お寺巡りの楽しみ方は、その場所の歴史を知る・ご利益を得る・仏像や庭園を鑑賞する・歴史的な建造物を見る・御朱印を頂くなどなど、色々ありますが、今回ご紹介するのは「アート」を楽しむことができるお寺『随心院』
前回ご紹介した三千院と同じく門跡院(皇族や摂家出身者が住持として入寺する寺院)の一つです。
随心院へのアクセス
京都市営地下鉄東西線「小野」駅から徒歩約5分。
随心院について
開基は弘法大師から8代目の弟子にあたる仁海僧正。仁海僧正が一条天皇から現在随心院が建立されている地を賜り、牛皮山曼荼羅寺を建立しました。
その後、第五世の増俊阿闍梨の時代に曼荼羅寺の子房として随心院が建立され、第七世の親厳の時代、後堀川天皇の宣旨により門跡院となりました。
小野小町ゆかりの地
(庫裏内にある小野小町像図)
現在も駅名となっていますが、昔からこの地は小野と呼ばれていて小野氏が栄えた場所です。
それゆえ、この随心院は世界三大美女の一人と言われている小野小町ゆかりの地ともされています。小野小町の生涯は、はっきりしたことは分かっていませんが、宮中での宮仕えを終えたあと、小野の里にこもり余生を送ったと伝えられているそうです。
堂内で、小野小町の晩年の姿を写したと言われる「卒塔婆小町坐像」が見られるのですが、正直そこに絶世の美女の面影はありませんでした・・・
庫裏前にある小野小町歌碑。
百人一首の歌「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」ですね。(小学生の頃、70首ぐらい覚えたうちの一首。)
百人一首って覚えたところで大人になってから役に立つ場面は一度もありませんが、でもこういう時に「あ~あの百人一首に選ばれてる歌ね」って思えることが大事なんだと思う。それが教養ってやつやん?知らんけど。
境内の見どころ
訪れたのは5月の初旬で「春期京都非公開文化特別公開」の期間中。
昨年春に修復を終えたご本尊・如意輪観世音菩薩(重要文化財)や、昨年からの修復を終えた定朝作と伝わる阿弥陀如来坐像(重要文化財)、また普段公開されていない表書院の「四愛図」などを拝観することができました。
これらの文化財は撮影禁止のため、公式HPの該当ページ貼っておきます。
石灯篭に心の文字。
拝観入口となっている建物は、1753年に二条家より移築された庫裏。
随心院の元々の建物は、承久の乱・応仁の乱によりそのほとんどが焼失しています。
応仁の乱で建物焼失は、京都の寺院あるあるです。
大玄関から見た薬井門。
外から見た藥井門。
文化財の仏像や襖絵の撮影は禁止ですが、自由に撮影が可能な襖絵があります。
それが絵描きユニット「だるま商店」さんによる作品【極彩色梅匂小町絵図(ごくさいしきうめいろこまちえず)】
小野小町の一生を描いた作品。フォトジェニックスポットとして最近、ガイドブックなどでもよく紹介されています。
作品は4部構成となっており、左から「生誕の図」「饗宴の図」「伝承の図」「夢幻の図」となっています。
出羽の国で生まれた様子を描いた「生誕の図」(左)と仁明天皇のもとで宮仕えをする様子を描いた「饗宴の図」(右)
宮仕えののち小野の里で生活する様子を描いた「伝承の図」(左)と諸国を放浪する様子を描いた「夢幻の図」(右)
この時期、特別公開と共にこの襖絵がある能ノ間が花で彩られる「花の間」というイベントも行われており、沢山のお花が飾られていました。
訪れたときは、本堂改修工事が行われていました。現在は屋根瓦の葺き替え工事が終わり、本堂内部はまだ立ち入り禁止のようですが、濡れ縁への立ち入りは可能のようです。
書院内を見学したあと、境内をちょこっと散策。
小野小町の屋敷跡に残る井戸。小町がこの水で化粧を行ったと伝わっているそうです。
とりあえず覗いておきました。顔の造作はもうどうしようもないので、せめて老化による肌の衰えだけは防げますように・・・(そんなご利益があるかは分からないけれど、美女という伝説の女性に少しでもあやかりたいと思う女心。)
おまけ
極彩色梅匂小町絵図に、世界三大美女(小野小町・クレオパトラ・楊貴妃)が描かれています。ぜひ見つけてみてください!
(私見つけられなくて、ガイドのおばちゃんに教えてもらいました・・・)
利用案内
- 拝観料:一般500円 中学生300円
(特別拝観時期などは拝観料が異なる場合があります。)
- 拝観時間:9:00~17:00(拝観受付16:30まで)
- 無休