※この記事は、2015年9月~2019年4月まで3年半かけて歩き遍路をした記録です。情報などは当時のものなので、現在と変わっていることがあるかもしれません。ご了承ください。
【前回の記事はこちら】
8回目のお遍路旅、ようやく最後のお寺となりました。
納経所が閉まる17時まで残り30分しかありません。
もはや完全に早足です。
案外、底力はまだ残ってるもんです。
こちら『月曜から夜更かし』で優しいジャイアンさんが挑戦していた超かったいお菓子「かたパン」が売ってるお店 熊岡菓子店です。
すげぇ気になる。私もぜひその硬さに挑戦したい。でも、寄ってる時間ない。
やむを得ずスルー。
そして、何とか15分前に到着
75番 善通寺
本当はこのお寺、時間をかけてゆっくり見たかったんです。
なんせ、こちら弘法大師が産まれた場所に建つお寺。
善通寺という名前は、弘法大師のお父さんの法名・佐伯善通から取ったもの。
道路を挟んで本堂や五重塔がある東院と、御影堂(大師堂)がある西院に分かれています。
高野山、東寺と共に弘法大師三大霊場跡のひとつとされている場所です。
悲しいかな、時間がない私にとってはこの広大な敷地がつらい・・・
でも、きちんと先に参拝してから納経所へは行きたい、と急ぎ本堂へ。
すると、前から赤リュックさんが!
おー!良かったねー間に合ったねー!!
とお言葉をいただき、その場で「イェーイ」とハイタッチ。
人生で初めてお寺でハイタッチしました。
金堂(本堂)
お子さん、激似ですね。
さすが、立派な本堂です。
明治に再建された五重塔は、高さ約43メートル。
はい、急いで大師堂のある西院に移動!!
何なんだ、最後の最後でこのせわしなさは・・・
こちらが西院。
御影堂(大師堂)
この御影堂は、弘法大師が産まれた佐伯家跡に建っています。
まさにここが弘法大師誕生の地!!
この御影堂の地下には真っ暗な中を手探りで歩く「戒壇めぐり」があり、なんとコンピューターで再現された大師さんの声も聞くことができるそうな。
そして西院には宝物館もあるそうな。
いずれも行ってないですけどね。なんせここに着いたん16時55分やったんで。
早口で般若心経を唱え、ダッシュで(気持ちは猛ダッシュ。でも実際は控えめ早足)納経所へ。
はい。無事今回の目標75番まで全て打ち終えることができました。
納経所が閉まるのは17時ですが、お寺の拝観が終わる訳ではないので、そのあとゆっくりと西院を散策。
ブラブラしてると、またまた赤リュックさんに遭遇。
こちらの善通寺、宿坊があるんですが赤リュックさんは今夜はこちらに泊まるとのこと。
ちなみに、76番以降宿坊があるお寺はないので、私はもうこのお遍路旅で宿坊に泊まる機会はありません。
結局、第1回目で6番の安楽寺宿坊に泊まっただけでした。
ずっと通しで歩いておられるんですか?
と聞くと、なんと驚きの答え。
うん。京都の東寺から出発して、ずっとここまで歩いてるんねん
・・・え?京都?
1番札所がある徳島じゃなくて、本州の、私の住む関西の、あの京都?
海、どうやって渡ったんですか・・・?
って、お別れしたあとに猛烈に疑問湧いたんですが、その時は京都から歩いてるという今まで出会ったことないパターンにただただ
へぇぇぇ、すごいっすねー
とアホみたいな感想しか出ませんでした。
たかだか4日で足パンパンにして、マメ3つも作って「痛い、痛い」と嘆いてる私なんてホンマへなちょこパンマンです。(何その人気なさそうなヒーロー)
上には上がいるもんです。
何か色々お話し聞いてみたかったですが、私、今から電車乗って大阪に帰らねばなりません。そんなに悠長にしてる余裕もないんです。
てな訳で、赤リュックさんとそのお友達(こちらの方とは全くお話しはしませんでしたが)の検討を祈りつつ、お別れし、善通寺をあとに。
境内外の道を駅に向かってると、東院側の門前を通りました。
20分ほどで善通寺駅に到着。
お疲れ様でしたー!8回目の遍路旅、これにて終了です。
善通寺駅から岡山まで特急南風に、そして岡山から新大阪まで新幹線で帰ってきました。
残すところ、76番から88番まであと13か所。
ざっと計算したところ、おそらくあと4日あれば行けるかと。
すなわち、あと1回の遍路旅で結願できそうです!!!
年内に打ち終えることが目標!あと1回頑張ろう!
(とこのときは思っていましたが、結局最終回のお遍路旅は2019年4月の決行となりました。)
私が旅の間愛用していたガイドブックはこちら。
納経帳とほぼ同じサイズで、サブバックに収まります。
地図と各お寺の案内が書かれてるので、一冊あるととても便利。