尾道から瀬戸内クルージングが運航する船に乗船し、鞆の浦へ。
今回は、幕末の志士・坂本龍馬にゆかりのある場所を含めた、鞆の浦の観光スポットをご紹介します。
鞆の浦に到着したのが14時ちょい前だったので、あまり時間はありませんでしたが、歩いてまわれる範囲に観光スポットが複数あるので、港周辺を散策しながら割と効率よく観光できました。
福禅寺対潮楼
細い路地の片側にある石垣。
この上に建立しているのが、福禅寺対潮楼(ふくぜんじたいちょうろう)です。
拝観料は大人200円。
平安時代、空也上人によって建立されたと伝わる寺院。
本堂や、隣接する対潮楼は江戸時代に建てられたもの。
幕末期、坂本龍馬率いる海援隊が、大洲藩から借り受けた「いろは丸」の初航海時に、紀州藩の「明光丸」と衝突するという事件が起こりました。(いろは丸事件)
その事件でいろは丸は瀬戸内海に沈没。
事件現場から近かったこちらの福禅寺で、龍馬は紀州藩と損害賠償に関する交渉を行いました。
龍馬は、積み荷の損害賠償を迫り、結果的に紀州藩は7万両の賠償金を支払う事となりましたが、2006年に行われたいろは丸沈没地点周辺の調査では、龍馬が主張した鉄砲類などは一切発見されなかったそうです・・・
また客殿として建てられた対潮楼は、座敷の窓からの眺めが素晴らしく、朝鮮通信使の従事官が「日東第一形勝」と称賛したそう。
そんな窓からの眺めがこちら。
向かい側にある仙酔島や弁天島が一望できます。
谷村新司さんの名曲「いい日旅立ち」のCDジャケットにも使われたそうなのですが、ネットで調べてみてもベストアルバムのジャケットしか出てこなかったわ。
常夜灯
鞆の浦のシンボル的存在が、鞆の浦西側の雁木の南端に立つ常夜灯。
周りの人も「ここの写真撮っといたら鞆の浦来た!って感じするよね」みたいな事言ってました。そんな感じの人たちで、結構賑わってます。
ちなみに、手前には「いろは丸展示館」という展示施設がありましたが、こちらは時間の都合上入館せず。
建造は1859年。
船が港に到着したときに、遠目で撮った常夜灯と雁木。
鞆の浦を紹介するHPによると
江戸期の港湾施設である常夜燈、雁木、波止場、焚場跡、船番所跡がほぼ完全な形で現存しているのは、全国でも鞆港だけなんです。
だそうです。
数枚写真撮って
うん、鞆の浦来たって感じするわー
と満足したので、次へ移動。
太田家住宅(重要文化財)
常夜灯のすぐ近くにあるのが、重要文化財にも指定されている太田家住宅。
江戸時代には「保命酒屋中村屋」として、保命酒を始めとする酒類の醸造が行われ、その後、明治時代に入ってから廻船業を営む太田家へ譲渡されました。
入館料は大人400円。
中に入ると、スタッフの方が「お時間あれば、ご説明させて頂きますが」と言ってくださったので、解説をお願いすることにしました。
土間の天井は、木と竹を編んで作った網代(あじろ)天井。
土間の床は、市松模様。モダンな造りのお屋敷になっています。
面白いのが、入口の扉。
上に釣り上げる形になっていて、こちらは今も閉める時に降ろして戸締りするのだそう。
鞆の浦の特産品「保命酒」
江戸時代初期、大阪から移り住んだ中村吉兵衛さんによって製造されたお酒。
漢方医の家系だった吉兵衛さんは、漢方を使用した薬用酒を醸造しました。
太田家住宅での製造は1901年に終了してしまいましたが、現在も4軒の酒蔵が現役で保命酒を醸造しているそうです。
漢方の配合などは、各醸造所によって異なるので、味もそれぞれ違うとか。
土間の右手側にある店の間。
ここに座って、入口の方を見ると・・・
港が見えるようになっています。(かなりのチラリズムですが。)
スタッフの方からのご説明を受けた後は、自由にお屋敷内を見学。
土蔵エリア。
こちらが保命酒の製造工程。
「命を保つ酒」ってすっごい体に良さそうなもん、入ってそうですよね。
「命を養う酒」の養命酒といいとこ勝負。
もろみを絞る時の道具。
飲みすぎなければ、下手な薬を常用するよりは、薬用酒を日々飲んだ方が体には良さそう。そもそも、薬用酒ってグビグビ飲むもんじゃないだろうし。
ただ、私はアルコールそのものに弱いので、薬用酒でも普通に酔っぱらってクラクラするんだろうな・・・
太田家住宅を出たあと、散策しているときに通りがかった現役の酒蔵。
ちょっと試してみたい好奇心はあれど、結局立派な建物を外から鑑賞するだけで前をスルー。
枡屋清右衛門宅
江戸時代、廻船問屋を行っていた「枡屋」
こちらは、先述した「いろは丸事件」の際、坂本龍馬が数日間滞在した商家です。
現在、建物内を見学することができ、龍馬が隠れていた屋根裏部屋が一般公開されています。
入館料は大人200円。なお、入口を入ってすぐの土間部分は雑貨屋さんになっており、そちらの雑貨屋さんは入場無料で入ることができます。
遠目でもシルエットで分かる、坂本龍馬さんの写真。
隠し部屋へと続く階段。
元々、「枡屋の屋根裏に坂本龍馬が潜んでいた隠し部屋がある」と伝承が残っていたようですが、その場所は確認されていませんでした。
1989年、地元の方たちが調査を行ったところ、天井板が外れる場所があり、そこに当時のまま残る隠れ部屋が見つかったそう!
上の写真の屋根裏に続く階段は元々はなかったもので、一般公開するにあたり整備されたものです。
この一般公開も2011年に始まったとのことなので、かなり最近。(と言っても10年以上前ですが。でも幕末からの歴史考えたら、10年前なんて昨日ぐらい最近やん?)
こちらが、坂本龍馬が潜んでいたお部屋。
広さは約6畳。壁は幕末当時のままです。
当時、龍馬は「才谷梅太郎」という変名を使用し、こちらに滞在していました。
ここで紀州藩との交渉をどのように進めるか、シュミレーションとかしながら考えていたのかもしれません。
卓上には、寺田屋のお登勢さんに書いた手紙(複製)がありました。
福山雅治さんファンの私は、NHK大河ドラマ「龍馬伝」の影響もあり、坂本龍馬ゆかりの場所に行くと、その場でイメージする坂本龍馬が勝手に福山さんに変換される傾向があります。
この時も、脳内では前日にライブで見た福山さんの残像を、ホログラムのようにこの場所に召喚させていました。
ゆえに坂本龍馬ゆかりの地巡りは、私にとって一種の「推し活」でもあるんですよね。
「推し活」なんて言葉が生まれる数十年前から推し続けていると、もはや関連するもの何にでも反応する脳みそになってしまいました。
ここ鞆の浦がある場所、広島県福山市という地名だけで、実はテンション上がっていたりします。もはや聖地巡礼みたいなもんです。
帰り際、1Fの雑貨屋さんにお聞きしたのですが、ここ福山市はデニム生地の産地だそうです。有名デニムメーカーのパンツも、福山市のデニム生地で作られているものが多いそう。
へーへー
地元の方とお話すると、その土地の事が色々知れて勉強になります。
枡屋住宅から、バスが通る通りに向かう途中の海の景色。
帰りは、バス停「鞆の浦」から福山駅へ向かい、福山駅から新幹線に乗って大阪へと帰りました。
ちなみに乗車したバスの名前「トモテツ」バスって言います。
赤と青のジャージ、よぎるよね。
おまけ
福山駅で少し時間があったので、駅前の福山城をちょっとだけ観光。
福山城は、駅の目の前にあるので電車の待ち時間を利用して、さくっと訪れることができます。
福山城は100名城のうちの一つ。
スタンプをもらいに訪問したのが2018年なので、かれこれ6年ぶりに間近で天守閣を見ました。
2022年にリニューアルしたての天守、外壁が真新しい。
中の博物館もリニューアルされたようなので、見たかったのですがもう閉館してました。。
福山さんのライブに行き、福山市の鞆の浦を観光し、福山城を愛でたあと、福山駅から帰宅。
これぞまさに、広島「推し活」ゴールデンルート。