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【続100名城】No.179 河後森城(愛媛)|2024年四国バースデイきっぷの旅③

四国バースデイきっぷで四国周遊の旅。

「しまんトロッコ」に乗車して四万十川の景色を堪能した後、松丸駅で下車。

iechiko.hatenablog.com

続100名城の河後森(かごもり)城に、寄り道観光します。

河後森城へのアクセス

JR予土線「松丸」駅から徒歩約20分で風呂ヶ谷駐車場(登城口)

松丸駅には、全国でも珍しい駅舎内温泉施設があります。

その名も「森の国ぽっぽ温泉」

「ぽっぽ」って音の響きが可愛くて、好き。

「鳩ぽっぽ」「汽車ぽっぽ」「ぽっぽぽぽぽぽぽっぽー」(鼠先輩)

温泉は有料ですが、駅舎前には無料で入れる足湯もありました。

ホームにベンチだけ、みたいな秘境駅が多かったJR予土線で、この駅舎はとても立派。

駅舎内にあった、河後森城のパンフレットを取っていたら、お掃除中のおばちゃんに

お城行くの?行き方分かる?

と話しかけられました。

(お掃除のおばちゃんかと思ったら、切符もこのおばちゃんが販売していたので、駅員さんというか、松丸駅の万屋さんみたいな存在やったんかな。)

松丸駅に到着したのが、15時13分。次の16時36分発の列車に乗る旨を伝えると

じゃあ、もっといい地図あるから

と取って来てくれたのが

駅からスタンプまでの最短コース!!お急ぎの方、必見です。

通常のパンフレットで紹介されているコースだと、登城口の風呂ヶ谷駐車場まで20分。そこからスタンプがある西第十曲輪まで10分と書かれています。

が、この最短コースだと往復40分で駅に戻って来れるらしい。

という事で、この地図を頼りに行ってみます。

駅からほどなくして、旧松丸街道と呼ばれる道に出ました。

昔ながらの建物が今も残る趣のある道。

情緒を感じつつも、足早に城へ進む。

永昌寺の看板。

このすぐ近くに

永昌寺登城口があります。最短ルートは、この永昌寺登城口から登るのが正解だったらみたい。

他人事みたいに言っている理由は、私はこの道を往路では使用しなかったからです。

最短ルートの地図には「永昌寺方面へ左折」と指示があったにも関わらず、私はこの登城口をスルーし、真っ直ぐ行ってしまいました。

猛烈な方向音痴な上に、地図が読めず「永昌寺方面へ左折」という指示書きすら見落としていたポンコツ人間です。
時間がない私のために、丁寧に最短ルートを教えてくれたおばちゃんの善意を全力で無駄にしてしまいました。申し訳ない。

永昌寺登城口を左折せず、道なりに進む。この時はまだ、道を間違っていることに気づいていない。(これが、本来のパンフレットで紹介されている道ではある。)

松丸スポーツ広場に出る。ここで明らかに道を間違っていることに気づく。でも、どこで間違ったかは分かっていない。

仕方ないので、駐車場の登城口を目指します。

何であんな分かりやすい地図すら読めないのか、ほとほと自分が嫌になりながら、河後森城駐車場に到着。駅から15分程度でした。

河後森城の歴史

河後森城の正確な築城時期は不明です。

16世紀、伊予と土佐の国境の要所であるこの地域周辺では、土佐一条氏長宗我部氏の争いが度々起こっていました。

その当時、この城の城主だったのは土佐一条氏からの養子である河原淵教忠(かわらぶちのりただ)です。

その後、長宗我部氏の侵攻、豊臣秀吉による四国平定を経て、この地域は小早川氏、戸田氏、藤堂氏、冨田氏の所領となりました。

元和元年(1615年)の一国一城令により、城は廃城となったと考えられています。

城内の見どころ

駐車場にある河後森城案内マップ

河後森城は、広見川、鰯川、堀切川に囲まれた丘陵上にある山城。

松丸駅舎内にある河後森城模型

本郭を中心として、丘陵の尾根上にU字型の曲輪が配置されています。

足元は未舗装。前日の雨で結構道はグショっていました。(ベージュのパンツの裾、ドロドロになった・・・)

まずはスタンプ設置場所である西第十曲輪を目指します。

駐車場から5分強で門に到着。門越しに見える山々が乙です。

この門をくぐったところが西第十曲輪

発掘調査の結果、曲輪に上がる道と門、馬屋と想定される掘立柱建物があったことが分かり、それらが復元されています。

続100名城のスタンプは、こちらの復元建物内にあります。

こちらのお城、色々な場所に地元の小学生(だと思う。)が書いた、お城の説明書きが置いてありました。

結構詳しく調べられていて、読むと勉強になったのですが、いかんせん私には時間があまりなく、じっくり読むことができませんでした。

ここでも地元の方の善意を無駄にしてしまいました。子供たち、ごめんなさい。

馬屋の復元という事で、少々足がへしゃげた白馬も再現されていました。

2日連続で、白馬見たわ。(今日は偽物やけど)

前日、金刀比羅宮で見た神馬2頭。

縁の土塁は、当時の遺構かな。

松丸駅内にあった、河後森城パンフレットと同様の山城ハイキングマップ

西第十曲輪から、十→九→・・・二と曲輪が続いているので、これをたどって本郭を目指します。

階段は使用禁止でした。

西第三曲輪と西第二曲輪の間の堀切。

本郭の石垣。

本郭

本郭は、最も高い位置にあり、発掘調査で複数の建物や、門、城主の居所である主殿舎と台所が見つかっています。

大量の瓦も出土していることから、1600年頃には天守が存在したと考えられており、その天守が宇和島城の月見櫓として移築されたとも言われているそうです。

主殿舎と考えられる建物は、本郭で最も大型の掘立柱建物で、東西約12メートル、南北約9メートルありました。

主殿舎に関する説明書き。公式(?)のものも、もちろん読みやすくていいけれど

手作り感満載の「本かく紙しばい」も味があっていい。

本郭からの眺めは、なかなか良いです。

案内マップによると、帰りの下山ルートは元来た道を戻るのではなく、永昌寺登城口に出るルートになっている。

ということで、来た方と反対側にある道から下ってみたところ

JR松丸駅の案内表示を無事見つけました。

あとはこの道を下るだけ。

え?この道あってるよね?ってちょっと不安になるけれど、あってました。

無事に、先ほど紹介した永昌寺登城口に到着。

ここでようやく、自分が本来登るべき最短ルートがここからだったんだ、と気づいたのでした。(おっそ)

最短ルートではなかったですが、駅から駐車場登城口まで徒歩15分、城散策(駆け足気味)約20分、下山7分、永昌寺登城口から駅まで7分、トータル約50分。

充分に次の列車には間に合いました。

列車の出発の20分前に駅に戻ってこれたので、足湯に浸かって一休み。

地図をくれたおばちゃんに

無事に行って来れた?

と聞かれたので、

はい!お天気イマイチでしたけど、上からの眺め良かったです!

と元気に答えておきました。せっかく地図くれたのに、迷って正規ルートをたどったとは言えなかった・・・

河後森城利用案内

  • 入城料:無料
  • 入城時間:自由(ですが、城内電灯のようなものはないので、夜間は避けるべきでしょう。)

www.town.matsuno.ehime.jp

再びJR 予土線で宇和島駅を目指す

本日の宿泊地は宇和島駅近くのホテル。

再び、JR予土線の列車に乗車。

松丸駅16:36発→宇和島駅17:23到着。

お遍路で来て以来、7年ぶりの宇和島です。

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駅のホームには、予土線三兄弟の顔出しパネル。

顔の位置、だいぶ低めじゃね?

この旅の10日ほど前、豊後水道を震源地とする地震が起こり、宇和島市では震度5強が観測されました。

この地震が起こる前から旅行は計画していたので、ちょっと焦ったんですが、その後余震は続いていたものの、大きな被害もなかったようなので、予定通りのルートで宇和島市内に宿泊することにしました。

7年ぶりの宇和島。正直、駅周辺の景色の見覚えほぼなかった・・・

おまけ

JR松丸駅舎内にあった周辺マップ。

河後森城よりも、押しは「牛鬼」のようです。

続100名城のスタンプ帳 公式ガイドブック