過去のお城訪問回顧録。
今回は、前回ご紹介した田丸城の後に訪れた津城をご紹介します。
加筆修正はしているものの、情報は当時のものなので、その辺ご了承ください。
訪問日:2018年12月8日
津城へのアクセス
近鉄名古屋線「津新町」駅から徒歩約10分
私は田丸城の最寄り駅、JR田丸駅から松坂駅へ。松坂駅で近鉄線に乗り換え、津新町駅まで行きました。
まず、お隣にある高山神社へ。
こちらの社務所に続100名城のスタンプが置いてあります。
津城の歴史
1570年、織田信長の弟・信包(のぶかね)がこの地に初めて城を築きました。
信包が丹波柏原へと移った翌年、富田知信が入城。
その後、伊予から入城した藤堂高虎が1611年に大改修を行いました。城の改修に加え、周囲に武家屋敷を造るなど、津の基礎づくりを行いました。
以後、幕末まで藤堂氏が城主となりました。
現在の津市は、津城によって栄えた城下町が基になっているそうです。
城の遺構
イチョウは、写真や遠目で眺めてるのが一番いい。
(銀杏臭が超苦手)
藤堂高虎の銅像
藤堂高虎像の前はこんな感じで、城遺構というより近所の子供たちが自転車乗って走り回っている近所の方の憩いの公園。
お城らしさはどこかいな、とぐるっと歩いてみます。
当時の津城の様子。
石垣発見。上れるようになってたので、上に上がってみます。
本丸の東側の石垣上に再建された丑寅櫓
石垣の上は結構幅は広め。
右側には内堀が。
藤堂高虎のお城と言えば、高石垣が特徴。
結構高いな・・・(高所恐怖症)
ひ、ひぃぃぃぃ
(高所恐怖症、怖さの限界に挑む)
怖いけれど、こうやって上から高石垣を間近で見れるというお城もあまりない。
恐怖と石垣への興味の間で揺れる私。
ひ、ひぃぃぃぃ
(高所恐怖症、怖さの限界に挑む パート2)
内堀は最大幅80mもあります。
西の丸エリアは、日本庭園として整備されています。
入徳門
西の丸エリアにある門。
こちらは、1820年、10代藩主・藤堂高兌(たかさわ)が開設した藩校有造館の講堂の正門。
唯一残る建造物で、昭和初期に西の丸跡に移築されたそうです。
石垣遊び(自分の限界位置に足を置いて、怖さと戦うオリジナルの遊び)を存分楽しんで、散策時間は30分程度でした。
往復移動時間約7時間に対し、各城での滞在時間は合計1時間ちょい。
割合おかしいですが、そんなもんです。ピンポイントの観光なんて。
朝めっちゃ早起きして三重に来たので、二つのお城見終わった時点でまだ13時。
でも、その他伊勢神宮などに寄ることもなく、そのまま大阪へ帰ってきました。
おまけ
リアルタイムでは、4年ぶりの海外旅行中。
出発2日前。すさまじくひっちゃかめっちゃか。