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遺跡巡りとナイル川ビューが楽しめる、3泊4日ナイル川クルーズのご紹介|2024年1月エジプト旅行㉒

阪急トラピックスさんの『【エミレーツ航空利用おひとり様参加限定】感動のエジプト ナイル川クルーズ8日間』に参加し、人生初のソロ海外旅行デビュー。

今回のツアーは、現地で5泊。

最初の2泊はカイロのホテル。

iechiko.hatenablog.com

残り3泊は、ナイル川クルーズ船での宿泊でした。

今回は、3泊4日を過ごしたクルーズ船をご紹介します。

アスワンからルクソールを航行しながら、遺跡巡り

ナイル川クルーズは、エジプト旅行の一つの目玉でもあり、多数のクルーズ船が川を運航しています。

エジプト旅行に行くにあたり、複数の旅行会社のツアーを検討したのですが、日数が8日間ほどあるツアーは、このナイル川クルーズが付いているものが多かったです。

ナイル川クルーズがなく、その代わり多数の遺跡を巡るツアーもあったのですが、やはり

「エジプトは、ナイルの賜物」

とヘロドトスさんもおっしゃっていることですし、ナイル川を見ずして、エジプトは語れんだろと思い、クルーズ付きのツアーにした次第。

あと単純に、最近船旅の楽しさに目覚めたというのもある。

船の運航ルートは、アスワンハイダムのあるアスワンから、王家の谷やルクソール神殿があるルクソールまで。

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今回、乗船した船はこちら。

名前・・・すいません、忘れました。

ルクソールからアスワンへ向かう船もあり、デッキで景色見てた時にすれ違いました。

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ちなみに、デッキは結構風が強く寒かったんですが、すれ違った船では欧米人の方がプールに入って遊んでいました。

欧米人って、何であんなにプール好きなん?マジで謎なんですけど。

船の乗船客は、我々以外は皆さん欧米系の方々だったように記憶しています。

というか、エジプト自体、アジア系より欧米人の観光客が多かった印象です。

乗船スケジュールとしては

1日目の夜、アスワンを出航。

2日目朝、コム・オンボに到着。

午前中に「コム・オンボ神殿」を見学。

iechiko.hatenablog.com

その後、また出航し、午後はエドフへ。そこでは「ホルス神殿」を見学。

iechiko.hatenablog.com

船に戻ったあと、船はルクソールに向けて出航。

ディナー前に、カクテルパーティー、食事後は、ガラベイヤパーティー開催。

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カクテルパーティーで飲んだノンアルカクテル。

カクテルパーティーでは、船内のスタッフ紹介があり、っていうかそれがむしろメインなんじゃん?てぐらい長かったです。英語のリスニングの勉強時間やと思って聞いてました。

3日目、ルクソール到着。

ルクソールで「王家の谷」や「カルナック・アメン神殿」などなど1日かけて見学。

見学後、船に戻り宿泊。

夜は、ベリーダンスショー開催。

4日目の朝、下船。(その後、国内線でカイロへ)

という流れでした。

なお、確か乗船した翌日だったと思うんですが、どうやらモスク近くに停泊していたみたいで、早朝から爆音のアザーンが聞こえて来て、目覚めたあと全く眠れませんでした。

これも、異文化を知る貴重な時間と思うことにし、ベッドでゴロゴロして過ごしてました。

また、船内で夜に行われていたパーティーですが、参加は自由。

とりあえず、どんなもんだろ、と雰囲気だけ見るために両日行ってみましたが、ツアー客の方の参加者は、半分いくかいかないかぐらい。

全体的にも、それほど参加者は多くなく。

外国人の方って、パーティー好きのイメージがあって、みんな参加しているもんだと思ったら、意外とそうでもなかったです。

毎日朝早いし、終日遺跡見学しているしで、皆さんお疲れだったんですかね。

「地球の歩き方」のナイル川クルーズ紹介ページにも、カクテルパーティーや、ガラベイヤパーティーの記載があるので、大体どの船でも同じようなイベントが繰り広げられていると思われます。

クルーズ船内&部屋の様子

船は割と大きいですが、いわゆる豪華客船!みたいなものをイメージするとちょっと違うかな、と。

ナイル川クルーズについて、船のレベルが低かった・・・みたいな口コミを読んだりもしたのですが、個人的には古さは感じるけど、清潔感あり、スタッフの方もフレンドリーで快適でした。

今回はツアーだったので、このクルーズ旅だけの価格は不明ですが、船によって価格も変わってくるのかもしれません。

私たちの乗船した船内や、部屋の様子をご参考までに。

船内ロビー

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ツアーの集合場所は、いつもここでした。

セキュリティゲートみたいなのあったけど、稼働してなかった・・・

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なお、停泊所では大概、船同士がぴったり隣り合って停泊していました。

なので、乗船&下船の際は、隣の船の中を突っ切って移動するというなかなか斬新な方法を取っていました。

屋外デッキ

最上部は、屋外デッキになっています。

ここで、ナイル川を眺めての~んびり・・・したかったけど、風がめっちゃ強くて寒く、あまり優雅な時間は過ごせませんでした。

何度か上がってみたけど、常に人、ほとんどいなかった・・・
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誰一人として泳いでいなかったプール。
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これが、エジプトの賜物か。

強風ではありましたが、デッキから眺めるナイル川はなかなかに美しかったです。

あと、海と違って波がないので、波揺れで酔うなんてことは一切なし。

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川沿いには、時折家があり、人々の暮らしの様子を垣間見れました。

ここで生まれ育った人生は、どんなものなんだろう、と異国の地で思いを馳せてみたりした。

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何かの工場。

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ナイル川沿いに沈む夕日。

ツアー5日目、コム・オンボ神殿&エドフ神殿を見学した日だけ、割とスケジュールにゆとりがあり、船で過ごす自由時間がありました。

この時間を使って、洗面所でエジプト冬の洗濯祭りを開催。あとは、デッキや部屋の窓から景色を見たり、ガイドさんや他のツアー客の方とお話をして過ごしたり。

3泊4日のクルーズ船の旅と言っても、船で過ごす時間はそれほど多くなかったので、退屈する暇もなかったです。

部屋

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国内で、船では個室の部屋に泊まったことがないので、個室なだけで私にとっては快適度マシマシ。

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部屋は、ほぼベッドで占められています。

トランク広げるスペースがなかったので、奥の机と椅子を端っこにおいやって、スペース作りました。

部屋のコンセントが窓際の壁にしかなく、しかも絶妙に微妙な高さ。

マルチタップ繋いだら、重さでダルンって傾いた。

コンセント足りなくて、使っていないランプのコンセント1個抜いて、そこも使用していました。

また、冷蔵庫の電源は入らず。そして、暖房も入らず・・・

どちらも使わず過ごせたから、別にいいんですけどね。

一応、ツアーのおすすめポイントとして「5つ星デラックス客船(当社基準)」と記載されていますが、クオリティとしてはこんな感じです。

これを「5つ星って言っていたのに、不具合多すぎる!」と文句を言うのではなく、これがエジプトクオリティなんだと受け入れるべきかと。

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ちなみに、お湯は毎日しっかり出ました。これで十分です。

船内のお食事

食事は毎回、ビュッフェスタイル。

メニューも毎回異なっていて、飽きることはなかったです。

味も美味しかったし、6日目だったかな?何と日本食もありました。

だし巻き卵、普通に美味しかった。

ビュッフェの方が、自分で量を調整できるので個人的にはありがたかったです。

(お腹を壊すのが怖くて、毎食いつもに比べて食べる量を減らしていました。)

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船内1日目の夜ごはん。
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船内2日目の朝ごはん。

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2日目の昼ご飯。f:id:iechiko:20240312164809j:image

2日目の夜ご飯。
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何で撮影したのか分からない「Oriental Pastry」

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3日目の朝ごはん。だし巻きとお味噌汁にパン。確かご飯もあったような・・・

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3日目の昼ご飯。

夜ご飯、撮影忘れ。

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4日目、下船前の朝ごはん。この日もだし巻きあったみたい。

それぞれの味を細かく覚えちゃいませんが、いずれも美味しかったです。

やはり、ツアーだからでしょうか。ちゃんと観光客向けの食事を提供してもらえるので、全体通して食事に外れはなかったです。

飲み物代だけはツアー料金に入っていないので、毎回注文した際のレシートのようなものをもらって、最後の夜にまとめて清算しました。

エジプトポンド、USドル、カード、どれでも使用可とのことでしたが、カードの読み取り機の不具合があったみたいで、結構手こずってた模様。

私はちょうどエジプトポンドがあったので、さくっと清算できました。

なお、清算の際にも、ガイドさんや添乗員さんがスタッフさんとの間に入って、お手伝いしてくれます。本当、ツアーって至れり尽くせりなのね。

エスナのロック(閘門)

河川の高低差を超す為の施設、閘門。

その様子を船内から見る事ができました。

船が閘門に入り、水位を下げて船を下げる。

ちょっと分かりにくいですが、壁が濡れている所までが、元々の川の水位。

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そして、船を下げて下流へ。

5階のデッキと道がほぼ同じ高さなので、かなり下がったことがよく分かりました。

向こう側に見える街の明かりと、オリオン座が綺麗でした。(寒さで、動画に鼻水すする音ばっか入っていたけど。)

バスや電車、飛行機で移動するよりも、自由に動けるし、景色も楽しめる。

船旅って、やっぱり楽しい。

ナイル川クルーズのあるツアーに申し込んで良かったです。

おまけ


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レストランのウェイターさんが、ナプキンで作ってくれたマミー(ミイラ)
毎回同じ席に座っていたから、顔覚えてくれたみたいで、後半は私が席に近づいたら、定位置の椅子を引いてくれました。

あと、別にいいんですが、空の皿を下げるスピードが毎回超早かった。皿、足りてなかったんかな?

ライトアップされた「ルクソール神殿」で遺跡巡りを締めくくる|2024年1月エジプト旅行㉑

阪急トラピックスさんの『【エミレーツ航空利用おひとり様参加限定】感動のエジプト ナイル川クルーズ8日間』に参加し、人生初のソロ海外旅行デビュー。

古代エジプト文明の遺跡、最後に訪れたのはルクソール東岸にあるルクソール神殿

スフィンクス参道と1本だけのオベリスク

カルナック・アメン神殿見学後、もはや何度目か分からないお土産屋さんへ。

貴金属のお店で、カルトゥーシュに自分の名前を入れてネックレスにしてもらえます。

いつものごとく、私にとっては単なるトイレ休憩・・・

財布の紐が固いという訳ではなく、単に物を増やしたくないのと、あとは物より経験にお金使いたいだけなんです。

そしてその後、エジプト考古学博物館に始まった、エジプト古代文明の旅、ラストを締めくくるルクソール神殿

(翌日もカイロで観光がありましたが、古代エジプトの遺跡巡りはこの日が最後)

神殿前の広場。地元の人とか観光客とかで賑わってる。

海外の、この何でだかよく分からないけれど人が集まってて賑やかな雰囲気、結構好き。(でも、人が多すぎると治安面がちと心配・・・)

すっかり夕暮れ。ルクソール神殿は、ライトアップされた状態で見学します。

(ガイドさんもこれを狙って、あえて遅い時間に来るようにしたらしい。)

ルクソール神殿のチケットは400エジプトポンド(約2,000円)(2024年1月時点)

ルクソール神殿は、先ほど訪れたカルナック・アメン神殿の付属神殿で、アメン神殿から約3キロの距離にあり、両脇にスフィンクスが並ぶ参道で結ばれています。

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スフィンクス参道から見るルクソール神殿の第一塔門。

ガイドさんの説明が終わったあと、自由時間に撮影したので夜の風景。

何番目か忘れましたが、塔門に向かって右側に保存状態のよいスフィンクス像があります。
ルクソール神殿は、新王国時代・第18王朝のアメンヘテプ3世(ツタンカーメン王のおじいちゃん)によって主要部分が造られ、その後19王朝のラムセス2世によって増改築されました。

ここでも出ました、ラムセス2世。「建築王」と呼ばれるゆえん、この旅でよーく分かりました。

現在、神殿の入口となっている第一塔門はラムセス2世によって建造されたもの。

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塔門前には、ここにもいます、ラムセス2世の巨像。

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また、第一塔門の前には、オベリスクが建っています。

元々は左右に2本ありましたが、現在は1本だけ。
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もう1本は、現在パリのコンコルド広場にあります。

かれこれ15年ほど前にパリに行った時、そのオベリスク見ました。

沢山のラムセス2世像と、神殿の中にあるモスク

第一塔門を通って、第一中庭に。

この色味で見ると、巨象の迫力が増します。

バイオハザードのゲームで、石をはめたら「ゴゴゴゴゴゴゴ」とかいって動き出すタイプの像。(どんなタイプの像)

神殿の中に、イスラム教徒のモスクがあります。
この場所は、後にキリスト教徒によって教会が建てられ、更にその後、約900年前にはイスラム教徒によってモスクが建てられました。

このモスクの入口は、頭上の遥か上にある扉。

それではここでクエスチョンです。こんな高い所にある扉でどのように出入りしていたのでしょーか?

♪ディリディリディリディリディリディリディリディー♪

 

正解は・・・・

当時はあの場所まで、砂に埋まっていた

でした。

正解した方には、ひとしくん人形差し上げます。夢の中で。今夜出てきます。(嫌やわ)

第二塔門にもラムセス2世像。

この旅で、一番見た巨象、それは間違いなくラムセス2世。

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像の台座には、上エジプトを象徴するロータスと、下エジプトを象徴するパピルスが結ばれた様子=上下エジプトを統一したことを表すレリーフが彫られています。

ここまでが、ラムセス2世が増改築した部分です。沢山自分の像を建てているので、どこを造ったかある意味、分かりやすい。

アメンヘテプ3世が建造した神殿内部

第二塔門から奥は、元々アメンヘテプ3世によって造られていたエリア。

恐らく、この像はツタンカーメン王ではないかと言われていますが、ラムセス2世の名前に書き換えられています。

ラムセス2世は、巨像を造るだけでなく、過去の王の名前を自分の名前に書き換える、ということも数多く行っています。

自己顕示欲、凄いな。

大列柱室を抜けた先には、アメンヘテプ3世時代に作られた中庭。

わ~パルテノン神殿みた~い

(行ったことないから、完全に雰囲気で言っています。)

近年になって、この中庭の地下から多くの彫像が見つかりました。

ガイドさんの説明では、古代エジプトの神官・アイが墓泥棒による盗掘を避けるために、この神殿に地下を掘り、埋めて隠したとのこと。

ちなみに、エジプト考古学者・河江先生のYoutubeでは、ローマ皇帝がこの神殿を城塞にするときに、神々や王の彫像を壊すのではなく、地中に埋めた、と説明されていました。

・・・どっちが正しいのだろう?いや、両方とも正しいのか・・・?

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中庭の奥に進むと、ローマ時代になってから描かれたフラスコ画が残る壁があります。
4世紀頃に描かれたもので、明らかに他の古代エジプト時代とは異なる、ヨーロッパ人の姿です。

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また、破竹の勢いで東征を行い、気づいたらインド間近まで行っちゃった、でお馴染みのアレクサンドロス大王の名も、カルトゥーシュに刻まれていました。

紀元前332年、アレクサンドロス大王はエジプトを征服。

大王の死後、部下の一人であったプトレマイオスがエジプト王として即位して、プトレマイオス朝が開かれます。

しかし、紀元前30年にクレオパトラ7世が自殺し、プトレマイオス朝は滅び、その後エジプトはローマ帝国の支配下に入ることとなります。

高校時代、日本史選択していたので、世界史は知識不足なのですが、こうやって実際に訪れることで、どんどん知識を増やしていきたいな~と思います。

やっぱり、歴史や地理は、書籍で読むだけでなく、現地に訪れることが一番記憶に残る!と思う。

最後の遺跡散策 自由時間に神殿周辺をブラブラ

ガイドさんの説明後、自由時間がもらえたので、神殿を散策。

外側には、沢山石が積まれていました。これら、いずれ修復される予定で置かれているのか。はたまた、どこの石か分からないから、とりあえず置かれているのか・・・?

そして、ヤシの木の間に見える月が綺麗。

沢山見たラムセス2世も、見納め。

3000年の歴史を、ぎゅーーーーっと凝縮して堪能した5日間。

この長い歴史を知るには、あまりにも短い時間でしたが、主要な遺跡群は見る事ができて大満足でした。

1週間のエジプト旅も明日で終わり。

最終日は、カイロに戻って、カイロ市内をさくっと観光します。

おまけ

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エジプトツアーを申し込んだ昨年10月から、すっかりエジプト文明にハマっていましたが、先日、国立国際美術館の『古代メキシコ-マヤ、アステカ、テオティワカン』展を見に行き、今度はメキシコに行きたくなった・・・・

大列柱室の美しさに感動!「カルナック・アメン神殿」|2024年1月エジプト旅行⑳

阪急トラピックスさんの『【エミレーツ航空利用おひとり様参加限定】感動のエジプト ナイル川クルーズ8日間』に参加し、人生初のソロ海外旅行デビュー。

ツアー6日目の午後は、ルクソール東岸にある2つの神殿を見学。

まずは、エジプト最大級のカルナック・アメン神殿へ。

1000年以上に渡って増築された神殿

カルナックには、複数の神殿があるのですが、その中で最も規模が大きいのがカルナック・アメン神殿です。

神殿の起源は、中王国時代と言われています。

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その後、新王国時代の歴代ファラオが改築を重ねた結果、神殿の規模が拡大していきました。

カルナック神殿のチケットは450エジプトポンド(約2,250円)(2024年1月時点)

スフィンクス神殿から中庭・ラムセス3世神殿

スフィンクス参道を通り、第一塔門へ。

それでは、ここでクエスチョンです。

このスフィンクスの顔が、通常のスフィンクスとは異なった動物をモチーフとしています。さて、その動物とは何でしょう?

♪ディリディリディリディリディリディリディリディー♪

というクエスチョンが、本当に先週の『世界ふしぎ発見!』で出されていました。

正解は・・・

でしたー

ちなみに、塔門に向かって左側の列の右から2番目のスフィンクスが、一番綺麗な形で残っています。

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第一塔門

(1時間ほど神殿を見学して出た時に撮った写真なので、日差しの色がだいぶ夕方)

第一塔門を抜けると、中庭があります。

右から「コンス神礼拝堂」「アメン神礼拝堂」「ムウト神礼拝堂」

アメン神は、この地、テーベの主神。その妻がムウト神。二人の子がコンス神です。

元々アメン神はテーベ地方の神でしたが、太陽神・ラーと習合し、エジプトの最高神となりました。

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中庭に立つ柱。

供物台

中庭の右手側にあるラムセス3世神殿

ラムセス3世は、新王国時代・第20王朝の王。

徐々に国力が衰えていた新王国時代後期に、リビア人や「海の民」と戦争を行い、エジプトへの侵略を食い止めました。

「ラムセス」と言えば、カデシュの戦いでヒッタイトと戦い、建築王とも呼ばれるラムセス2世が有名ですが、ラムセス2世の次に王となったのがラムセス3世という訳ではなく、更に二人の間には血縁関係もなかったようです。

あらゆる所でこのように腕を交差して立つ像を見てきました。

同じポーズを撮って、写真を撮る時の注意点を一つ。

クロスした腕は、左前。

ラムセス3世の神殿前から見た中庭。壁になっているのが第一塔門です。

進撃の巨人なら、あそこから大型巨人がこんにちはして、村人大パニックです。

圧巻の大列柱室

続いて、第二塔門を通って大列柱室へ。

第二塔門の前には、ラムセス2世の巨象。

この旅で私が見たラムセス2世。ほぼ巨人です。

ラムセス2世の巨象は左右で対になって立っていましたが、現在は1体のみ。

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反対側には、パネジェネム1世の像があり、その右隣では、もう1体のラムセス2世像が修復作業中でした。

ずらりと並ぶ柱に、圧倒される大列柱室。

1本1本にレリーフが刻まれており、所々ではありますが色も残されています。

今回のエジプト旅行ブログで何回言うねんって感じですが、この色は塗り直しはされていない3000年以上前の当時の色です。

柱には2種類あり上の写真が、上部が傘のように開いた柱。

中央に12本あり、ほかの柱より高くなっています。

そして、もう一種類がこのようにつぼみのような形のものがあります。

というか、柱の上の天井、どうやって乗せたんでしょうか。エジプト遺跡は謎しかない。

色が全部ついていた当時の列柱室、どれほど鮮やかで美しかったことでしょう。

遺跡を修復する際、当時の様子を再現して色も塗り直されることもありますが、個人的には色などはあえて塗り直さず、時代と共に色あせた姿で保存されている方が好きです。そして、想像力で当時の様子を想像して、心の中でニマニマするのが趣味です。(外部にばれていないけど、実質、変質者)

一通りガイドさんの説明が終わった後に、自由時間があったのですが、その時にこの大列柱室に戻って来て沢山写真を撮りました。

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修復作業中の場所もありました。大体こういう遺跡って、どこかしら修復作業してるよね。

あと、香港と梅田周辺も一生工事してるよね。

巨大なオベリスク、どうやって建てられた!?

大列柱室から第三塔門を抜けると、巨大な2本のオベリスクが現れます。

大列柱室は、第19王朝になって増築された部分なので、第18王朝(ハトシェプスト女王やトトメス3世の時代)は、ここが神殿の入口でした。

左側がハトシェプスト女王のオベリスク、右側がトトメス1世のオベリスクです。

ここでまた生まれる疑問。

どうやって立てたんだ?この巨大なオベリスク

土台との接地面はこのようになっており、もちろんセメント等で固定されている訳ではありません。ただ、立っているだけ。

エジプト考古学者・河江先生のYoutubeによると、砂と傾斜路を使って持ちあげたんだそうです。

ご興味のある方は、ぜひこちらのYoutubeをご覧ください。(カルナック神殿そのものの解説を詳しくされているので、ま、ぶっちゃけ私のブログを読むより先生のYoutube見た方がずーっと分かりやすくて為になります。はい。)


www.youtube.com

色んな国の人たちと、大スカラベの周りをぐーるぐる

オベリスクから第4塔門、第5塔門と続き至聖所があるのですが、私たちはそちらへは行かず右手側の聖なる池がある場所へ。

(自由時間に、至聖所の方に行けば良かったな・・・なんせ広くて自分がどこにいるのかもよく分からないし、時間にも限りがあったので、全部を周ることは不可能でした。)

聖なる池。

犬、落ちてる。

『地球の歩き方2021~2022』のカルナック・アメン神殿の地図上には

ハトシェプスト女王の倒れたオベリスク

と書かれているのですが、どうやら修復して立ち上がったようです。(ガイドさんに説明してもらった気もするんですが、動画を撮っておらず、記憶にも残っておらずで詳細不明・・・)

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聖なる池の近くにあるスカラベ。

この周りを反時計回りで7周まわると、願いが叶うそうです。

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ということで、色んな国の人が、一心不乱にスカラベの周りをぐーるぐる。

もはや、この光景は一種の宗教儀式のようです。

私たちも、自由時間を利用してぐーるぐるしました。7周もまわると結構クラクラします。

そして、その願いが叶ったかどうかと言いますと・・・

そもそも、何願ったのかさえ覚えてないわ。

(記憶力の向上を願えば良かった)

ここでの自由時間は3~40分ほどあったかと思うのですが、来た道を戻りながら主に大列柱室やスフィンクス参道で写真を撮って過ごしていたら、あっという間に終了。

カルナック神殿は、アメン神殿だけでなく多数の神殿があるので、じっくり見ようと思ったら半日は必要かと。

時間が十分とは言えませんでしたが、それでも見ごたえたっぷりの神殿でした。

おまけ

旅行で撮影した写真を見返すと、「これ、何で撮ったんだろ?」という写真が時折出てきます。

恐らく、ガイドさんが何か説明されて、その時は「ふんふん、なるほど~」と思って撮ったんでしょうが・・・

・・・これ、何の穴?

(スカラベさん、私に2か月前の記憶をください。)

 

王妃の谷『ネフェルタリの墓』は、美しさと金額が桁違いだった|2024年1月エジプト旅行⑲

阪急トラピックスさんの『【エミレーツ航空利用おひとり様参加限定】感動のエジプト ナイル川クルーズ8日間』に参加し、人生初のソロ海外旅行デビュー。

10分で2万円の高額オプショナルツアー

「王家の谷」と「ハトシェプスト女王葬祭殿」を見学し、お土産屋さんに立ち寄った後は、オプショナルツアーで申し込んだ王妃の谷にある「ネフェルタリの墓」見学へ。

ネフェルタリは、新王国時代・第19王朝の王 ラムセス2世の王妃(の一人。)

ラムセス2世は、2日前に訪れた「アブシンベル神殿」を建築した王で、アブシンベル小神殿はこのネフェルタリの為に建造されたものでした。

iechiko.hatenablog.com

ラムセス2世に神殿を造らせちゃうぐらい愛された最愛の妃、ネフェルタリのお墓は、非常に保存状態がよく、現在エジプトで最も美しいお墓と言われています。

保存状態を保つために、1日の入場者数は150人限定。そして、見学時間は10分~15分程度と制限されています。

そして、見学が短時間であるにも関わらず、チケットが高い!

オプショナルツアー代は、20,000円でした。

・・・10分、20,000円。銀座の高級クラブかよ。

ま、銀座の高級クラブに行ったことはないので、本当の相場は知らんけど。

1分あたりに換算すると、自分史上最も高い見学料であることには間違いないです。

でも、写真や動画で見て、これ、絶対に生で見たい!!って思っていたので、2万円も惜しくない。ここまで来て、行かない理由なんてない。止まない雨はない。明けない夜もない。

ちなみに、ネフェルタリの墓のチケット代が2万円もするのではなく、OPツアーなので、送迎とか、ガイドさん料とか、旅行会社へのマージンとか諸々込みでこの価格になっています。

お墓だけのチケット代は・・・すいません、チケット売り場に書いてあったけど忘れました。

2021~2022年度版の「地球の歩き方」では1400エジプトポンド(約7,000円)となっていますが、恐らく現在はもっと上がってると思います。

なお、王妃の谷の入場チケットは180エジプトポンド(約900円)(2024年1月時点)と良心的。このチケット代とは別に、ネフェルタリの墓見学チケットが必要となります。

ただ、今しがた阪急トラピックスのHPを見たんですが、ネフェルタリの墓は緊急修復工事のため、2024年3月2日より閉館しており、このオプショナルツアーは現在中止となっているようです。

良かったー!1月に行って、本当に良かったー!

3200年以上残り続ける、美しすぎるレリーフの色彩

f:id:iechiko:20240319124115j:image王妃の谷の入口。f:id:iechiko:20240319124033j:image王妃の谷のお墓も岩窟墓なので、雰囲気は王家の谷と同じ感じです。
f:id:iechiko:20240319124118j:imageこの景観だけでも、日本だったら名所になりそう。

f:id:iechiko:20240319124110j:imageこちらがお墓の入口です。
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お墓の構造はこのようになっています。

階段を降りて、前室と側室があって、さらに階段があって奥に玄室。

入口前でガイドさんの説明を受けて、いざネフェルタリのお墓へ!

過去に行った方のブログなどを読むと、墓内での撮影が禁止だったとあったので、目ん玉にしっかり焼きつけるぞー!と意気込んでいたら、ガイドさんに「中、撮影していいよ」ってあっさり言われました。

いいんかよ。撮影ルールは、行った時に確認してみないと分からないので、とりあえず、過去駄目だと言われたという情報があっても、撮影できるかどうか、ダメ元で聞いてみましょう。

この日の午前中、王家の谷で数か所のお墓に入り、「凄い!3000年前の色が残っている!」と感動していました。

ラムセス4世の墓のレリーフ

ツタンカーメン王墓のレリーフ

が、さすがエジプトで最も美しいと言われるお墓。色の濃さが全然違う。

入った瞬間に

え?これ、先週修復作業で塗り直しましたよね?

と言うレベル。
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前室にある有名なレリーフの一つ。古代エジプトのゲーム「セネト」(チェスみたいなゲームだそう)を行うネフェルタリが左側に描かれています。

通常、王のお墓には「死者の書」と言われる、古代エジプトの葬送文書が描かれています。王以外の人のお墓には日常生活も描かれているのですが、ネフェルタリのお墓には王と同じ、死者の書に関するレリーフが描かれています。

最愛の妃、ネフェルタリをラムセス2世はファラオ=神とし、神殿やお墓を造ったんですね。

(ラムセス2世って、50人以上奥さんがいたと言われていますが、このネフェルタリに対する特別視、他の女性たちはどう見ていたんでしょうか。エジプト版「大奥」みたいなドロドロした愛憎劇があったんかな、やっぱ。)
f:id:iechiko:20240319124107j:image天井には一面星空。
f:id:iechiko:20240319124053j:imageレリーフには、冥界へ旅立つネフェルタリを迎えに来た多くの神々が描かれています。

右側に描かれているのは、冥界の神・オシリス神。

f:id:iechiko:20240319124130j:imageエジプト神話では、オシリスは、弟のセトに殺害された後、妻イシスによってミイラとなり、冥界に復活したというお話があります。

ゆえに、ミイラの白い包帯で巻かれた姿で描かれています。(単に白い衣装着ているんだと思っていた。日本の神主さん的な感じで。)

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f:id:iechiko:20240319124049j:image右側には、ホルス神に手を引かれているネフェルタリ。

左側には、頭に太陽円盤を乗せたラー・ホルアクティ神ハトホル女神

多少、壁がはがれてしまっている所がありますが、それでもこの色の鮮やかさ。

ラムセス2世の治世は、紀元前1250年頃なので、その奥さんのお墓ということは、大体3200年前に描かれたレリーフということです。

しつこいようですが、色彩の塗り直しは行われていません。当時の色がそのまま残っています。
f:id:iechiko:20240319124036j:imageこちらでは、イシス神に手を引かれたネフェルタリが描かれています。
f:id:iechiko:20240319124029j:image前室と繋がっている側室へ。

f:id:iechiko:20240319124018j:imageオシリス神(見切れてる)の右側に描かれているのは、創造神のアトゥム神

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f:id:iechiko:20240319124021j:imageトキの頭を持つトト神。書記としての役割を持った神様です。
f:id:iechiko:20240319124100j:image玄室へと続く階段の両側にも、レリーフがびっしり。
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f:id:iechiko:20240319124106j:image死者の守護神・アヌビス神。

私、大の犬好きなので、エジプト神の中でもアヌビス神はトップクラスで好きな神様です。
f:id:iechiko:20240319124055j:image玄室には、石棺は残っていません。

お墓は盗掘にあっていて、ミイラの一部(膝の部分)のみが発見されています。

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全裸で刃物を持っているなんて、完全に変質者かサイコパスですが、これも死者の書の一部を描いたもののようです。

変質者とか言ってすいませんでした。
見学時間は10分~15分程度と言われていますが、誰かが厳密に測っている訳でもないので、10分過ぎたからと言って「早く退出しろ!」なんてことは言われません。

私たちも大体10分強の滞在で、写真を撮って、レリーフを目に焼き付けて、10回ぐらい

これ、3000年以上前の色とか信じられないですよね。

って同じような事ばっか言って、退出しました。
自分史上、一番高い10分間でしたが、OPツアー申し込んで生で見て良かった!と思える美しいお墓でした。

アメンヘルケプシェフ王子の墓も見学

ネフェルタリの墓を見学したあと、まだ時間があるしということで、王妃の谷で公開されているアメンヘルケプシェフ王子のお墓も見学しました。

アメンヘルケプシェフ王子は、新王国時代・第20王朝の王、ラムセス3世の息子です。f:id:iechiko:20240319124116j:image

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レリーフはガラスで保護されていて、「ネフェルタリの墓はむき出しだったのに、こっちの方が何で保護されてんの??」と思いガイドさんに聞いたところ、このお墓の壁は漆喰で、破損しやすいため、このようにガラスで保護されているんだそう。

ほーほー。

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背が低い子が息子のアメンヘルケプシェフ王子で、その前にいるのがラムセス3世。

アメンヘルケプシェフは、15歳前後で亡くなったそう。

幼くして亡くなった息子を、ラムセス3世が神々に引き合わせている様子がレリーフに描かれています。

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ネフェルタリの墓の色の鮮やかさを見た後なので、どうしても比べてしまいますが、ここも十分保存状態よく残っていると思います。

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奥には、花崗岩でできた石棺。
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いた!アヌビス神!
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「これ、めっちゃ手、しびれてるんですかね?」とか

「めっちゃ早く、手を動かしている様子を表現してるんでは?」など意見がありました。

真相は不明。

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ミイラの一部がありました。

これ、アメンヘルケプシェフのミイラの一部・・・かな。記憶が残っていない上に、説明書きっぽい英文もぼやけて読めません。

でも、アメンヘルケプシェフのお墓に残されているっていうことは、おそらく彼のミイラでしょう。(間違っていたらすいません。)

オプショナルツアーの後は、船に戻ってお昼ご飯を食べ、午後からのツアーに備えます。

午前中は、ルクソール西岸の「死者の町」でお墓や葬祭殿を巡りましたが、午後からはルクソール東岸の「生者の町」で神殿見学です。

おまけ

ネフェルタリの墓で、気に入ったフクロウのレリーフ。

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・・・こっち、見んな。(気に入ったって言っといて。)

消された女王・ハトシェプストの葬祭殿|2024年1月エジプト旅行⑱

阪急トラピックスさんの『【エミレーツ航空利用おひとり様参加限定】感動のエジプト ナイル川クルーズ8日間』に参加し、人生初のソロ海外旅行デビュー。

「王家の谷」で王墓見学をした後は、ハトシェプスト葬祭殿へ。

消された女王・ハトシェプスト

ギザの三大ピラミッドなどが建造された古王国時代の後、古代エジプトは第一中間期中王国時代と変革します。

続く第二中間期は、アジア系のヒクソスが侵入し王朝を立てました。

そのヒクソスをエジプトから追放し、新王国時代が始まり、第18王朝最初の王となったのがイアフメス

その息子トトメス1世は、アジアへの軍事遠征を行いました。

そして、そのトトメス1世の娘にあたるのが、今回ご紹介する葬祭殿を建設した女王・ハトシェプストです

「ハトシェプスト女王のオシリス柱頭部」@エジプト考古博物館

ハトシェプストは、トトメス1世の次の王となったトトメス2世と結婚しますが、二人の間に男児は生まれませんでした。

トトメス2世の死後、側室との間に生まれたトトメス3世が即位しますが、まだ幼かったため、ハトシェプストが摂政となり政治の実権を握りました。

(幼帝が立って、摂政が力を握る。日本の歴史でも出て来るパターン。)

ハトシェプストのスフィンクス像@エジプト考古博物館

新王朝の中で、大いに繁栄した第18王朝期ですが(初の宗教改革をしたアクエンアテンや、その息子・ツタンカーメンも18王朝の王です。)その礎を築いたのがハトシェプスト女王だと言われています。

葬祭殿や、王家の谷、カルナックアメン大神殿のオベリスクなどを建設し、また武力ではなく他国との交易を拡大することで、国の発展を行いました。

自身が王として君臨する正当性や、行った事業が葬祭殿のレリーフに刻まれているのですが、それらは彼女の死後、トトメス3世によって削られてしまいました。

以前は、摂政という立場で権力を握り続けたハトシェプストに対しての恨みから、彼女の存在を抹殺しようとした、と考えられていたようですが、近年では、女王の存在を消すことで、父(男性)から息子(男性)への王位継承権の正当性を強めた、という説が有力視されているようです。

3層テラスからなる広大な「ハトシェプスト葬祭殿」

ハトシェプスト葬祭殿は、女王の側近であったセンムトが責任者となりアル=ディール・アル=バハリの崖下に建設されました。王家の谷と崖を挟んで反対側に位置しています。

非常に素晴らしい葬祭殿で、エジプトに行ったら絶対に行きたい場所の一つ。

ただ、この場所で悲惨な出来事があったことも忘れてはなりません。

1997年、イスラム原理主義過激派「イスラム集団」のテロリストによる無差別テロがハトシェプスト葬祭殿で行われ、日本人観光客10名を含む62名の方々がお亡くなりになりました。

その後も何度かエジプトでは、テロで観光客の方が亡くなる事件が起こっています。

現在は、遺跡の入口ごとに手荷物検査があり、一定の安全対策は取られているかと思います。(ただ、バスを襲ったテロ事件もあったようで、それはもう防ぎようがないのでは・・・)

でも、海外にいようが、日本にいようが、いつどこで何が起こるかは分からない。この一言で片づけてしまうのは良くないのかもしれませんが、結局人生「運次第」やと思って生きています。

あ、話それたので葬祭殿に戻します・・・

入口にあったハトシェプスト葬祭殿の模型

入場チケットは360エジプトポンド(日本円で約1,800円)(2024年1月時点)

崖下に、君臨する葬祭殿。見事な景観です。

葬祭殿は3段のテラス構造となっています。

元々、女王の葬祭殿の隣に第11王朝の王・メンチュヘテプ2世の墓所があり、葬祭殿はそれをモデルに建造されました。

王は、王墓とは別に葬祭殿を築きました。そのため、ハトシェプスト女王のミイラは王家の谷で発見されています。

王家の谷に埋葬された王は60名以上いますが、全員の葬祭殿は見つかっていません。

というか、3000年以上残っている方が凄いのよね。普通、消えてなくなるでしょ。3000年も経てば。

当時、入口前に木が植えられており、その根っこが今も残っています。

凄く見にくいんですが、柵で覆われた地面の所、黒い塊みたいなのが根っこ。3000年ぐらい前の根っこ。

葬祭殿第一テラス

第一テラスには、前庭が造られていたそうです。

スフィンクス像、鎮座。

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おめめ、パッチリ。

第一テラスから第二テラスへのスロープ。

葬祭殿第二テラス

第二テラス。広いんですけど。凄く立派過ぎるんですけど。

ちなみに、葬祭殿責任者のセンムトとハトシェプストは恋愛関係にあったのではないか・・・とも言われております。

ハトシェプストが主人公の漫画『蒼いホルスの瞳』では、確実にそのような関係性で描かれていました。気になる方はぜひご一読を。
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愛と美の女神・ハトホル女神礼拝所の前の列柱室。列柱の頭部にもハトホル女神が刻まれています。

牛と向かいあって描かれたハトシェプスト女王のレリーフは、削られてしまっています。

結構劣化が進んでいますが、当時の交易の様子を描いたレリーフも残っています。
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人が船漕いでいるの、分かりますかね・・・

ハトシェプスト女王は、当時プントと呼ばれていた国と交易をしていました。

プントの位置は明確には分かっていないようですが、今のエチオピアやエリトリア、ソマリア周辺の紅海に面していた辺りだと考えられています。

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青い色の海の中に、お魚さんが描かれているのですが、描かれているのは紅海にいた海のお魚。

なお、紅海はダイビングスポットでもあるようで、ガイドさんもおススメしていました。ダイビングなー。やりたいんだけど、鼻腔が狭い私は耳抜きがとっても苦手・・・

葬祭殿第三テラス

第二テラスから第三テラスへ上がると、両側にずらりと列柱が並んでいます。

ハトシェプスト女王の顔をしたオシリス神像。

少し、顔に色が残っている箇所もありました。

列柱を抜けて、第3テラスへ。

人、多め。

崖、高め。

インディジョーンズみたーい。

(完全に雰囲気で言ってます。)

この奥が至聖所となっています。

レリーフはだいぶはがれていて、ちょっと何が描いてあるのか分からない。

(ま、綺麗に残っていても、大抵どういう場面が描かれているのか分からないんですけどね。)

第三テラスを見てまわって、ハトシェプスト女王葬祭殿見学、終了。

当時は、女王としての存在を消されてしまったハトシェプスト女王。

ですが、そんな彼女の葬祭殿が数千年間残り続け、現在多くの観光客にその名が知られることとなっているのも、これまた歴史というのは皮肉なもんだな、と思うのです。

この後、以前紹介したツタンカーメン王墓を発見したハワード・カーター氏のお家を見学し、石製品のお土産屋さんへ。

石でできた置物や、カップなんかが売っていたのですが、重いし、かさばるし、で相変わらず私は何も買うことなく、お土産屋さんの商品をただただ見学。

そしてその後、オプショナルツアーで「王妃の谷」にある「ネフェルタリの墓」見学へ。

最も保存状態が良いと言われるお墓の様子は、次回ご紹介します。