世界遺産名:北海道・北東北の縄文遺跡群
※今から約15,000年前から約2,400年前にかけて続いた縄文時代。1万年以上に渡って続いた狩猟・漁労・採集によって支えられた縄文文化の様子を伝える遺産として、北海道・青森・岩手・秋田に残る17の遺跡が登録されています。(登録年2021年)
小牧野遺跡・是川石器時代遺跡に続き、この旅3か所目の縄文遺跡です。
御所野遺跡について
北海道・北東北の縄文遺跡群は定住の開始・発展・成熟という遺跡の構造から6つのステージに区分されています。
御所野遺跡は縄文時代中期にあたる「ステージⅡb」の遺跡。今回訪れた中では一番古く、青森の有名な縄文遺跡「三内丸山遺跡」と同ステージの遺跡です。
このステージの特徴は「拠点集落の出現」そして、集落に祭祀場が現れるのも特徴です。
御所野遺跡では、縄文時代の集落の様子が再現されており、公園内を歩きながら数千年前のムラの暮らしを実感できる場所となっています。
アクセス
IGRいわて銀河鉄道線「一戸」駅から岩手県北バスで約10分「御所野縄文公園」下車すぐ
私は、九戸城から二戸駅まで30分かけて徒歩で戻り、二戸駅12:08発⇒一戸駅12:13着のIGRいわて銀河鉄道線に乗り、一戸駅に到着。
スタート地点は「八戸(はちのへ)」!
電車に乗って「二戸(にのへ)」!
最初の目的地は「九戸(くのへ)」!
そしてやって来た「一戸(いちのへ)」!
ラップとは生涯無縁の私でも、思わず韻を踏みたくなるほどの夏の東北「のへのへ」祭り。
縄文押しの駅でした。
ここからバスで約10分程度なのですが、駅⇔御所野遺跡のバスは1日3本しか走っておらず、私が到着した時間ではちょうどいいバスはなし。
レンタサイクルもあるようでしたが、結局またまた約30分かけて歩いて行くことにしました。
ちなみに、九戸城から直接御所野遺跡までは車で15分程度です。下手に頑張って歩くことなく、タクシーで移動すれば良かったと炎天下の中歩きながら後悔したけど、時すでにおすし。
Googleマップで目的地を「御所野遺跡」にしたら、謎の山道に入る羽目になりました。
いや、ここどこ????
Googleマップで時折あるやつ。目的地間近で、最後点線になって道ないところに置いてけぼりになるやつ。
地図を見る限り、左手側が遺跡公園のようなので、どこかに入口はないかとしばらく進むと、無事遺跡公園が見えました。
山道抜けたら縄文時代だった件。
めちゃめちゃ変な所から侵入してしまいましたが、柵とかもなかったし、木々の切れ目からちゃんと道が公園に続いていたし、多分不法侵入ではなかった・・・と思う。
御所野縄文公園で再現された縄文のムラを散策
本当は最初に博物館でお勉強してから遺跡公園を巡るつもりでしたが(だったらGoogleマップの目的地を博物館にしとけば良かったのに。)先に公園に到着したので、復元されたムラを散策することに。
こちらが御所野縄文公園マップ(公園内の休憩所に貼ってあったマップです。)
ムラは「東ムラ」「中央ムラ」「西ムラ」の3か所に分かれて復元されています。
私が最初に侵入したのは「東ムラ」
御所野遺跡では、800棟以上もの竪穴建物跡が見つかっており、全国の縄文時代の遺跡で初めて、竪穴建物の屋根に土が乗っていたことが分かりました。(これまでの縄文遺跡の屋根は茅。)
復元されている土屋根建物は、実際に建物跡が見つかった場所の上に再現されています。
柱穴の位置や、柱の太さも当時と同じように再現されているそうです。
おうちを覗いてみると、真ん中に囲炉裏があるだけの簡素な造りでした。
こちらは中央ムラ。掘立柱建物や配石遺構があります。
様々な形に石を並べた「配石遺構」
現代人は並んだ石に意味を見出そうしているけれど、案外「ただ暇だったから並べてみた」「邪魔だったから一か所に集めてみた」ぐらいの軽いノリで縄文時代の人たちは石を置いただけなのかもしれない、なんてことも思ったりします。
地面を掘って柱を立てた建物。
こちらは西ムラ。
西ムラの近くに、焼失実験跡が残されています。
御所野遺跡の建物の屋根が土であったことが判明したのは、遺跡の西側で焼けた建物跡が発見されたことに由来しています。
焼け跡からは、従来縄文時代の屋根として使用されていた茅が確認されず、代わりに焼けた木材の上に焼けた土が載っている状態が見つかったそうです。
そして、土屋根建物を復元した2年後に、実際の燃え落ち方を調べるための消失実験を行った場所がこちら。風化状況を確認するため、今もそのまま保存されています。
ちなみに、上の写真、焼失住居跡を撮影したつもりだったんですが、木々とか何も残ってないし、違うかも。何の写真だ、これ?(知らんがな)
何か植えられてた。
祝日(山の日)だったのですが、人が非常に少なく、世界遺産になったからといって、観光地として賑わうという訳ではないんだな~と思わずにはいられませんでした。
個人的には人が多い所嫌いなので、閑散としている観光地好きなんですけどね。
遺跡公園は綺麗に整備され、往時のムラの復元もあり、縄文時代を学ぶにはとてもいい遺跡だと思いました。
また土・日・祝日は遺跡公園内を、無料のボランティアガイドさんの説明を聞きながら回ることもできます。祝日だったので、ガイドさんいらっしゃったんですが、時間の都合で今回は一人で散策しました。(というか、よく分からん内に公園に迷い込んで、結果そのまま見学しただけ。)
御所野縄文博物館
公園内をぐるっと散策し、隣接する御所野縄文博物館へ。
第1展示室
ガラス張りの床下には、4200年前の消失焼失住居跡が展示されています。
そして、展示室ではその発掘状況から復元工程を映像やパネルで紹介しています。
正直、この説明を見るまで、公園の消失実験跡の意味がよく分からなかったのですが、ここで説明を読んで納得。
実験の結果、土屋根は密閉性が高く燃えにくいことから、焼けた建物跡は意図的に燃やした可能性が高いことが分かったそうです。
御所野遺跡のムラの想像図。
第2展示室
プロジェクションマッピングで、御所野に暮らした縄文時代の人々の生活が紹介されていました。ってか、何のシーンやねん、これ。(多分、雪のシーズンの映像の一部)
壁一面にも映像が広がって、なかなかに見ごたえありました。
縄文関連施設では、お馴染み土器コーナー。ですが、一つ一つ手作りなので、同じものはなく、どこで何度見ても面白い土器。
御所野遺跡の土器は、北と南の土器文化の交わる地域となるそう。
見せ方、おしゃれ。
左、穴だらけ。右、線だらけ。土偶の出土は数少ないということですが、かなり個性的。
2Fへ上がると遺跡公園が一望できる展望室。
そして第3展示室へ。こちらでは、山井遺跡・蒔前(まくまえ)遺跡といった周辺遺跡から出土した品々が展示されています。
こちらの展示室での目玉は蒔前遺跡から出土した重要文化財の「鼻曲り土面」
曲がってるわー。物凄い左に曲がってるわー。
曲がってる事も気になるけど、眉毛と鼻全部繋がってるのも気になるわー。
が、こちら残念ながらレプリカです。本物は北海道博物館で開催中の『北の縄文世界と国宝』展に出展中。
まぁ、正直素人目にはレプリカと言われなければ、これを本物と見分けることは不可能。(本物見たことないし。)
こちらは椛ノ木(かばのき)遺跡から出土した土偶。その愛称は「縄文ぼいん」
「ぼいん=母の印」という意味だそう。
え?そうなの?ボインの由来ってそうなの?って思って調べたら、通常巨乳の女性に使われる「ボイン」は大橋巨泉さんが朝丘雪路さんをからかって言ったのが始まりらしい。
なので、この土偶の「ぼいん」はあくまでも巨乳から暗につけた訳じゃなく、「母」を意図した言葉なんだよという博物館らしい説明がなされている訳ですね。多分。
とはいえ、縄文時代も、ボインちゃんが人気やったんかな・・・
人の本能は、多分数千年経っても変わらんもんでしょう。
♪おっきいのがボインなら ちっちゃいのはコインやで、もっとちっちゃいのはナインやで♪
(月亭可朝『嘆きのボイン』より)
改めて見て思ったけど、この歌詞令和なら炎上しそう。
なくないわ。これでも一応アルンやで。(嘆きのナイン)
博物館見学後、帰りはバスで一戸駅へ戻ります。
博物館と遺跡の駐車場を繋ぐ「きききのつりはし」
「き」が3つ連続で並ぶ名前は、この世の中で樹木希林さんだけやと思ってたらここにもありました。(さっきから出てくるネタがずっと昭和。)
通常の入口がこちら。私は完全に逆行していましたが、本来のルートは、この入口から「きききのつりはし」を通り、博物館を見学後に遺跡公園が正しいです。
御所野縄文公園から一戸駅へのバス。冬季は運休されるので注意です。
世界遺産に登録されている縄文遺跡群は全部で17か所。冬が来る前にあと何か所か行ってみたいとは思い計画中。ただし、計画は未定であり決定ではないので、どうなることやら。
利用案内
- 入館料(博物館展示室):大人300円 大学生200円 高校生以下無料
- 開館時間:9:00~17:00(博物館入館は16:30まで)
- 休館日:月曜日(祝日場合はその翌日)、祝日の翌日(土日を除く)、年末年始
おまけ
きききのつりはしにいた木の妖精(と勝手に名付けた。)
何か頭にぶっ刺さってるけど、可愛い。