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【女一人歩き遍路】第8回目4日目 68番 神恵院~70番 本山寺

※この記事は、2015年9月~2019年4月まで3年半かけて歩き遍路をした記録です。情報などは当時のものなので、現在と変わっていることがあるかもしれません。ご了承ください。

【前回の記事はこちら】

iechiko.hatenablog.com

 

2018年5月14日

 

8回目お遍路旅、最終日となりました。

あっという間です。

今日はとにかく沢山お寺をまわらないといけないので、その分ひたすら歩くよりも時間が必要です。

てな訳で、最終日も早起きして朝6時にホテルを出発。

 

すっかり雨は上がり、今日は快適に歩けそうです。

良かった、良かった。

 

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悟空、準備中です。

精神と時の部屋で修行していると思われます。

 

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目指す68番と69番は、一つの境内にあるんです。

なんて嬉しい札所でしょう。一気に2箇所行けちゃう。

丸1日以上かけてたどり着く札所に比べたら、文字通り「神の恵み」です。

 

一時間ほど歩いて観音寺市に入ると、目に入るのが

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寛永通宝

 

マンホールもこの図柄でした。

(写真撮り忘れ・・・)
なぜかというと、それは後程のご紹介・・・

 

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仲良く揃って残り600m。

出発して1時間半ほどで到着

 

68番 神恵院(じんねいん)&69番 観音寺

 

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共通の仁王門を入ります。

 

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こちらが境内マップ。

仁王門から階段上って、69番。さらにもうちょい上って68番。

やっぱ番号通り行くべきかな、とまずは神恵院へ。

 

日証上人が703年に宇佐八幡宮のお告げを受け、海で神船と琴を発見。

それを琴弾山に琴弾八幡宮として祀ったのが始まり。

その後、弘法大師が本尊として阿弥陀如来を安置しました。

 

明治時代の神仏分離により、琴弾神社と神恵院に分離し、神恵院がふもとにあった観音寺に移されました。

という経緯で、同じ境内に二つの札所が存在することとなったんですね。

 

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本堂

これだけ見たら、お寺の本堂とは誰も思わないコンクリ打ちっぱなし。

ちょいちょいこういうデザインに遭遇します。でもやっぱお寺は木造であって欲しいなー

 

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大師堂

 

続いて、69番 観音寺

開基も創建時期も、神恵院と同じ。

 

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本堂

新築された68番の本堂とは打って変わって、こちらは国の重要文化財に登録されてます。

 

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大師堂

納経所も共通で、二つの御朱印をいただきます。

で、ここの札所は琴弾公園に隣接してまして、その公園にはちょっとした名物があります。それを見たさに、ちょっくら寄り道。(無駄な体力なるべく使いたくないけど)

 

本堂横の階段を上がり、薬師堂へ。

 

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そして、この薬師堂の横から境内を出て、坂道を上って行きます。

 

私、境内すぐに隣接してるんかと思ってたんですが、微妙に距離ありました。

このわずかな体力も温存したい4日目の朝。

それでも「せっかくだから・・・」精神で5分弱歩いて展望台へ。

そこから見えるものが・・・

 

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ん?よくわからないですか?

 

では、ズームイン!!

 

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ダーン!!

 

でっかい寛永通宝銭形砂絵でございます!

街中に「寛永通宝」が溢れていたのは、これが理由。

 

1633年 藩主の生駒高俊を歓迎するため、地元住民が有明浜に銭形砂絵寛永通宝を一夜のうちに造り上げたという伝説があるそうです。

この砂絵、山頂から見た時に綺麗に見えるよう、わざと縦長の楕円形につくられてるそう。(ちなみに、東西122mもあります。)

 

この銭形を見た人は、健康で長生きできてお金に不自由しなくなる んだそうです。

最高じゃないですか。

好きな事して生きるには「健康」が一番ですが、やっぱ「お金」も大事よねー。

 

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ちなみに、上記の内容が説明された案内板には、日本語以外にも英語、韓国語、中国語が二つ(多分、北京語と・・・広東語?とかなのかな。分からないですが・・・)書かれてます。

 

諸外国の方にも人気スポットなんでしょうか。

私が行った時は朝も早かったので、(8時。しかも平日月曜)誰もいませんでしたが。

これで将来安泰だな、と満足して次は4.5キロ先の70番本山寺を目指します。

 

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山の上、超もやもや~んです。

地上はすっかりいい天気ですが、いまだ山の上の方は雨が残ってるんでしょうか。

 

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でんでんむし!!

久々に見た!!昔、かごに入れて家で飼ってたことがあります。(数日で飽きて逃がしたけど)

 

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JR予讃線の線路下をくぐり・・・1時間強で到着。

 

70番 本山寺

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八十八箇所で、唯一馬頭観音を本尊としているお寺。

なので、本堂の横に

 

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ウマの像があります。

きっと、午年には初詣客が増えるお寺に違いない。(注:個人的見解です)

 

平城天皇の勅命を受け、弘法大師が一夜ほどの短期間で建立したと伝えられています。

お大師さんの過去の業績ありすぎて、どう考えても10人ぐらいいないと無理じゃね?あるいは200年ぐらい生きてたんじゃね?って思います。

 

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本堂




大師堂

 

そしてこちらにはお大師さんが建立したという五重塔があるんですが・・・

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絶賛平成の大修復中。

五重塔があるお寺、お遍路では珍しいので見たかったので残念です。

明治43年にこちらのご住職さんによって再建されたもの。

盲目だったご住職さんですが、59番国分寺を巡礼後に目が見えるようになり、その恩に報いるために復興させたそうです。


実物はこんな感じ。

お写真で拝見しておきましょう。

(今調べたところ、五重塔の修理は2019年4月に完了しているようです。なので2021年現在は修理後の立派な塔を見れることかと思います。)

大師像があるお寺多いんですが、それぞれ結構個性があって、個人的にこれを見るのも楽しみの一つであります。

このお大師さんは、ぐいっと前に進んでて躍動感あっていいですねー

 

本堂でご本尊の拝観できたんですが、予定がパンパンなので先を急ぎます。

 

次は12キロ先71番 弥谷寺です。

 
 

私が旅の間愛用していたガイドブックはこちら。

納経帳とほぼ同じサイズで、サブバックに収まります。

地図と各お寺の案内が書かれてるので、一冊あるととても便利。