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日本神話ゆかりの神々を祀る『戸隠神社』で五社めぐり③ 火之御子社&宝光社

長野県の戸隠神社で五社めぐり。

前回までの記事はこちら。

iechiko.hatenablog.com

iechiko.hatenablog.com

中社から神道を通り火之御子社(ひのみこしゃ)へ

残る2社は今までに比べるとだいぶ距離が短くなります。

まずは中社から火之御子社へ。「神道(かんみち)」という名の道を通って行きます。

中社には多数参拝客の方がおられましたが、車道を外れると一気に人がいなくなりました。やはり車で回られている方が多いようです。

戸隠はお蕎麦が有名。麺としてのお蕎麦は食べませんでしたが、ランチにガレット食べたので、違った形でそば粉は摂取済み。

しばらくはアスファルトの舗装道が続きましたが、5分強あるくと未舗装道へ。

と言っても山道とかではないので、歩きにくさは一切ありません。

火之御子社と宝光社の分かれ道。左側の火之御子社に通じる道へ。

中社から約15分で到着。

火之御子社

主御祭神は、天岩戸伝説の中で、岩戸の前でおっぱいぽろりんしながらダンスを踊って、神々を沸かしたでお馴染みの天鈿女命(アメノウズメノミコト)

その他、高皇産霊神(タカミムスビノミコト)・栲幡千々姫命(タクハタチチヒメノミコト)・天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)の3柱が祀られています。

舞楽芸能上達・開運・縁結び・火防の守り神のご利益があります。

火之御子社は、神仏習合の時代においても、終始神社としての姿を保っていたお社。

5社の中で、ここの社が一番ひっそりとしており、人も少なかったです。また、御朱印授与所もないので、火之御子社の御朱印は、中社もしくは宝光社の授与所で頂きます。

神社に一人でいると、神様独り占めした気になりません?

いや。もちろん神様は皆のもの(神?)なので、独り占めとかおこがましいんですけど、この瞬間は私だけのお願い聞いてくれてるー!って思います。

樹齢約500年の夫婦杉。

火之御子社の案内板に、踊るアメノウズメノミコトさんが描かれていました。(さすがにお胸は隠れてる。)←どんだけ乳に固執すんねん。

火之御子社から最後の宝光社までは、徒歩の道としては先ほどの神道を通るのが正しいのでしょうが、先ほど通った火之御子社と宝光社の分かれ道まで戻らないといけないので、それより車道沿い歩いた方が早いんじゃない?と勝手に思って、ここからは車道の端っこを歩くことにしました。

結果的に、歩道のない車道を歩くのは非常に歩きにくかったんで、元来た道戻れば良かったです。

5社めぐり最後の宝光社(ほうこうしゃ)

火之御子社から約15分で宝光社に到着。

宝光社の祭神は、中社の祭神である天八意思兼命(アメノヤゴコロオモイカネノミコト)の御子、天表春命(アメノウワハルノミコト)

開拓・学問技芸・裁縫・安産・女性と子供の守り神としてのご利益があります。

最後の最後に、270段近い階段が待ち受けていました。神道を通れば、本堂の横手から宝光社の境内に入るので、この階段上らずに済んだんですけどね。

階段脇には、女坂という名の坂道もありました。女ですけど、実直に真っ直ぐ階段をひた上って本堂へ。

振り返ると、改めて分かるなかなかの急角度。

宝光社の社殿は、5社の中で最も古く、1861年に建てられたもの。

拝殿周りは龍や象、十二支などの彫刻で飾られています。

参拝後、授与所で火之御子社と宝光社の御朱印を頂き、5社全てまわったことをお伝えすると、記念のしおりが頂けました。

御朱印は全て書置きタイプでした。書置きタイプだと、御朱印を持ち歩かなくていい(荷物が軽くなる)というメリットはありますが、御朱印帳に糊で綺麗に貼れずに、よれてしまうというデメリットがあります。(でもコロナの影響もあってか、最近書置きタイプが多い印象。)

奥社をスタートしてから、最後の宝光社まで、途中鏡池を経由&ランチタイムを取って約4時間半。予定よりも1時間早いバスに乗って、長野駅に帰ることができました。

距離は大体10キロほど。この日は1日で25,000歩ほど歩いていました。

最近、1日1万歩もむしろ歩きすぎで、女性は1日8,000歩歩けばいい。歩き過ぎもよくない、とよく目にするんですけど、私旅行に行くと大体1日2万歩前後。1か月平均で1日1万2~3千歩歩いています。それでちょうど適量と感じてるんで、ま、大丈夫でしょう。知らんけど。

利用案内(宝光社授与所)

・参拝自由

・受付時間:9:00~17:00(冬季は変更の場合あり)

おまけ

自販機内壁のお陰で、ドミノ倒しを免れたペットボトルたち(上段)