1泊2日で『小田原文化財団 江之浦測候所』『クレマチスの丘』を訪れ、せっかく三島に来たからと、私だけさらにもう1泊。翌日、恒例のお城巡りをしてきました。
訪れたのは、三島城と興国寺城。まずは山中城をご紹介。
山中城へのアクセス
JR三島駅南口から東海バス「元箱根港」行きで約25分「山中城跡」下車すぐ
今回、東海バスのフリー切符「みしまるきっぷ」(大人1,100円)を購入しました。
※三島駅から山中城跡まで運賃片道590円。お得になるのは80円だけではありますが、乗り降り自由なので、山中城跡近くにある観光スポット「三島スカイウォーク」に立ち寄るもよし。箱根峠まで行くもよし。
また沼津エリアでもこのきっぷがあれば、追加100円のみで利用できる区域があります。
アプリ「EMot」のデジタルチケットならバス案内所の営業時間外でも購入可能。チケット画面をバスの運転手さんに見せるだけなので便利です。
山中城の歴史
山中城は1558~1570年、箱根外輪山の南西尾根に小田原を本拠地としていた後北条氏によって築城されました。
その後、豊臣秀吉との仲が悪化したため小田原攻めに備え、西の守りとして整備・増築が行われました。
しかし、1590年増築未完成のまま、山中城は豊臣軍の襲来を受けます。
豊臣軍は4万の兵力。対する後北条氏はわずか4千。必死の防戦むなしく山中城はわずか半日で落城してしまいました。
近年、400年近く埋もれていた城跡の発掘調査が行われ、当時の堀や土塁が復元されています。
城の遺構
山中城は、元々城内を旧東海道が貫通していて、現在も国道一号線が「本丸側」と「岱崎(だいさき)出丸側」に城内を分断しています。
見事な堀障子と富士山の絶景 西ノ丸周辺エリア
バスを降りて、まずは本丸側を散策します。
山中城の全体図はこんな感じ。本丸エリアは右側のにゅーんって上に伸びている部分。
三ノ丸堀
田尻ノ池
箱井戸
田尻ノ池と箱井戸一帯は、一面湿地帯であったのを土塁によって分離。2つは排水溝によって繋がれていました。一段上にある箱井戸に自然の湧き水をためて、田尻ノ池へ落とすことで、水の腐敗や鉄分による変色を防ぐための工夫がされていたと考えられています。
ここから西ノ丸方面へ行くと、5つに区画された西ノ丸畝堀が見えます。
台風の影響で一部崩落してしまっている箇所がありますが、これはお城の遺構を保護するための土が流れ出したもので、戦国時代本来の遺構に大きな被害はないとのこと。
西ノ丸と西櫓周囲に残る畝堀・障子堀は後北条氏が多く用いた手法で、その中でもこの山中城が完成形と言われています。
特にこの西ノ丸と西櫓の間にある障子堀が、「ワッフル」と例えられるほどの綺麗な格子。
確かに、マネケンも驚愕の美しい凹凸。(見ていたらワッフルが食べたくなるサブリミナル効果があるとかないとか)
落ちたら簡単には這い上がれない深い堀
相当労力もかかったことでしょう。それなのに、たった半日で落城しちゃうなんて。
数の力には、技巧を凝らしたお城も勝てなかったということですかね。
向かって右が西櫓。左が西ノ丸。
西ノ丸は3,400㎡もある広大な曲輪。
西櫓
西ノ丸周辺の見どころは、堀だけではありません。ここからの景色がこちら!
富士山がドン!
堀超しにもドン!
青い空に富士山がよく映えます。
たまたま行きのバスが一緒だった女性とお話したんですが、その方2日前にも来たらしく、お天気が悪くて富士山が全然綺麗に見えなかったそう。なのでリベンジで再訪したと仰ってました。今日はまさに富士山ビュー日和。
街中で「あしたか牛」というのを見かけて、
・・・もののけ?
って思ってたんですが、富士山の左横に連なっているのが愛鷹(あしたか)連山なんだそう。
城主・松田康長戦死の地 北ノ丸から本丸へ
堀を見るだけなら元来た道を戻ればいいですが、私は山城全体を歩きたいので、さらに東へ。
ここが山中城の最奥部にあたる北ノ丸。ここ北ノ丸で豊臣軍との最後の攻防が行われ、城主の松田康長は戦死しました。
北ノ丸と橋で繋がれて、本丸があります。
本丸
本丸の北隅には天守台があります。山中城一の高台にあり、天守に相当する櫓が建てられていたと考えられています。
本丸は三段の曲輪で構成されていて、最下段には兵糧庫や弾薬庫があったとされています。
本丸と二ノ丸の間にも畝堀。
二ノ丸
堀跡もそうなのですが、とにかく全体的にとてもキレイに整備されていて、山城だけどとても歩きやすいし、この二ノ丸とか端からゴロゴロゴローって転がりたいぐらい。
二ノ丸は本丸にも西ノ丸にも接続する重要な曲輪。(写真は二ノ丸側から歩いてきて、振り返って撮った図)
ここを渡って、西ノ丸側に再び戻ってきます。
豊臣軍襲来の備えで作られた岱崎出丸
西ノ丸から来た道を戻って、国道1号を渡り案内所で100名城のスタンプ捺印&御城印購入。(御城印は、全てのお城を買ってる訳ではなく、特に気に入ったお城で買うようにしています。キリないから。)
帰りのバスまでまだ時間があるので、箱根旧街道を挟んで作られた岱崎出丸も見学。
旧街道の石畳。
岱崎出丸は、複数の曲輪から成り立っています。豊臣軍の襲来に備えて作られた曲輪ですが、発掘調査の結果、造成途中であったことが判明しています。普請途中で開戦となってしまい、完成が間に合わなかったのでしょう。
御馬場曲輪
土塁上に上ってみた。
出丸御馬場堀。影であんまり分からないけど、西ノ丸側にあったような畝堀。
ここからも綺麗に富士山が見えます。さっきより頂上の雲大きくなっちゃってるけど。
まさに♪あ~たまを~ く~も~の~ う~えにだ~し~♪
この出丸の先端にあるのが、すり鉢曲輪
名前の通り、すり鉢状になった曲輪です。
また、西側には一ノ堀と呼ばれる畝堀があります。
三島市街地がここからも見下ろせます。
全体をぐるっとまわって2時間弱。とても広い城であったことが実際に歩いて分かりました。
今回撮った写真に人が全然写っていませんが、あえて避けて撮っている訳ではなく、全然人がいないんです。平日だからかもしれませんが、三島スカイウォークには割と人がいたので、単にお城が好きな人以外にはあまり知られていないだけなのかも。
確かに天守や櫓などの建物は残っていないので、山城って地味に思われがちですが、ここは立派で個性的な障子堀や畝堀が見ごたえあるし、富士山が綺麗に見られるポイントでもあると思うので、我こそは城好き!という人じゃなくても面白いんじゃないかな、と思います。知らんけど。
(最後にこう言っておけば、責任回避できると思っている関西人。)
利用案内
城跡はいつでも見学可
営業時間:10:00~16:00(冬季は15:30まで)
定休日:月曜日(祭日は営業。翌日休業)
100名城のスタンプは、売店の入口にあるので休業日でも押印可のようです。
今日のおまけ
三島市内で見かけたマンホール。
富士山が見られる絶景ポイントとして有名な「三島スカイウォーク」が描かれています。
(ちなみに、ここには今回行ってません。)
余談なんですけど、静岡で会ったサービス業の方、タクシー&バスの運転手さんや飲食店の方、みんな凄く物腰柔らかくて、とても親切でいい人ばかりでした。
他府県の方が親切じゃないという訳じゃないんですが、まぁ、たまーにぶっきらぼうな人もいるじゃないですか。中には、ね。
以前働いていた会社で同僚の子が「静岡出身の人って、優しい人多いですよね」って言ってたのを思い出しました。日本一の山を毎日見ていたら、心の広い穏やかな人間に育つんかな。