えちこの旅ブログ

知的好奇心のおもむくままに

MENU

【江戸時代】日本最大規模の藩校『弘道館』|2023年9月 初めての茨城旅②

前回ご紹介した水戸城の三ノ丸には、江戸時代に開設された日本最大規模の藩校「弘道館」があります。今回はそちらをご紹介します。

水戸城の記事はこちら。

iechiko.hatenablog.com

弘道館へのアクセス

JR水戸駅から徒歩8分(水戸城三の丸内)

弘道館について

弘道館は、江戸時代後期の1841年8月に仮開校、1857年5月9日に本開校した水戸藩の藩校です。

第9代水戸藩主・徳川斉昭によって創設されたもので、当時としては日本最大規模の藩校でした。

藩士とその子弟が学ぶ場で、入学年齢は15歳。40歳までは就業が義務付けられており、卒業はありませんでした。(40歳以上の修学は任意)

学生時代、なっが。と思いましたが、要は「生涯学習」の先駆けとも言える場所だったのかもしれません。大人になっても、いや、大人になってからこそ学ぶ事が大事。

学習内容は儒学・歴史・天文・数学や武芸の数々と、まさに総合大学と言える学校でした。

ちなみに、梅で有名な水戸市の観光地「偕楽園」を創設したのも斉昭。そして江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜は斉昭の息子で、彼も5歳の時から弘道館で学んでいたそうです。

(弘道館玄関前にある徳川斉昭と慶喜像)

幕末には、水戸藩内で保守派の諸生党と改革派の天狗党の間で起こった争いの舞台となったり、謹慎中の慶喜が過ごした場でもあります。

1872年に閉鎖された後は、県庁舎や学校の仮校舎として使用され、平成27年には日本遺産NO.1『近世日本の教育遺産群―学ぶ心・礼節の本源―』の構成遺産の一つに選定されています。

弘道館の見どころ

入口横には「徳川慶喜公尚学の地」の碑。

正門(重要文化財)

現存する建物の一つ。藩主の来館や、特別な行事の時のみに使用されていた門。

ゆえに、私たち現代の一般人は正門から入るのではなく、別途設けられた門から入ります。水戸城内は入場無料ですが、弘道館は観覧料大人400円が必要です。

正庁・至善堂(重要文化財)

こちらも藩校当時のまま残る建物。水戸藩士が学んだ実際の場所を見学することができます。

玄関にかけられている「弘道館」の扁額は、斉昭の自筆。

来館者控えの間。床の間の掛け軸は、水戸藩の藩医で能書家の松延年(まつのべねん)が、斉昭の命で書いた書。

正庁・正席の間

弘道館の中心的な建物・正庁。その中の「正席の間」は、文武の試験が行われた重要な場所。

床の間の掛け軸は、弘道館の建学精神が書かれた弘道館記碑の拓本です。

こちらの間の向かいにある縁側に掲げられた斉昭自筆の扁額「游於藝」(芸に遊ぶ)

論語の一説にある言葉で、文武に凝り固まらず、楽しみながら学ぶという意味だそうです。学ぶ事を楽しめるって幸せな事ですよね。学生時代は、苦手な理数系科目の勉強が苦痛で仕方なかったけど。(ゆえに、高校の実力テストで200点満点中4点取った人。)

お便所。こういう昔の建物に残るトイレは必ずチェックして、撮影する派です。(何、その派閥)

そして、こういうトイレには必ず「使用できません」って書いてあるんですけど、書かないと実際に使用する人がいるんでしょうか。

至善堂御座の間

藩主の休息所や、藩士の勉学所として使用されていた至善堂。

その中にあるこちらの「御座の間」は、慶喜が将軍職を辞した後、静岡に移るまでの4か月間、朝廷の命を待ち謹慎生活を行っていた場所。

約260年続いた江戸時代。最後の将軍を務め、幕末期の混乱の中、将軍職を辞した慶喜公は、何を思いこの場で過ごしていたのか。令和に生きる超一般市民の私には1ミリも想像できませんが、畳に正座して、慶喜公が見たであろう同じ景色を眺めてみました。

隠れ〇〇を探す

徳川家ゆかりの建造物を訪れた際の、私の密かな楽しみ。それが東京ディズニーランドの「隠れミッキー」ならぬ「隠れ葵御紋」を見つけること。

ということで、今回も探してみました。

襖の引手の中心に発見!

これ、何て言う名前か分からないんですが、鴨居につけられた飾り?釘隠し?の中心にも発見!

さりげなく家紋が彫られていることがあるので、皆さんも歴史建造物を訪れた際には、ぜひ見つけてみてください。ちなみに、本家(?)TDLで隠れミッキーを見つけた事は一度もありません。

弘道館の鬼瓦。ちょっと分かりにくいですが、両脇にはハート型(実際は、猪目という日本の伝統的なマーク)があしらわれています。

大手門の鬼瓦の復元が、水戸城二の丸角櫓に展示されていましたが、こちらにもしっかりハートマーク。

2代水戸藩主・徳川光圀の命により編集が始まった歴史書「大日本史」

弘道館で保管されている「大日本史」は、斉昭の主導により出版された本紀と列伝の243巻(100冊)

なお、こちらの「大日本史」も日本遺産の構成遺産の一つです。

正庁・至善堂の周囲の弘道館施設もめぐってみました。

種梅記碑(しゅばいきひ)

梅を愛した斉昭自筆の「種梅碑記」が刻まれた碑。

単に春を告げる美しい花というだけでなく、梅干しは軍事の際に非常食として役立つということで、弘道館や偕楽園にも梅を植えたそうです。鑑賞だけじゃなく、実用性も考えての事だったんですね。

今ある各地の梅園で咲いた梅、実成るのかな?どうしてるんだろ、その実。

八卦堂(復元)

建学精神を刻む弘道館記碑を収めている八卦堂。

昭和20年に空襲で全焼した後、昭和28年に再建されました。

中には入れないようになっているので、実際の碑をみることはできないみたいです。

鹿島神社

御祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)。武甕槌命は、天照大御神の命で、出雲に派遣され、大国主命に国譲りを迫った神様。

結果、国譲りが成功したため、武道の神様として崇められています。

こちらの鹿島神社には、鹿島神宮から勧請した分霊が祀られています。

孔子廟

儒学の祖である孔子を祀る廟。戦災で焼失後、昭和45年に再建。内部は非公開です。

学生警鐘

学生に時を告げるための鐘。鍾の表面・内側に斉昭の書が書かれています。

こちらに掲げられているのは複製で、実物は弘道館内の展示室で見る事ができます。

斉昭は至る所に書を残してますね。

通路(復元)

発掘調査の結果、通路の遺構が見つかり、当時と同じく1.5mの道幅で学生や教職員が通った道が復元されています。

藩士の気分で通ってみる。当時の学生の中にも「勉強だりーなー」「先コウ、うぜーなー」みたいな人もいたのかな。(不真面目生徒のイメージが、完全に昭和のヤンキー)

土塁

弘道館建設にあたり、斉昭は三の丸の改修を行いました。

その際に造成した土塁の復元。

北側に残る現存土塁。

北柵御門(復元)

北と南に設けられた門のうち、北側の門が復元されています。

教職員や役人用の門で、学生は最初にご紹介した正門横の通用門を利用していたそうです。

今回は、水戸城と弘道館のみで「偕楽園」には行きませんでした。やはりどうせ行くなら梅のシーズンかな、と。斉昭が愛した梅を来年の春に見に行く・・・かどうかは来年の予定次第。

利用案内

  • 入館料:大人400円 小中学生・70歳以上200円
  • 開館時間:2月20日~9月30日:9:00~17:00 10月1日~2月19日:9:00~16:30
  • 休館日:12月29日 ~ 12月31日

www.ibarakiguide.jp