヌに関する資料があるのはさすが北海道だな、と思いました。

本丸越しの山がきれい。

本丸御門

本丸御門は、築城当時から残る数少ない遺構の一つ。

本丸表御殿玄関

福山館時代、一度火事が起こった後、京都伏見城から表御門を移築。(遠いとこはるばるようこそ)

城が取り壊された後も、表御門と先ほどの本丸御門は残り、こちらの表御門は小学校として使われていたそうです。

その小学校が新しくなっても、この門だけは正面玄関として使われてたそう。

歴史の中で、武士や幕末の動乱を経て、小学生の子供たちの笑顔を見てきた建物。

京都から来た甲斐あったね。(誰の目線)

少し高台にあるので、海がよく見えます。

搦手二ノ門

天神坂

利用案内

  • 松前城資料館:大人360円 小人240円 
  • 開館期間:4月10日~12月10日
  • 営業時間:9:00~17:00(入館受付16時30分まで)

 松前城周辺の寺院巡り

松前城周辺は寺町と呼ばれ、お寺や神社が歩いていける距離に複数あります。

帰りのバスまで時間は余裕があったので、時間つぶしがてらお寺巡り。

元々、江戸時代には15の寺院があったそうですがそのほとんどが戊辰戦争で焼失してしまいました。

寺院周辺には桜の木が沢山あります。春は相当綺麗なことでしょう。

そして、人が沢山来ることでしょう。10月中旬だったため、人はほぼおりませんでした。時々、お散歩中と思われるご近所のおじいちゃん、おばあちゃんに出会うぐらい。

阿吽時

元々の山門は火事で焼失したので、現在の門は松前城から移築されたもの。

法源

表から門のみ見て、次!

(各寺の詳細資料を持ってた訳でなく、詳しく分かんなかったのでかなりさくさくっと回っております。)

松前神社

境内にある縁結びの木

一人でこういうとこに来ると「あいつめっちゃご縁求めてるやーん」と思われたら嫌やな、いや、しかしそもそもそんな周りの人はお前に注目してないよ、みたいな自問自答を繰り返してしまうかもしれませんが、ここは心配ご無用。

人、いないから。思う存分、願っちゃいな。

この松前神社から、松前城が綺麗に見えました。

龍雲院

お寺の名前になっている龍の彫りが素敵で内部侵入。

光善院

この血脈桜という何とも花に似つかぬ名前が気になったので、名前の由来をウィキペディア師匠に聞いてみました。

以下長いので、気になる方はどうぞ。

昔、松前の城下で鍛冶屋として働いていた柳本伝八という人物が、隠居後に娘の静枝を伴って上方見物に旅立った。

江戸を経て伊勢神宮に参拝し、京の都や奈良を巡って吉野にたどりついた。折しも吉野はサクラが満開で、伝八親子はしばらくこの地に逗留することに決めた。

親子はこの地で、近くの尼寺に住む美しい尼僧と懇意になった。

伝八親子がいよいよ故郷の松前に帰る日が訪れたとき、尼僧は親子との別れを惜しんで1本のサクラの苗木を吉野の土産にと贈った。

帰郷後に伝八親子は、菩提寺光善寺にこの苗木を寄進した。

月日は流れ、光善寺十八世穏誉上人の時代に本堂を立て直す話が持ち上がり、改築の支障になるこのサクラを伐採することに決まった。

明日はいよいよ伐採という日の深夜に、美しい娘が上人のもとを訪れた。

娘は「私は近々死ぬ身の上です。どうか血脈(法脈を示す系図で極楽への手形といわれる)をお授けください」と懇願した。

上人は娘の熱心な願いにほだされて、血脈の証文を授けることにした。

翌日の朝、サクラの木の枝に何かが揺れているのを上人は目にした。よく見ると、それは昨晩娘に授けたあの血脈の証文だった。

上人は「さては昨晩の娘さんは、この木の精であったか」と悟り、伐採を取りやめて娘とサクラの木のために懇ろな供養を執り行った

上人のもとに現れた娘については、静枝の霊であったともいわれる。

それ以来、このサクラは「血脈ザクラ」の名で呼ばれるようになった。

Wikipediaより抜粋

えーいわゆる、トトロで言うところの「夢だけど、夢じゃなかった!」と同じですね。

www.visit-hokkaido.jp

おまけ(松城バス停周辺&新幹線木古内駅

帰りはまたバスで木古内駅まで戻ります。

バスまでまだ時間があったので、近くの道の駅へ。

水槽をご自由に観察どうぞ、と書かれたので覗いてみた。

 

あわび、ぺったり。

カメラ目線、ありがとう。

駐車場から見える海が綺麗でした。

確か、うっすら見えてるのは青森県・・・だったような。

木古内方面への松城バス停の待合室は、ロッカーもトイレも完備!

おそらく、桜の季節に来る観光客に対応してると思われます。

ちなみに、帰りは普通の路線バスでした。

木古内駅からは、北海道新幹線に乗って青森県へ。

新幹線木古内駅は、とても新しく、トイレも待合室も綺麗。

ただ、売店は一切なく自販機のみ。新幹線の駅だから小さな売店ぐらいあるかなーと期待してたんですけど。そして、人がいません。

新幹線の駅なのに、私と駅員さんしかいないです。

(その後、男性が一人だけ来られました)

そんなことある?新幹線やで。ローカルワンマン電車ちゃうで。

この何もない駅で、ひたすらスマホいじって1時間時間をつぶして、そろそろ時間だなーとホームに上がったら

ホームせまっ。

あれから約6年。今はどのような状況になっているのでしょうか。

まだ未訪問の続100名城「上ノ国勝山館」は、この木古内駅からまたまたバスで行く場所にあります。近いうちに再びこの木古内駅に再訪したいと思います。