2022年5月福井旅行。
前回の記事はこちら。
宿泊先はあわら温泉ですが、そこへ行く前に、私がスタンプを集めている『続100名城』に選ばれた福井城へ。
福井城へのアクセス
アクセス良好のお城は、公共交通機関を駆使して旅行をする私にとってありがたい。
城内には、現在福井県庁と警察が建っています。いいな。毎日お城に通勤って。
多分、毎日通勤してる人は何とも思わないんだろうけど。
福井城の歴史
福井城の前身は、1575年に柴田勝家が築城した北庄城。1583年の賤ヶ岳の戦いで勝家が敗死し、北庄城も焼失しました。
その後、1600年にこの地に入った徳川家康の次男の結城秀康が、翌年から6年がかりで北庄城を拡張し、新たな城を築城しました。秀康はその後、越前松平氏を名乗り、3代松平忠昌のとき城名が「福居(福井)城」に改名されました。
城内
結城秀康像
1574年に徳川家康の次男として生まれ、豊臣秀吉の養子となった際「秀康」と名乗るようになりました。
1607年に34歳の若さで亡くなっています。
秀吉の「秀」が先に来ているところに、当時の力関係が示唆されてるような・・・
(恐らく)日本特有の、上の人の名前先に書くルール。メールの宛先とか。マジどうでもいい。と思いながらも気にしてしまうのが会社員の性。悲しい性・・・
天守跡
当時は、四層五階で高さ30mほどの立派な天守が建っていたそうです。
1669年に火災で焼失したのち、再建されることはありませんでした。
現在も礎石を確認することができます。
この石垣のゆがみは、1948年に起こった福井地震のもの。
こちらの地震について、全然知らなかったんですがウィキペディア師匠で調べたところ最大震度6。死者・行方不明者3,769名という大きな被害をもたらした地震だったようです。過去の地震の傷跡を各地で見る度、日本という国にいる以上、どこにいてもどの時代に生きても、地震から逃れることはできないんだなと思い知らされます。
福の井
天守台にある井戸。築城当時からこの場所にあったと考えられていて、「福井」の名前の由来になったとする説もあるそうです。
平成29年に井戸枠や石積みが震災以前の姿に復元されました。
県名の由来(の一説)の井戸がこんなところにひっそりと!!これ、福井県民の方はご存知なんですかね?私福井県民なら知らない自信あります。(何その架空設定の根拠なき自信)
山里口御門
次に紹介する御廊下橋からの入口として設けられた城門。
棟門と二階建ての櫓門で構成されています。
平成30年に復元されました。櫓門の中はちょっとした資料コーナーになっています。
御廊下橋
御廊下橋は、御座所(藩主の生活の場)と本丸の往復に用いられた藩主専用の橋です。
カラスが番人として居座ってました。
鯉、うっじゃうじゃ。
現在の橋は、平成20年に福井城築城400年を記念し、明治初期に残っていた古写真をものに当時の姿に復元されたものです。
後ろに見えるは警察本部の建物。城内に今も県庁や警察が置かれてるっていうことは、ここをずーっと県の重要機関の場所として使ってるってことですよね。
結城秀康公もきっと喜んでいることでしょう。(知らんけど)
ちなみに、福井城のスタンプは県庁舎内にあるんですが、週末は県庁お休み。
その場合は、県庁時間外出入口のインターホンを押すと、守衛室さんが応対してくれて時間外入口から中に入ってスタンプ押すことができます。
天守はありませんが、一部復元されている遺構もありますし、何より石垣が立派に残っています。(私はお城の遺構で石垣が一番好き。)
駅からも近いので、空き時間などに散策がてら見に行くのにいい場所かと思います。