薩摩藩主・島津家の別邸だった仙巌園。
世界遺産にも登録されている旧集成館等の後は、庭園と御殿の見学へ。
島津家の歴史が残る御殿
「名勝 仙巌園」の標柱を超えると
朱色が鮮やかな鍚門が現れます。
その名前の通り、門が鍚で葺かれています。
「鍚」って、「すず」だよな・・・
と思わず調べてしまいましたが、あってました。薩摩の特産品だそうです。
大河ドラマ『西郷どん』の撮影も、この錫門の前で行われたそう。
私の中で、斉彬公のイメージが定着している渡辺謙さんも、この場所に来られたんですね。
(ドラマ見てたけど、このシーン覚えてないわ・・・)
なお、江戸時代には藩主とその嫡男しか、この門をくぐることはできませんでした。
今は誰もが通れるようになった門をくぐると、御殿があります。
1658年、島津家19代藩主・光久によって建てられた御殿は、当初別邸として使用されていました。
その後、明治の廃藩置県で鹿児島城から島津家の人々は、この御殿に移り、29代・忠義はこちらを本邸に定めました。
次の30代・忠重が東京に居住地を移したため、邸宅は縮小されましたが、鹿児島に帰って来た時の為に維持・管理は継続されていました。
数百年に渡り、増改築や建て直しを行いながら島津家藩主が暮らしたお屋敷。現在は、当時の約3分の1の建物が残されています。
入館には、御殿の拝観がセットになったチケットの提示、もしくは入館料600円が必要。
(2024年5月時点でチケットは2種類ありました。「仙巌園」「旧集成館」チケット大人1,000円と、「仙巌園」「旧集成館」「御殿」チケット大人1,600円。
御殿を見学するなら、入口で3か所のセット券を購入しておきましょう。
なお、HPによると2024年10月より、3か所セット券のみの販売となるようです。)
観覧受付の横にある「鳳印の間(玄関の間)」
30代・忠重が、生まれてから東京に移るまでの12年間(1898年~1886年)を過ごした部屋。
大正時代に改築され、玄関となりました。御殿内にある照明にも島津の家紋。
籠の持ち手部分にも、島津の家紋。
29代・忠義が、ロシア帝国最後の皇帝・ニコライ2世の戴冠式に贈った薩摩焼壺の複製。
西洋風のデザインが素敵!そして、すっごくお高そう!!
正面には、王冠と「H」の文字。(ニコライをキリル文字で書くと、頭が「H」になるんだそう。ロシア語って、世界一難しい言語の一つって言われてますよね。「ニ」が「H」で始まる時点でお手上げや。)
中庭には、アヤメだか、カキツバタだか、ショウブだかが咲いていました。
御詰所・台子の間
床の間がある奥の部屋が、島津家に仕える人たちが控えていた御詰所。
手前が台子の間。
壁には、島津家や薩摩藩に関するパネルが展示されていました。
江戸時代、全人口に対する士族の比率は5%程度でしたが、薩摩藩は約26%もあったそうです。
ということは、鹿児島にはご先祖が武士という方が、他府県に比べて多いってことなんでしょうね。
かつて、島津家の先祖を祀っていた祖霊社跡には、現在神馬さんが展示。
でっかい方の神馬さん、目ギンギンですけど・・・
再び中庭。このお花の正体が判別できるよう、来年はアヤメ園とかショウブ園とか行ってお花の勉強をしようと思う。
御殿内には、11種類もの釘隠しがあるそうですが、見つけて撮影したの2種類だけ。
縁側からの庭園と桜島。
そこまで混雑していなかったので、この縁側に座ってしばし景色を眺めながら休憩。
謁見の間
来客と面会するためのお部屋。
天井のシャンデリアは、明治期から使われていたもので、傘には島津の家紋が入っています。写真じゃ分からないんですが、肉眼で目を凝らしてみたら見えました。
もはや、家紋の入れ方が隠れミッキーなんよ、島津のお殿様。
えーっと・・・この花は・・・(もうええ。)
御居間
29代・忠義が使用していた居間。1日の大半をこの部屋で過ごしていたそうです。
机にもびっしり家紋。
1日の大半を御居間で過ごした忠義公が、1日の終わりに休んだ寝室。
毎日9時には就寝していたそうです。はっや。
忠義公専用のお風呂。
忠義公専用のおトイレ。
はい、手洗い桶にも隠れ家紋発見。(別に隠してない)
説明書きによると、奥のトイレは底の部分が引き出し状になっていて、健康状態を見るために医師が便を取り出し検査をしていたそうです。
検便のために開発された、実に画期的な便器。
御小座(披露の間)
島津家に届いた贈り物を、披露するための部屋。
それ専用の部屋があるって、どんだけ贈り物届いてたんでしょう。凄いな。
家紋が施された装飾品はもちろん、室内にある説明パネルも興味深かったです。
30代・忠重の姉妹の方たちは、宮家や徳川家などに嫁いでおられていて、その中の一人、俔子(ちかこ)さんは、昭和天皇の皇后である香淳皇后のお母さまだそうです。
現皇族に、島津の家系が繋がっていた事を、今回初めて知りました。
庭園散策と桜島絶景ポイント
御殿を出たあとは、庭園部分を散策します。
まずは、桜島展望ポイントその1。
若干霞みがかかってはいますが、曇天の中で見るよりもやっぱり青空の方が「映え」ますね。
前日、城山の展望台から見た桜島
鶴灯籠
斉彬がガス灯の実験を行った灯籠。
望嶽楼
江戸時代初期に、琉球国王から薩摩藩主に贈られたと伝わるもの。
1858年に、勝海舟と島津斉彬がこの建物で対面したそうです。
エンケンさんと、謙さんがここで・・・
(脳内イメージが一生『西郷どん』)
見えている建物が、先ほどまでいた御殿。
そして、その御殿の奥にそびえる山の一か所、よく見ると縦に白い筋のようなものが入っています。
ズーム。
更にズーム。
千尋巖
27代・斉興の時代に、のべ3,000人の人たちの手によって、3か月かけて岩に彫られた「千尋巖」の文字。
3文字で11mもの大きさがあるそうです。
・・・何のために?
説明書きいわく、景勝地の岩に文字を彫ることは中国でよくあることなので、中国文化の影響みたいです。
岩に文字彫るために、日々あんな山の上に行かされていた作業員さんの苦労たるや・・・
もしくは、あそこで作業中は寝泊まりしてたんかもしれん。いずれにせよ、ご苦労様でした。
桜島展望ポイントその2
仙巌園のすぐお隣には、日豊本線の線路が通っています。
この景色見ながらの列車旅もいいなー
ちなみに、4日目に桜島に行こうと思っていたんですが、雨だったのでやめました。
上陸は、また次回鹿児島に来た時のお楽しみ。
この階段も確か、『西郷どん』のドラマ撮影された場所って看板立ってた気がする。
水力発電用ダム跡1892年、このダムを築いて水力発電を行い、園内の照明などに利用していたそうです。
あまり見たことない木だなーと思ったら、暖地に自生する「ばくちの木」という木だそう。
5月頃に、樹皮がはがれ落ちる様子が、博打に負けて身ぐるみはがされる姿のようだということで、この名前がついたんですって。由来、怖すぎるやろ。
猫神
17代・島津義弘は、慶長の役の陣中で猫の瞳孔の開き具合を元に、時刻を推測したと伝えられています。
時間知りたいのに、時計がない!どうしよう!
そんな時はこの図を参考に、その辺にいる猫を見つけて、瞳をのぞいて時間を把握しましょう。
仙巌園の敷地は広く、一通り見学したら2時間近く時間が経っていました。
さすがに疲れたので、帰りのバスまでの待ち時間を利用して一休み。
お土産屋さんや、カフェが並ぶ建物群にある「両棒餅屋」さんへ。
両棒餅(ぢゃんぼもち)ドリンクセットで600円。
ぢゃんぼ餅とは、竹串を2本さしたお餅で、武士が大小2本の方を差す事を「両棒差し」と呼んだことから、この名が付いたそうです。
このお餅のアンが、みたらし団子とはちょっと違う甘味で、個人的に凄く好きな味でした。(気に入り過ぎて、お餅の下に残ったアンを、竹串でこそいで舐めた。)
帰りは、仙巌園前バス停から、カゴシマシティビューに乗って鹿児島駅へ。
そして、この旅の本来の目的である福山雅治さんのライブ会場へと足を運びました。
利用案内(仙巌園)
- 入園料(仙巌園・尚古集成館・御殿):高校生以上1600円 小中学生800円
- 入園料(仙巌園・尚古集成館):高校生以上1000円 小中学生500円
- 開館時間:9:00~17:00
- 休館日:年中無休
おまけ
福山雅治さんファン歴32年。
今まで、ライブに何回行ったかもう覚えていませんが・・・
ついに、ついに、今回、この鹿児島県は「西原商会アリーナ」で行われたライブにて
アリーナ1列目が当選しましたーーーーーーーーー!!!!
電子チケットなので、数日前にチケット引き取りを行っていて、鹿児島に行く前にその座席が判明。
正直、今までご紹介した鹿児島城とか、世界遺産の旧集成館とか、島津家ゆかりのあれやこれやとか、色々見学してる間も、心の半分ぐらいは「アリーナ1列」という憧れ続けた現実に、浮かれ倒しておりました。
で、アリーナ1列目の感想はと言いますと・・・
あ、福山雅治さんって本当にこの世に存在しているんだ。
今まで何十回とライブも行ってるし、テレビでも散々見てきて何言うてんねんって思われるかもしれませんが、間近で歌っている表情を見て、改めて実感したんです。
ただ元来、運がいい事に慣れていない、超ネガティブ思考人間ゆえ、こんな良い事起こったんだから、反面悪い事が起こる。と思わずにはいられませんでした。
まぁ、若干その予想は当たって、この旅中に列車の遅延&乗るバス間違えて訳分からんところに行くというハプニングには見舞われました。(間違えたのは、自分がポンコツやからですが。)
でもそんなのアリーナ1列の幸運に比べたら、不運の内にはいらない、と思えるほど素敵な時間でした。