えちこの旅ブログ

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【続100名城】No.137 福井城(2022/5 福井旅行)

2022年5月福井旅行。

前回の記事はこちら。

iechiko.hatenablog.com

永平寺からバスに乗り、福井駅に戻ってきました。

宿泊先はあわら温泉ですが、そこへ行く前に、私がスタンプを集めている『続100名城』に選ばれた福井城へ。

福井城へのアクセス

JR北陸本線福井駅より徒歩5分。

アクセス良好のお城は、公共交通機関を駆使して旅行をする私にとってありがたい。

城内には、現在福井県庁と警察が建っています。いいな。毎日お城に通勤って。

多分、毎日通勤してる人は何とも思わないんだろうけど。

福井城の歴史

福井城の前身は、1575年に柴田勝家が築城した北庄城。1583年の賤ヶ岳の戦いで勝家が敗死し、北庄城も焼失しました。

その後、1600年にこの地に入った徳川家康の次男の結城秀康が、翌年から6年がかりで北庄城を拡張し、新たな城を築城しました。秀康はその後、越前松平氏を名乗り、3代松平忠昌のとき城名が「福居(福井)城」に改名されました。

城内

結城秀康

1574年に徳川家康の次男として生まれ、豊臣秀吉の養子となった際「秀康」と名乗るようになりました。

1607年に34歳の若さで亡くなっています。

秀吉の「秀」が先に来ているところに、当時の力関係が示唆されてるような・・・

(恐らく)日本特有の、上の人の名前先に書くルール。メールの宛先とか。マジどうでもいい。と思いながらも気にしてしまうのが会社員の性。悲しい性・・・

 

天守

当時は、四層五階で高さ30mほどの立派な天守が建っていたそうです。

1669年に火災で焼失したのち、再建されることはありませんでした。

現在も礎石を確認することができます。

この石垣のゆがみは、1948年に起こった福井地震のもの。

こちらの地震について、全然知らなかったんですがウィキペディア師匠で調べたところ最大震度6。死者・行方不明者3,769名という大きな被害をもたらした地震だったようです。過去の地震の傷跡を各地で見る度、日本という国にいる以上、どこにいてもどの時代に生きても、地震から逃れることはできないんだなと思い知らされます。

福の井

天守台にある井戸。築城当時からこの場所にあったと考えられていて、「福井」の名前の由来になったとする説もあるそうです。

平成29年に井戸枠や石積みが震災以前の姿に復元されました。

県名の由来(の一説)の井戸がこんなところにひっそりと!!これ、福井県民の方はご存知なんですかね?私福井県民なら知らない自信あります。(何その架空設定の根拠なき自信)

山里口御門

次に紹介する御廊下橋からの入口として設けられた城門。

棟門と二階建ての櫓門で構成されています。

平成30年に復元されました。櫓門の中はちょっとした資料コーナーになっています。

御廊下橋

御廊下橋は、御座所(藩主の生活の場)と本丸の往復に用いられた藩主専用の橋です。

 

カラスが番人として居座ってました。

鯉、うっじゃうじゃ。

現在の橋は、平成20年に福井城築城400年を記念し、明治初期に残っていた古写真をものに当時の姿に復元されたものです。

後ろに見えるは警察本部の建物。城内に今も県庁や警察が置かれてるっていうことは、ここをずーっと県の重要機関の場所として使ってるってことですよね。

結城秀康公もきっと喜んでいることでしょう。(知らんけど)

ちなみに、福井城のスタンプは県庁舎内にあるんですが、週末は県庁お休み。

その場合は、県庁時間外出入口のインターホンを押すと、守衛室さんが応対してくれて時間外入口から中に入ってスタンプ押すことができます。

天守はありませんが、一部復元されている遺構もありますし、何より石垣が立派に残っています。(私はお城の遺構で石垣が一番好き。)

駅からも近いので、空き時間などに散策がてら見に行くのにいい場所かと思います。

 

【鎌倉時代】曹洞宗大本山 永平寺(2022/5 福井旅行)

歴史巡りの旅。

教科書で一度は目にしたことがある、その時代を代表する遺跡・歴史建造物を紹介しています。

時代:鎌倉時代

永平寺福井県吉田郡永平寺町

最近なんやかんやで予定盛沢山の日々を送っています。というか、この2年がコロナの影響で引きこもりがちだったので、ようやく旅行に行ったり、ライブに行ったりで楽しみの多い週末続き。

2週間前の週末、約半年ぶりに1泊2日で旅行に行って来ました。

行先は福井県。同行者は母。目的は永平寺とお城とあわら温泉

お城は完全に私の好みです。付き合ってくれた母に感謝。(別に無理強いはしてないよ。)←何の言い訳。

数日前まで2日間とも雨予報でげんなりしてましたが、曇天時々晴れのお天気で、一度も雨に降られることはありませんでした。さすが晴れ女。

まずは、この旅行の一番の目的地永平寺からご紹介。

福井駅では恐竜がお出迎え

大阪駅から福井駅まで、JR特急サンダーバードで約2時間。近いのに案外行かない福井県。福井に来たことは何度かあるけど、福井駅で降りたのは初めてです。

今回、行きたかったけど時間の都合上行けなかったのが恐竜博物館。

ということで、代わりに駅前の恐竜たちをまずは見学。

こちらは2007年、福井県勝山市で発見されたフクイティタン

左のオレンジがフクイラプト。右の黄色いのがフクイサウルス

駅の壁面も恐竜。ゆるキャラ的な子たちはマスクまで着用。

ちなみに、JRの駅内にも数体、この博士的な恐竜がいます。

これだけ恐竜推してるのに、博物館に行かないという選択。別に特別恐竜に興味がある訳じゃないですが、恐竜博物館はとても面白いと友人にも勧められたので、近いうちにまた来ます。恐竜博物館のために。

福井駅から永平寺までのアクセス

福井駅から永平寺までは電車かバスでアクセスできます。

電車えちぜん鉄道 勝山永平寺線永平寺口駅」下車 京福バス永平寺門前』または永平寺行きに乗り換え終点下車。(バス乗車時間約13分)

バス特急 永平寺ライナーで約30分。

電車で行っても結局バスに乗らないとダメなら、直接福井駅からバスの方が効率いいな、ということで、私たちは永平寺ライナーに合わせてサンダーバードの時間を決めました。直通で行けるのは非常に便利なのですが、1日3便しかありませんので時間は必ず事前に要チェックです。

永平寺ライナー時刻表

永平寺の歴史

永平寺鎌倉時代の1244年、道元によって開かれた曹洞宗の第一道場です。

鎌倉仏教で出てくる禅宗の二つの宗派。曹洞宗臨済宗

開祖と宗派の覚え方は曹宗が元(『とう(どう)』繋がり。)臨宗が栄西(『さい(ざい)』繋がり)です。

曹洞宗の特徴は、ひたすら座禅をすること(只管打座)で自ら悟りを開くことです。

永平寺境内

バス停からは10分程度で龍門に到着。

入った瞬間、ここの雰囲気好きだな~と思いました。

永平寺は10万坪の境内に、大小70棟余りの建物が並んでいます。

7つの主要な御堂(山門・仏殿・僧堂・大庫院・東司(とうす)・浴室・法堂)『七道伽藍』と呼ばれ、参拝者はこの伽藍を中心とした参拝ルートで境内を巡ります。

通常、寺院や神社を参拝する場合、外を歩いて建物を一つ一つ見て行くと思いますが、ここ永平寺ではずーっと建物の中に入った状態で伽藍を巡っていきます。

最初、それが分かってなくて参拝入口の通用門一回素通りしたからね。ほんで通用門から吉祥閣という建物に入ったあとも

え?一回靴脱ぐの?え?何ここ?え?ここ納骨受付場所じゃないの?参拝ルートってどこ?

って親子でしばらく戸惑ってました。(事前に情報何も入れてこなかった人たち)

通用門で頂いたパンフの地図を見て、ようやくどうやらここは建物内をずっと歩きながら拝観スタイルなんだと認識。

拝観ルート案内に従って伽藍散策開始です。

吉祥閣

通用門で拝観料を払って、まずこちらの吉祥閣の入口で靴を脱いでスリッパに履き替えます。こちらの1Fには納骨や供養受付、御朱印所があります。どうやら先に御朱印帳渡して、番号札もらって、参拝後受け取るスタイルのようです。私、参拝後にもらいに行ったんですが、バスの時間の都合上あまり時間がなく・・・

もう参拝してしまったんですけど、だいぶ時間かかりますか??(焦)

って聞いたら10分程度ということで、最悪ダッシュでバス停まで走ればいいかとお預けしました。そしたら急ぎ対応してくださったようで割とすぐに呼んでいただけました。

ありがとうございます。(でも、本来御朱印って参拝後にもらうのが正ですよね。たまに拝観者の多い寺院でこういうとこあるけど・・・)

傘松閣

平成6年に改築された建物で、2階には156畳敷きの「絵天井の間」があり、日本画家144名による色彩画が230枚飾られています。

誰の作品かを説明した案内書きも廊下の壁にあったのですが、日本画家をあまり存じ上げず「ふ~む・・・」という感想抱いて終了。

仏殿

1902年の改装。中央にはご本尊の釈迦牟尼仏が祀られています。

(こちらの写真は仏殿正面にある中雀門から撮影。)

こちらが中雀門。

法堂の通路から見た後ろ姿。この角度から見る仏殿が気に入りました。

山門

七堂伽藍の中で最も古く、1749年の造立。

両側には四天王が安置されています。

山門から見た中雀門。木々の間から見え隠れするお堂が多いんですが、それがまた乙です。

僧堂

1902年改築。堂内中央には文殊菩薩が安置されていて、それを囲むように座禅のできる席が約90人分設けられています。

法堂

仏殿横から長い階段を上った先にあるのが法堂。

住持が法を説く道場で、聖観世音菩薩が祀られています。

現在はこちらで朝課(朝のおつとめ)が行われているそうです。

ちなみに、この法堂の向かって左側に道元禅師の御真廟である承陽殿があるんですが、1度そこに行かず法堂から山門までくだってきてしまい、これで全部拝観できたかなとマップ確認したら承陽殿ってところに行ってないよ。御真廟?それは行っておかないとダメなとこじゃないか、と再び長い階段を上ってお堂の上まで上がる羽目になりました。ええ運動になったわ。

拝観案内

・参拝時間:8時30分~16時30分

・拝観料:大人 500円 小中学生 200円

 

daihonzan-eiheiji.com

 

 

【世界遺産】高野参詣道・高野山町石道③(YAMASTA「高野山町石道スタンプラリー」)

高野山町石道第三弾。

今までの記事はこちら。

iechiko.hatenablog.com

iechiko.hatenablog.com

展望台(四十町)から大門

展望台でしばし休憩を取って、ラストスパート。

20分ほど歩くと、9つ目のチェックポイント「鏡石」

最初、『ゔみい』としか私には読めない文字が書かれてるのが鏡石?と思ったんですが、「表面が鏡のように平たいことからその名がついた」と説明書きがあるので、恐らく後ろの石のことかと。

多分、この左手側が鏡石。この石がチェックポイントだなんて、なかなかオツなことしますね、YAMASTAさん。

このルートを歩いていて、初めて川の横を歩きます。水の音って何であんなに癒されるんでしょうか。母のお腹の中の羊水時代を思い起こさせるのか・・・

夏が過ぎ 風あざみ的な。

鏡石を過ぎてから、最後は登りが多くなります。12町石手前から、高野山大門までひたすら最後登ります。体力振り絞るとはまさにこのこと。

そして、九度山駅から7時間!!(寺社参拝や、休憩時間含む)

ついに、高野山大門に到着です。

今まで数回高野山に来たことはありますが、毎回ケーブルカーで楽々登って来てたので、自力で上がって来たのは今回が初めて。労力かけて見る大門は、ふら~っとバスで来たときの何倍も重厚感を感じる。山で食べるおにぎりが、平地の数倍美味しく感じるのと同じ理論だと思います。(それ、何理論?)

重要文化財に指定されている大門は、高野山西端にあり、西の入口の正門。1688年に焼失ののち、1705年に再建されたのが現在の門です。

高野山全体マップ。現在地は、右端の大門。

大門からマップの左端にある奥の院 弘法大師御廟までは約4キロほどあります。

なので、敷地内の移動はバスが基本。お土産屋さんやお食事処はもちろん、コンビニやガソリンスタンド、大学に一般のおうちもここにはあります。

高野山をまわろうと思ったら、この参詣道を歩いて来ると時間的に難しいと思います。

歩いてここまで来て、宿坊で1泊。翌日ゆっくりと寺院観光。というのが良さげ。高野山には多数宿坊があり、ナイトツアーなんかもあるようで、興味あるんですよね。日帰りできるから今まで泊ったことないんですが。

檀上伽藍

最終目的は、大門から約700m先の檀上伽藍。

GWなので、さすがに山上は人が多い。バス停も長蛇の列です。

檀上伽藍は、高野山開創の際、一番始めに整備された場所で、『胎蔵曼荼羅』の世界を表していると言われています。

中門

1843年の火災で焼失したのち、長い間再建されていませんでしたが、高野山開創1200年記念事業として2015年に再建されました。

門の両脇には四天王像が祀られています。

多聞天

持国天

この二体は、1819年に建立され、1843年の火災を免れた当時のもの。

増長天(胸にトンボ付き)

広目天(胸にセミ付き)

この二体は、門の再建に合わせ2015年に新造されたものです。

金堂

高野山開創時、初期に建造された建物で、平安時代中期から高野山の本堂とされてきました。現在の建物は、7度目の1932年再建のもの。

拝観料200円。

私、この日現金を下ろし忘れたため、ここでお金使ったらマジ帰りの交通費チャージ代がなくなるという瀕死状態。(普段カードとPayPayメインのため、ほぼ現金持ち歩いてないんです。そして、山仕様で簡易財布のためキャッシュカード持ってないっていう悲劇。)

御朱印を複数もらいたくても、お金ない。拝観するにも、お金ない。

という訳で、今回は全て外から眺め、参拝するだけ。懐がリアルに寒い・・・

大塔

檀上伽藍内で際立つ大塔。

弘法大師と弟子の真然大徳、二代に渡って816年から887年頃に建立されたと言われています。

檀上伽藍の中心にあり、真言密教のシンボルとして日本で最初に建立された多宝塔です。現在の塔は1937年の再建。

拝観料200円。内部では、大日如来を中心に周りを4仏が囲み、仏像の間には十六大菩薩が描かれた16本の柱が建てられ、立体曼荼羅が表現されています。

懐寂しい私は、こちらも拝観ならず。

そして、ここがスタンプラリー最後のチェックポイント。これで全スタンプ集めることができました。

大日如来御朱印だけ頂いて(これはどうしても頂いておきたかった)、ここからバスに乗って帰りのケーブル駅まで行くつもりだったんですが、もう1か所行っておきたい場所があり、再び歩く。

女人堂

檀上伽藍から20分ほどで到着。

毎回ケーブル駅から奥の院まで一気にバスで行ってしまっていて、スルーしていた場所です。

1872年に女人禁制が解かれるまで、七つの参詣道の入口には女人堂が設けられ、入山できない女性はこちらを参拝所としていました。こちらの女人堂は、現存する唯一のもの。参詣道の一つ、京大坂道の終点に位置しています。

京大坂道は約9キロで片道3時間程度。これもスタンプラリーのコースになっているんで、また秋頃歩いてみようかな、なんて思ってます。

なんせ私はスタンプおばさん。(スプーンおばさんみたいに言うてるけど。ってか、スプーンおばさん久々に思い出してOPソングをYoutubeで検索してしまった。)

女人堂前のバス停からケーブル高野山駅まで行き、ケーブルで極楽橋駅。そこから南海電車に乗って、何とかギリギリ帰ってくることができました。家について残金見たら600円やった。マジで危なかった・・・

達成したスタンプ帳

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【世界遺産】高野参詣道・高野山町石道②(YAMASTA「高野山町石道スタンプラリー」)

高野山町石道第二弾。

前回の記事はこちら。

iechiko.hatenablog.com

展望台から二ツ鳥居

展望台で一息ついて、また歩き始めます。

接待場に到着。

弘法大師が入定(真言宗の修行の一つ)した3月21日に、毎年高野山で行われる法会を「御影供(みえく)」といい、大正時代末期まで人々は歩いて高野山を目指していたそうです。

当時、村の有志の人たちが高野詣の人々にここで握り飯などの接待を行ったことから接待場と言われているそう。

ここの弘法大師の石像を拝むと「遠く高野山奥の院の御廟を望む」と言われているそうです。

ということで、拝んでおきました。

展望台から1時間ほどで、3つ目のチェックポイント「六本杉」に到着。

あまりにもお腹がすいたので、10時半ですがランチタイムその1。

おにぎりをムシャムシャ。

町石道はこの六本杉を左手に。右手に行くと世界遺産の構成資産の一つでもある丹生都比売神に行けるんですが、ちょっと遠回りになるのと、今回はあくまで町石道を歩くことが目的なので、神社方面には行かず町石道方面へ進みます。

続いて、ほとんど平坦な道をのんびり30分ほど歩くと4つ目のチェックポイント「二ツ鳥居」

この鳥居は、819年弘法大師によって建立されました。

元々は木製でしたが、1649年今の石の鳥居となったそうです。

二ツ鳥居から神田地蔵堂

鳥居からしばらく下り坂。下った分、どうせまた登らないといけないと思うととても労力を損した気分になる。山あるある。

急に右側の視界が開けたと思ったら、ゴルフ場でした。ファー!

鳥居から15分ほどで、5つ目のチェックポイント「神田地蔵堂

お堂の周りにベンチがあるので、ここでランチタイムその2。

お地蔵さん見ながら、パン半分をムシャムシャ。

しばらく山の中にいましたが、結構下りてきてたみたいで周囲は田園風景。

地蔵堂から下に下りたところにお手洗いあります。綺麗なトイレでした。お掃除などなど地域の方がしてくださってるんでしょうか。ありがたいことです。

神田地蔵堂から展望台(四十町石)

地蔵堂からしばらく平坦な道。お腹に入れた直後なので、登りじゃないのは助かります。

40分ほどで、6つ目のチェックポイント「笠木峠」
地図の真ん中らへん、赤い四角が現在地。ちょうど半分ほど来たかな。

ここからどんどん山を下っていきます。

1時間後、道路に降り立ちました。

このお茶屋さんの手前に、工事の資材置き場(?)のようなところがあり、そこにベンチがあったので、座ってランチタイムその3。残りのパンをムシャムシャ。

そのベンチ横にも公共トイレあります。ちょうど行きたくなるタイミングでトイレに出会えるありがたさ。そしてどこのトイレも綺麗。

お遍路のときもよく言ってましたが、長距離歩行において切っても切れないのがトイレ問題です。

このお茶屋さんの左側に写っている道から、またまた山道へと入っていきます。

ほどなくして、7つ目のチェックポイント六地蔵

ここ、お地蔵さんの真ん前まで行かないと位置情報読み取ってくれなかった。

弘法大師が袈裟を掛けて休んだと言い伝えられている袈裟掛石。

この石の下をくぐると長生きすると言われているそうですが、

え?この隙間、通るの無理じゃね?

六地蔵から30分。8つ目のチェックポイント「展望台(四十町石)」

180町から始まって、40町まで来ました。

スタンプラリーのチェックポイントも残すところあと2か所。

【世界遺産】高野参詣道・高野山町石道①(YAMASTA「高野山町石道スタンプラリー」)

前回ブログで書いた六甲山(須磨~高取山)に続き、YAMASTAアプリのスタンプラリー第二弾。

タイトル通り、高野参詣道の一つである高野山町石道(こうやさんちょういしみち)コースを歩きました。

急にスタンプラリーおばさんと化してますが、飛び石GWのため日帰りお出かけできるところ、そして人が混雑しないところと考えた結果、以前から歩いてみたかった高野山参詣道を歩くことに。

「GWはどこも混んでる」というのは、混むようなところに行くから混む訳です。

参詣道は、2年前に歩いた熊野古道よりは人がいましたが、それでも道中一人のことが多く、混雑のストレスなく、世界遺産の道を歩くことができました。

高野参詣道・高野山町石道とは

高野参詣道は、弘法大師空海高野山に参拝するため開いた参詣道で、「高野七口」と呼ばれる7本のメインルートがあります。

その中の一つが、今回歩いた高野山町石道慈尊院から高野山までを結ぶ道で、最もよく使われた道だそうです。

世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道の構成資産「高野参詣道」の一つでもあります。

この【紀伊山地の霊場と参詣道】では、過去に熊野古道を歩いたり、その他の構成資産の神社仏閣にも割と訪れています。(でも、構成資産が多く、道自体の登録が複数あることもあり、全部訪問するのはかなり大変そう。)

今回の高野山石道以外の訪問場所は、下記リスト一覧にまとめています。

iechiko.hatenablog.com

 

「町石道」の名前は、道中1町(109m)ごとに「町石(ちょういし」と呼ばれる高さ約3mの石柱が建てられていたことに由来します。高野山の檀上伽藍を起点とし、慈尊院まで180基あり、今もその石柱を辿りながら歩くことができます。

現在、参詣道はハイキングコースとしても人気で、道中には案内表示もあり、迷子の天才の私も道迷いなどすることなく歩くことができました。

慈尊院最寄り駅の南海高野線九度山駅から檀上伽藍までは約20キロ。休憩込みで約8時間ほどの行程でした。

 

九度山駅から慈尊院

朝8時過ぎに九度山駅を出発できるよう、仕事よりも早く5時台の起床。(普段7時起き)休日の早起きは苦ではないのは何でだろう。

南海高野線九度山駅は、真田昌幸・幸村親子が蟄居生活をしていた場所のため、駅は真田色強めです。

駅から800mほどのところに真田庵がありますが、今回はスルー。

5月3日に行ったので、こいのぼりが沢山泳いで・・・もとい、吊るされてました。

駅から25分ほどで、慈尊院世界遺産に到着。こちらがスタンプラリー最初のチェックポイントです。

慈尊院世界遺産

慈尊院について

慈尊院は、816年に弘法大師高野山を開いた際、庶務を司る政所として建立されました。その後、弘法大師の母親が息子に会いたいと香川県善通寺から訪れますが、当時の高野山は女人禁制だったため、大師に会うことができませんでした。

そこで、大師は母をこの寺に滞在させ、高野山から山を下って月に9度訪ねてきたため、この地が九度山という名になったと伝わっています。

大師堂

表門を入ると、右手側に大師堂。

多宝塔

県指定文化財に指定されている多宝塔。ご本尊は大日如来

現在の塔は、江戸時代前期に建立されたもの。

弥勒堂(本堂)

大師が母親が亡くなった際、お墓として建立し弥勒菩薩像を安置しました。

時代とともに、弥勒菩薩が大師の母の化身であるとされ、高野山に上がることができない女性の信仰をあつめるようになりました。「女人高野」と言われるようになり、子宝、安産、育児などを願って、女性の象徴である乳型絵馬を奉納すると願いが叶うとされています。

大師像と案内犬ゴン

ゴンは、実際にお寺で飼われていたわんこで、片道20キロ以上もある高野山への道のりを、参拝者のために道案内していたそうです。

私も道案内してほしかった。(無類の犬好き。)

こちらで、御朱印を頂き、境内から丹生官省符(にうかんしょうぶ)神社(世界遺産

丹生官省符神社世界遺産


慈尊院と同じく816年に弘法大師によって建立された神社。

慈尊院の守り神として、地元にゆかりのある丹生都比売と高野御子大神が祀られました。

慈尊院で、高野山七口押印帳なるスタンプ帳を見つけたので、とりあえずゲットしてみた。

結局、町石道のポイント全部回れなかったし、その他七口全部回るかどうか分からないので、恐らくこのスタンプ帳が埋まることはなさそうですが、いいんです。

単に押すのが楽しいから。そう、なんてったって私はスタンプおばさん。

丹生官省符神社から展望台

今から私が歩く道(赤く示されているルート)

慈尊院丹生官省府神社はそのほんの始まりの場所に位置しています。

ここから本格的に山道スタート。

おぉぉぉ!!懐かしのお遍路シール!!

お遍路時に、私を何度も導いてくれた道標。こんなところでまた会えるとは。

町石を道標兼進行距離の目安に、ガシガシ山を登っていきます。

神社から30分ほどで、YAMASTAスタンプラリー2つ目のチェックポイント展望台に到着。(先ほど慈尊院でもらったスタンプ帳はおまけで、本来の目的はこちらのスタンプラリー)

道中は、周りに人がいなかったのですが、展望台で10名近い方が休憩されてました。

この後も、定期的に追い越したり、追い越されたりしながら基本道中一人。休憩所で数名と会うというパターンを繰り返します。

ここで景色を見ながら小休憩を取って、再び出発!