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【世界遺産】元興寺

世界遺産名:古都奈良の文化財

※710年から74年間、日本の都として栄えた平城京。この時代の歴史的遺構8件が構成遺産として登録されています。(登録年:1998年)

今回は、奈良の古刹・元興寺(がんごうじ)。世界遺産に登録されたお寺ではありますが、奈良公園から少し離れた「ならまち」エリアにあるため、参拝客は少なめ。静かに歴史を感じられるお寺です。

元興寺へのアクセス

・近鉄奈良駅から徒歩15分

・JR奈良駅から徒歩20分

元興寺の歴史

538年(552年の説もあり)に、日本に仏教が伝わり、崇仏派の蘇我氏と廃仏派の物部氏との間で争いが起こりました。この争いに勝利したのは、崇仏派の蘇我氏。

588年、蘇我馬子は飛鳥に最初の仏教寺院「法興寺(飛鳥寺)」を建立しました。

このお寺が、平城京遷都に伴い718年に移され、その際名前を「元興寺」に改めました。

ならまちの起こり

元興寺公式HPより)

古代元興寺の敷地は、上記の通りかなり広大だったようです。ですが、平安時代後期になると、国の財政援助がなくなり、また天台・真言系の新しい寺院が起こることにより、徐々に衰退していきました。

1451年に起こった宝徳の土一揆で、金堂・小塔院が全焼。それ以前にも多くの建物が失われており、元々元興寺の寺域だった場所には、戦国時代あたりから「ならまち」ができあがっていったようです。

最近は、古民家を改装した雑貨屋や、カフェが増え、観光スポットとして人気の「ならまち」

奈良の遷都に合わせて町ができていったかと思いきや、実は町自体はその800年近く後に出来て行ったんだという事を初めて知った元奈良市民。

境内の見どころ

元々の寺域の大部分が道路や民家の下に埋もれてしまっており、現在の境内は「元興寺旧伽藍のうち、僧坊と講堂の一部を伝え、中世には元興寺極楽坊、近世には南都極楽院と称された寺域」(公式HPより抜粋。)となります。

入口に建つ世界遺産の碑。

東門

現在の元興寺の入口。拝観受付はこの門の左側にあります。

元興寺極楽坊の正門として、応永年間に東大寺西南院四脚門を移建したという記録が残っているそうです。

極楽堂(極楽坊本堂・曼荼羅堂)

かつての僧坊の一部。智光法師が感得した浄土曼荼羅を本尊として祀ったことから曼荼羅堂とも呼ばれています。

通常、ご本尊と言えば仏像ですが、曼荼羅図がご本尊というのは珍しい。

そして、この極楽堂の屋根瓦は、飛鳥に建てられた法興寺から運び移され、使用された日本最初の瓦

という情報をもとに、正面の瓦をアップで撮影しましたが、当時の瓦はこれじゃなかった・・・

裏側にまわって振り返ると、極楽堂の西側と、その後ろに建つ禅室の南側の一部の瓦が他と異なっていることが分かります。(・・・分かります?)

「屋根瓦のビュースポット」の看板が立っているので、そこから振り返って見てみてください。

禅室

こちらも僧坊の遺構。極楽堂と禅室は国宝に指定されています。

極楽堂の中は上がることができますが、禅室内は入ることはできません。

旧講堂礎石

平成10年に発掘されたこちらの石は、出土場所や大きさから講堂に使用された礎石と考えられています。

この礎石は、江戸時代に穴を掘って埋められていました。礎石の大きさから、80~90センチの柱が建てられていたと想定されます。

浮図田

境内の中で目を引く、ずらっと並んだ小さな石塔。

禅室の北西部石舞台に積み上げられていたものを、昭和63年このような形に並べ変えました。

「浮図」とは仏陀のことで、仏塔を稲田のように並べた場所ということで、この名がついているそうです。

こちらの石塔の後ろにある「法輪館」では、国宝の五重小塔や重要文化財に指定された仏像を拝観することができます。

多くの敷地が現在は埋もれて「ならまち」となっている為、同じく世界遺産に登録されている東大寺や興福寺に比べ寺域は小さいですが、静かにゆっくりと参拝できて、個人的にお勧めの場所です。

利用案内

  • 拝観料:大人500円(秋季特別展期間中600円)中高生300円 小学生100円
  • 拝観時間:9:00~17:00(入門は16:30まで)

gangoji-tera.or.jp

おまけ

訪れたのは、夏の始まり7月初旬。蓮の花が綺麗に咲いていました。

花は綺麗だけど、花びら落ちたあとのブツブツが気持ち悪すぎて、ブツブツ恐怖症の大敵の存在でもあります。(今、ネットで蓮を検索したら、その画像に出くわし鳥肌が止まらない。)

その他の訪問した世界遺産はこちら。

iechiko.hatenablog.com