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【100名城】No.84 高知城(高知)|四国バースデイきっぷの旅④

誕生月にお得に四国を旅することができるJR四国『バースデイきっぷ』を利用しての旅。

iechiko.hatenablog.com

『四国まんなか千年ものがたり』に多度津駅から大歩危駅まで乗車し、特急南風で大歩危駅から高知駅まで移動。

初めて乗った南風のグリーン席、快適でした。

5年ぶりの高知に到着。

久々にJR高知駅前の武市半平太さん、坂本龍馬さん、中岡慎太郎さんにご挨拶。

高知城のアクセス

・JR土讃線「高知」駅から徒歩約25分

・とさでん交通「高知城前」駅下車徒歩5分

私は駅から15分ほどの場所にあるホテルにチェックインし、荷物を置いて身軽になったあと徒歩でお城まで向かいました。

途中、こちらも高知駅周辺の人気観光スポット。ひろめ市場前を通過。(帰りに寄りました)

高知城の歴史

高知城が築城された場所には、元々南北朝時代に大高坂(おおたかさ)氏が築いた大高坂山城がありました。

戦国時代には、長宗我部元親が築城に取り組みましたが、工事が難航したため、浦戸城へと本拠地を移しました。

関ヶ原合戦の後、掛川から入邦した山内一豊が、1601年よりこの地に近世城郭の築城を始めました。そして、着工から10年後、二代藩主・忠義の時代にようやく城の全体が完成しました。

1727年の大火で城内の建物はほぼ全焼してしまいましたが、その後20年の歳月をかけて復興しました。高知城は、現存12天守の一つ。天守に接続している本丸御殿も全国で数少ない現存御殿の遺構で、残っているのはここ高知城と川越城のみです。

城内の見どころ

全体マップはこちら。

昨日の丸亀城に続き、2日連続で現存天守の訪問です。そして高知城も丸亀城同様、来るのは2度目。前回は9年前。高知マラソンに出場するために高知に来て、前日に高知市内を観光した際に訪れました。ちなみにこの高知マラソン、調子が絶不調で、今までで一番完走が危ぶまれたある種思い出深い大会です。

追手門

城の正門。石垣の上に渡櫓を載せた櫓門です。

門の2階には石落としがあり、敵を真上から攻撃できるような構造になっています。

板垣退助像

追手門を抜けると、板垣退助さんがいらっしゃいます。

昭和31年の再建で、銅像の題字は当時の内閣総理大臣・吉田茂氏のものだそう。

 

石垣の上部に突き出しているのは石樋(いしどい)。排水が直接石垣に当たらないように、このように石樋が設置されていて、その下には水受けの敷石が設置され地面を保護しています。

このような設備が見られるのは高知城のみ。雨の多い高知ならではの設備です。

でも私、あまり高知で雨に降られた経験がないので、高知=多雨地域っていう印象ありませんでした。

山内一豊の妻像

山内一豊の妻は、「千代」や「まつ」という名で知られていますが、本名も出自もはっきりとは分かっていないようです。

そのため銅像の名前も「山内一豊の妻」という「〇〇君のお母さん」みたいな呼び名になっています。

結婚時の持参金で一豊に名馬を買わせ、それが織田信長の目にとまって出世の糸口になったという逸話が残る「内助の功」で知られる女性です。

鉄門跡

当時は、門扉に多数の鉄板が打ち付けられた鉄門がありました。ここを入ると二ノ丸、本丸へと通じる場所であるため、重要な防衛ポイントとなっていました。

詰門

鉄門跡の階段の正面にある門。

本丸と二ノ丸の間に設けられた空堀をまたぐかたちで建てられた門。武士の詰め所となっていたため、現在の名前が付けられています。

高知城のパンフレットによると「石段を登るが最後、三方から矢と鉄砲の嵐に見舞われる」そうです。

まさに私、その嵐に見舞われる位置でのん気に写真撮っています。

天守等を見終わった後に、この詰門の中を通りました。

詰所があったこちらは門の2階。1階は籠城用の塩を貯蔵するための塩蔵でした。

本丸

本丸には天守閣・本丸御殿(懐徳館)・納戸蔵・廊下門・東多門・西多門・黒鉄門などの建造物が残っています。

上から見た図。(天守内の展示より)

天守閣・本丸御殿・廊下門

詰門前から見る天守。

外観四重(内部3層6階)創建当初の洋式で1749年に再建されました。

今までご紹介してきた高知公園内には無料で入れますが、この天守閣や御殿見学は有料となります。天守閣・本丸御殿・東多門・廊下門に入城でき、大人420円。

現存天守はやはり見ごたえがあるので、2度目でももちろん入城。(正直、以前来たのが9年前で、結構忘れているというのもあります・・・)

まずは御殿内部を見学。

三ノ丸欄間。「土佐の左甚五郎」と称された武市高朋の作。

ちょっと分かりにくいですが、こちらの欄間も武市高朋と伝えられる「うちわけ波の欄間」

上段の間。

上段の間の床の間に飾られている15代土佐藩主・山内容堂の詩書(複製)

山内容堂と言えば、大河ドラマ『龍馬伝』で近藤正臣さんが演じられた容堂公の印象が強すぎて、私の中ではあのイメージが頭から離れません。(なんか、クワガタとか肩に乗っけて愛でてなかったっけ・・・?とにかくキャラが濃かった印象。)

正面に見える広場が二ノ丸。その左側に見えているのが先ほどご紹介した詰門です。

続いて天守閣内へ。

私の大好きなジオラマがありました。人間のサイズ感、でかない?門くぐってる人、頭ギリギリですけど。もしや、江戸時代の土佐の人たちは巨人だった・・・?

高知城模型。こういう模型も好き。なんせ、俯瞰で全体を見ることが好き。地図とか、飛行機からの景色とか。

現存天守ならではの急な階段を上って、最上階の展望室へ。

東方面。高知駅がある方面。奥の山っぽい所に、翌々日に訪れる続100名城の岡豊城があるようです。

左が二ノ丸。右のつつじが咲いている場所が三ノ丸

本丸の建造物。現存する建造物がこれだけギュギュっと本丸に集まっている姿はなかなか見られない光景かと。

最上階の廻縁に設けられた漆塗りの高欄。一豊創建時の天守にも同様の高欄が取り付けられており、一豊が徳川家康に願い出て許されたものだそうです。

お城のデザイン一つにも、わざわざ家康の許可が必要だったんですね。勝手にちょっと目立ったデザインの装飾取り入れたら、派手な服装して先輩ヤンキーに目つけられるみたいなノリで、ボコられたりしたんでしょうか。

最上階から一階へ下り、続いて廊下門へ。

廊下門は西多聞と東多門の間を繋ぐ門。

クジラ漁の様子の模型がありました。この巨大哺乳類に、裸一貫で挑んでいた土佐の漁師たち、凄い。(てか、クジラって哺乳類だけど、それを捕獲する人も漁師でいいんだろうか?)

見事、仕留めたようです。

天守や御殿の見学を終えたあと、詰門を通って二ノ丸へ出ました。

二ノ丸

本丸の北にある二ノ丸には、政務をとる表御殿と藩主の暮らす奥御殿が建てられていました。その他、西端には3階建ての乾櫓もあり、小天守のようであったと言われています。

建物は1873年、城内の公園化に伴い全て撤去されてしまったそうです。当時は史跡として保存するという考えがなかったんですかね。絶対に残しておいた方が良かっただろうに・・・

二ノ丸から見た天守閣。高知城の天守閣はどこから見ても絵になります。

三ノ丸

(天守閣から見下ろした三ノ丸)

高知城で一番広い平面で、総面積は4,641平方メートル。築城開始後、最後に完成した場所です。かつては、年中行事や儀式を行うための大書院がありましたが、こちらも公園化に伴い取り壊されてしまいました。

三ノ丸から見た天守閣。高知城の天守閣はどこから見ても絵になります。(大事なので2回言いました。)

三ノ丸の石垣。石垣まで取り壊されなくて良かった。

利用案内(高知城天守・懐徳館・東多門・廊下門)

  • 料金:18歳以上420円 18歳未満無料
  • 観覧時間:9:00~17:00(入城は16:30まで)
  • 休館日:12月26日 ~ 1月 1日

kochipark.jp

おまけ

高知城散策後、ちょっと早めの晩御飯を食べようと思い(『四国まんなか千年ものがたり』でケーキ食べたあと、結局昼ご飯食べるタイミング逃したので、お腹空いた)ひろめ市場に行きました。

ひろめ市場は、お店で買ったものをフリーのイートインスペースで食べるスタイルなんですが、週末だったこともあってか17時前なのに満員。観光客だけでなく、地元の方も利用する場所なんですかね。皆さん明るいうちからお酒を飲んで、盛り上がっていました。

という訳で、ひろめ市場内の奥の方にあるカフェ「マンテンノホシ ひろめ市場店」さんでほうじ茶大福パフェ(ほうじ茶付き800円)を頂きました。

列車内で食べたのはランチで、これがデザートということにしよう。(定義付け変えたところで、両方スイーツには変わりない。)

そして、やはり高知と言えばカツオよね、ということで結局テイクアウトのカツオ巻き寿司も買ってホテルで食べたのでした。(こうして旅行中1日平均2万歩ぐらい歩いているのに、体重が一向に減らない現象に陥る。)

100名城公式ガイドブック(スタンプ帳付)