阪急トラピックスさんの『【エミレーツ航空利用おひとり様参加限定】感動のエジプト ナイル川クルーズ8日間』に参加し、人生初のソロ海外旅行デビュー。
ルクソールの「王家の谷」で、ファラオのお墓巡り。
この行為を日本で例えるなら、古代の天皇が埋葬されている(と言われている。)古墳の中に観光客が入っていって、好き勝手写真撮ったりしてるようなもんですよね。
日本なんて、そもそも発掘調査すら行われていない古墳もあるというのに。(発掘したら、何かまずい事実でも出てくるんですかね。)
エジプト王国が今も続いていたら、もしかするとピラミッドもこのような王墓も、一切立ち入ることはできなかったのかもしれない。
何て事をふと思いながら、恐らく日本で最も有名な古代エジプトのファラオ・ツタンカーメンのお墓へ。
実は無名の王だったツタンカーメン
エジプトに詳しくない人でも、恐らく「ツタンカーメン」の名はご存知かと思います。
有名な古代エジプトの王なので、さぞかし権力があったんだろうと思いきや大間違い。
ツタンカーメンは、新王国第18王朝のファラオ。
父親は、世界で初めて宗教改革を行ったアクエンアテン。
エジプト考古博物館に展示されているアクエンアテン像
アクエンアテンが行った宗教改革(多神教から、アテン神のみを唯一神とする一神教への改革)は、国民に受け入れられることなく失敗に終わりました。
彼の死後、わずか9歳の息子・ツタンカーメンが即位します。
ちなみに、以前もブログでご紹介しましたが『ツタンカーメン』はいわゆるカタカナ英語みたいなもので、日本でしか通じません。
英語表記で書くと「Tutankhamen」となり、「トゥトアンクアメン」と読みます。
この表記を最初にローマ字読みした人誰だよ。こういうカタカナ英語が溢れているせいで、日本人の英語がさっぱりネイティブに通じなくなってんだよ・・・
ツタンカーメンは、父親が行った一神教から、元の多神教への復興を行い、また、アクエンアテンが都を移したテル・アル=アマルナからメンフィスへと遷都しました。
ただ、実際に政治を行っていたのは、摂政を務めていた神官・アイと将軍ホルエムヘブだったと言われています。
ツタンカーメンは、治世わずか9年でこの世を去りました。
死因については諸説あり、詳しいことは分かっていません。
後世、アマルナ時代と呼ばれるアクエンアテンの治世は歴史上から抹消されてしまい、ツタンカーメンの名前も王名表から削除されてしまいました。
エジプト考古博物館に展示されているツタンカーメンの玉座
そんなツタンカーメンが、現代、何故これほどに有名なのか。
それは、近代になってほぼ未盗掘のお墓が見つかったからです。
1922年、イギリス出身の考古学者・ハワード・カーターによって、多くの副葬品が残されたツタンカーメン王墓が発見されました。
上の玉座もそのお墓で見つかった副葬品の一つです。
発掘当時の王墓内の様子
わずか9年の治世で、それほど大きな権力を持っていなかったと思われるツタンカーメンですが、あの有名な黄金のマスクや、棺の装飾はとても美しいものでした。(マスクや棺は撮影不可だったため、写真はありません。)
約100年前に、カーターさんが苦労して見つけてくれたツタンカーメンの王墓、我々一般ツアー客も、現在入場可能!いざ、かの有名な王に会いに行こう!
ツタンカーメン王墓でミイラにご対面
ツタンカーメン王墓は、王家の谷入場チケット(一部を除く3つの王墓に入場できる)とは別にチケットが必要です。
チケット代は500エジプトポンド(日本円で約2,500円)(2024年1月時点)
こうやって区切られていたら「ツタンカーメン」なんて読み方にはならなかったんじゃないかな・・・
トゥトアンクアメンも困惑してると思いますよ。
「・・・俺、ツタンカーメンちゃいますけど?」って。
ツタンカーメン王墓は、他に見学したお墓に比べると非常に小さいです。やはり、実際の権力と王墓の大きさは比例するものなのでしょう。
入口入って左側に、ガラスケースに入ったミイラが!!
おぉぉぉ!ホンマもんのツタンカーメンはんや!!!
テンション上がって、エセ関西人みたいな関西弁になる、ホンマもんの関西人。
こちらが、かの有名なツタンカーメン王です。
撮影もOKでした。
何なら、お墓の中にいた係の人が「歯があるよ」みたいな事言って、口元をライトでペカッと照らして見せてくれました。
ちょっと暗くて分かりにくいんですが、口元にうっすら白い歯があるの分かりますでしょうか・・・?
足の指も一部欠損してしまっているみたいですが、残っています。
ミイラを調査した結果、ツタンカーメンは、生前多くの疾患を抱えていた可能性が考えられています。
ミイラが安置されている部屋の隣に、玄室があります。
この部屋の壁にだけ、レリーフが描かれています。
一番右側に描かれているのが、ツタンカーメンの摂政を務めた神官・アイ。そして、向き合っているのがツタンカーメンです。
この後にも、いくつか王墓を見学しましたが、お墓の大きさや描かれたレリーフの数を他と比べると、確かに、ツタンカーメン王自身にはそれほど力がなく、歴史から消された王というのも納得。
それが、現代ではエジプトを代表する王かのように、知名度が高くなっているんだから皮肉なもんです。
世紀の発掘をしたハワード・カーターのお家にお邪魔
この後、もう2か所の王墓と、ハトシェプスト葬祭殿へ行ったのですが、先にツタンカーメン王繋がりで、発掘者であるハワード・カーター氏のお家をご紹介します。
カーター氏が実際に使用していた家が、博物館として現在公開されています。
カーター・ハウスのチケットは200エジプトポンド(日本円で約1,000円)
ハワード・カーターってエジプトに詳しくない人からしたら「誰?それ?」って感じだと思いますが、エジプト好きの私は何度も耳にしたお名前。
エジプトに行ったら絶対行くべき!ってほどの人気スポットでもない場所ですが、
カーターがお家に招待してくれたの、楽しみですね!
なんて他のツアーの方と言っちゃうほど、妙にテンションが上がっていました。
だって、カーターさんが見つけてくれたから、ツタンカーメン王のあれやこれやが明るみになったんですよ。暴かれたツタンカーメン王からしたら、いい迷惑やと思っているかもしれませんが・・・(毎日、世界中の観光客にミイラを眺められる羽目になったしね・・・)
部屋数いっぱいあって結構広い。
カーター氏は、元々は画家で、遺跡等のデッサンをする画家としてエジプトの発掘に参加されました。
その後、考古学者に転身し、イギリス貴族のカーナヴォン卿の支援を得て、王家の谷の発掘を行いました。
真ん中のハットを被っているのが、カーターさん。(多分)←そこ、自信ないんかよ。
しかし、数年間発掘を続けても、大きな成果を上げることができず、カーナヴォン卿は発掘の打ち切りをカーター氏に切り出しました。
もうあと、1シーズンだけ!とカーナヴォン卿を説得し、カーター氏は発掘調査を継続。そして、1922年11月4日、王家の谷でツタンカーメン王の墓を発見したのです。
諦めずに、自分の信念の元、発掘調査を続けたカーターさんも凄いけど、彼を信じてスポンサーを継続したカーナヴォン卿も素晴らしい!
これこそ、真の男気というものではないでしょうか。
部屋にあるものは、まさにアンティークな品々。
ランプ、可愛い。
ベッドルーム。
お便所!ちゃんと洋式。(当たり前か)
ここは確か、仕事部屋みたいなとこだったかな。
写真の現像室。
自分たちのペースで見たかったんですけど、博物館の係の人が勝手に色々説明して、挙句の果てにこの写真室に連れて来て、入口ふさいで「バクシーシちょうだい」的な事を言って来たので、ちょっと困惑しました。
I gotta go!
言うて、すり抜けて退散しましたけど・・・
カーター氏の世紀の大発見を、感慨深げに感じると共に、エジプトの経済事情をここでも垣間見る事になったのでした。
おまけ
カーター・ハウスの1枚。
壺たち。
土器好きゆえ、無条件で撮影してしまった模様。
・・・で、これ何だろか。