歴史巡りの旅。
教科書で一度は目にしたことがある、その時代を代表する遺跡・歴史建造物を紹介しています。
※情報は訪問時のもののため、現在とは異なる場合もあります。(施設の内容や開館状況など)ご了承ください。
時代:弥生時代
(訪問日:2019月3月23日)
縄文時代晩期から九州北部で水田耕作が始まり、弥生時代にはその稲作が西日本から東日本に広がります。それまでの狩猟・採集から食料生産時代に移り変わったのがこの時代。
そして、弥生時代に使用されていたのが、縄文土器よりも高温で焼かれ、薄手・赤褐色の弥生土器。この名前は東京本郷弥生町で発見されたことからその名前がついたそうです。見た目、関係なし。3月も関係なし。会計ソフトも関係なし。(前職で使用してたんで、弥生販売&弥生会計使えるよ。)
弥生時代中期、小国の分立が起こります。
食料生産を行うようになると、余剰生産があるところ、ないところが出て来て、そこから争いが生まれます。そして、武器や防御施設の必要性が高まりました。
そこで生まれたのが、環濠集落と呼ばれる周囲に堀を巡らせた集落。
その代表とされるのが、佐賀県にある「吉野ケ里遺跡」です。
佐賀駅からその名も「吉野ケ里」駅へ。
乗車時間は11分と短いですが、本数が少ないので事前要チェックです。
吉野ケ里遺跡は私がスタンプをせっせと収集している100名城に登録されてます。
(コロナの影響でこの1年で1か所しか行けず、スタンプ収拾が全く進みません・・・)
え?城?って感じですが、『城』は文字通り土より成る
地面を掘って土を盛って作った区画というのが最初の城として考えられるそうです。
「クニ」と呼ばれる集落を外敵から守るために、周りに濠や柵をつくる防御施設要素があるためこの吉野ケ里遺跡はいわばお城の「はしり」です。
こんな感じで、弥生人のお二人がこまめに道案内をしてくれます。
のどかー
・・・この田んぼ、弥生時代からあるんかな。
駅から15分ほどで吉野ケ里歴史公園に到着!
こちらは正門となる東口。
2001年に開園した歴史公園。
ちなみに、遺跡発掘が終わったところから公園として整備されていっていて、現在は開園当初よりも拡張されてるそうです。
園内すごい広い。
遺跡再現エリアの他に、古代の森エリアとか、遊具があるプレイエリアとか。
この遊具エリアものぞいてみたんですが、子供たちが大はしゃぎ。
めっちゃおもろそうな遊具ありました。家族連れでピクニックがてら来てる方も多数。
入園料はいりますけどね。大人460円。
お花をめでながら入園受付へ。
有料エリアの手前には、お土産屋さんとかお食事処とかあります。
スタッフの皆さん、先ほど道案内をしてくれたキャラクターのような衣装でお出迎え。
ちょっとテーマパーク感もあります。
「ようこそ」
弥生人、ファンキーなヘアカラーしてんな。
まずは遺跡再現エリアへGO!
この杭は「逆茂木」と呼ばれいわばバリケード。
・・・隙間めっちゃ通れるやーん。
遺跡再現エリアも、その中でさらにいくつかのエリアに分かれています。
まずは南内郭
吉野ケ里の2つの中心区域のうち、南側にあるエリア。
物見やぐらなどもあり、吉野ケ里の指導者の生活エリアだったと考えられている場所です。
見張り台としての役割を持った櫓門
物見やぐら
いくつかあって、実際上れるものもありました。
一つ一つ、このように説明書きがされていて、
中も入れるようになってます。
沢山数があって、全部きっちり見て回ってたら時間足りないので要所要所お邪魔。
こちらは王の家
さっきのと外観一緒ですけど。王やのに。
中入ったら人がいってびっくり。
あ、すいません。お邪魔しまーす。顔色悪いけど大丈夫ですかー?
王の力を示す品々だそうです。そんなことより、枕が木って・・・
そりゃ安眠できなくて顔色も悪くなるわ。
続いて、集落内で最も重要で神聖な場所とされた北内郭
で ん。
巨大な祭殿が復元されています。
上って中を見てみましょう。
また人がいっぱいいてびっくり。
田植えや祭りの日など、クニの重要事項を決める話し合いの場面。(だったと思う)
そして、さらにこの上では
巫女が祖霊からお告げを受ける儀式の真っ最中。
こういう宗教儀式的なものを見ると、なぜかドラマ「トリック」を思い出してしまう。
そして頭に流れる鬼束ちひろの『月光』
竪穴住居
季節ごとのまつりの儀式が行われたと考えられる東祭殿
立ち話する弥生人。(施設のスタッフの方。)
環濠集落ゾーンをとりあえず北へ北へ進んでいきます。
主祭殿のあった北内廓からさらに北上していくと、甕棺墓列の再現。
歴代の王の祖霊へお供えを捧げ、お祈りをするための祀堂(しどう)を超えると、
北墳丘墓が現れます。
ここ、この歴史公園の一番の見どころだと思います。個人的に。
内部は展示室になっていて入館可。
入ったとたん、ちょっとむわっと高い湿度を感じます。
その理由は・・・
これらの遺構保存を保つため、専用の空調が整備されているから。
この北墳丘墓は、2200~2100年前に埋葬された歴代の王またはそれに近い身分の高い人物のお墓と考えられています。
この場所から14基の甕棺が出土したのですが、それらが発見された状態で見学できるようになっています。
この遺構・甕棺、本物です。
実際に、この中の6基から歯と骨片が少量出土したそうです。
ちなみに、甕棺というのはこの時代、九州北部に見られる特徴的な棺。
この展示の甕棺は半分割れてオープン状態ですが、実際は最初の甕棺墓列に出てきたような形。この中にご遺体を入れて、土に埋めて埋葬していました。
副葬品として、銅剣や管玉など高い身分を表すものも合わせて出土しています。
本来お墓というものは、テンション上がるとこではなく、むしろそんなの不謹慎というか。でも、さすがに2000年以上前のものだと思うと「うお!」ってなります。
弥生時代のお墓見れるなんて貴重ですもん。
遺構の周囲は、甕棺墓の埋葬方法や墳丘墓の作り方を説明したパネルが展示されています。ここに来れば、あなたも甕棺墓に詳しくなれること間違いなし。
じっくり甕棺墓見たあと、ここからさらに北上。
古代の森ゾーンへと入っていきます。
この先、さらに北へ向かう人はほぼいないようで、一気に人の気配なくなりました。
そんな中現れるまたまた甕棺墓。
遺跡内から約3000基の甕棺墓が発見されているのですが、そのうち1000基がこの古代の森エリアから発見されました。
先ほどの北墳丘墓と違い、ここは一般の人のお墓と考えられています。
全長300mに渡り、約500基の墓列が再現されています。
一生分の甕棺墓見たわ。っていうか、ここ以外で見る機会まぁほぼないけど。
とりあえず、古代植物館という建物があるので、それを目指してみようと歩いていく。
人々が暮らしだす前、吉野ヶ里の丘陵地にはシイやカシなどの照葉樹林が連なっていたと考えられていて、その往時の姿の復元を目指しているエリアがこちらの古代の森ゾーン。
先ほどまでが人工的なものの復元エリアなら、こちらは弥生時代の自然環境の復元エリア。
そして、案の定どこ歩いてんのかよく分からなくなり、(病的な方向音痴)とりあえず散策路を歩いていたらいつの間にかUターンしてる。
・・・行き過ぎた。どなたか方向音痴に効くお薬を開発してください。
必要以上に北上しすぎてました。
そしてたどり着いた古代植物館。
植物に関する展示がちょろーっとしてあるだけで・・・
正直、そない見るとこもなく・・・
ここで体験プログラムが行われてるので、それをやってる方たちが数名いたもののかなり閑散とした建物でした。
この日ここでやってたのは「ミサンガづくり」と「化石割り体験」
ま、お時間あれば、もしくは植物大好きって方は自然散策がてら足を延ばしてもいいと思いますが、そうでなければ北墳丘墓からUターンしてもいいのかな・・・と。
なお、広い敷地内ゆえ、園内はバス(大型バンみたいな車)が走ってます。
古代植物館前にバス停あるので、それに乗ってくるのもあり。
とりあえず私はひたすら歩く。歩くの大好き。どんどんゆこう。
古代植物館館からまた南下し、環濠集落ゾーンへ戻っていきます。
ただ広い。ちょろっと見えるコンクリ建物を無視すれば、まるで弥生時代。
(こんな景色のとこ、他にも結構あるけどな)
桃の花がきれいに咲いてました。
梅や桜に比べて見る機会少ないんですけど、改めて見たらすごい綺麗!かわいい!
古代植物館から南下し、またまた環濠集落ゾーンに戻ってきました。
倉と市
吉野ヶ里の「クニ」の交易の中心地と考えられている場所。
出入りを監視するやぐらや、品々を保管する倉庫が復元されています。
やぐらの一つに上って写真を撮ってみた。(上のやつもそう)
最初に行った南内廓の裏側。
こうやって見ると、集落の周りが杭で囲われてるのがよくわかります。
「クニ」の各地から税として納められた雑穀を保管する倉。
そしてここから西側へ行くと古代の原ゾーン
弥生の大野と名がつけられた広場。
グラウンドゴルフできます。あと、右奥の方では、何か大玉転がしぐらいの玉で子供たちがワイワイ遊んでました。
遊びの原エリアには遊具があります。子供たち大はしゃぎ。
さっきまであんなに人気がなかったのに。
ぴょんぴょん飛び跳ねれるトランポリンみたいなやつとか、ローラー滑り台とかあって、正直私も遊びたい!ってなるぐらい楽しそうなエリアでした。
歴史公園というよりは、完全ここはピクニックエリア。
家族連れにおすすめ。おばちゃん一人で来るとこではなかったわ・・・
という訳で、菜の花見ながら最後の集落エリア。
南のムラ
中国には「北が上位で南が下位」という考えがあったそうで、その思想に影響を受けて作られた吉野ケ里の最も南にあたるここは、「下戸(げこ)」と呼ばれる一般の人たちが暮らしていたと考えられています。
北の一家のおうち。
正直、南内廓の「王の家」と大差ない気が・・・
これ、さっきの王の家。
・・・屋根のデザイン違いぐらい?
家ん中はシンプル。
究極のミニマリスト生活。こんまりさんいらず。
最盛期、ムラには200人ぐらいが暮らし、先ほどの「倉と市」に家族分の取り分以外の米を租税として納めていました。
その他、支配者層の人々のお世話などの労働も行っていたそうです。
何かが本当に育ってる。
このあと、弥生くらし館というところで、南のムラの説明ビデオを見たり
結果、2時間半もうろちょろしてました。
るるぶ(まっぷるだったかな?)の九州版には佐賀の情報はほんとちょろっとで、呼子のイカぐらいしか載ってなかったけど、
弥生時代の貴重な遺跡をベースにした歴史公園なんだし、吉野ケ里遺跡、もっとアピールしていいと思うぞー
最新情報はHPでご確認ください。