前回紹介した山中城のあと、日本一の吊り橋「三島スカイウォーク」に行くことも一瞬考えましたが、高所恐怖症ゆえ1,000円払ってまで吊り橋渡らんでいいか。山中城から十分綺麗な富士山を見ることができたし。ってことで、そのまま真っ直ぐ三島駅へ戻りました。
次の目的地は、興国寺城です。
興国寺城へのアクセス
JR東海道本線「原」駅から徒歩約35分
JR東海道本線「原」駅から「ミューバス原・浮島線」で「東根古屋」下車すぐ
なお、東根古屋のバスは1時間に1本程度と非常に本数が少ないです。
という訳で、私は往復原駅から歩きました。
興国寺城の歴史
興国寺城は、愛鷹山の南麓に延びる尾根の先端部に築かれていました。
詳細な築城年代は不明ですが、1487年頃には今川氏の家督争いで、今川氏親を助けた伊勢盛時が興国寺城の城主となったとされています。
伊勢盛時は、のちの(後)北条氏の祖となる北条早雲。早雲は、この地を拠点に伊豆の堀越公方である足利茶々丸を攻めたと伝わっています。下の身分の者が、格上の人物を打ち破るいわゆる「下剋上」の戦いで、これが東国の戦国時代の幕開けとも言われています。
その後、駿河と伊豆の境界を治めるための興国寺城は、北条氏、今川氏、武田氏で奪い合われました。武田氏滅亡後、徳川家の支配下に。北条氏が豊臣氏に敗れたのち、家康は関東に転封。代わって豊臣家家臣の中村一氏が城主を務めました。
関ケ原の戦いののち、徳川家家臣天野康影が1万石で入邦しましたが、のちに出奔し城は廃城となりました。
城の遺構
原駅から30分強かけて歩いてくると、先ほど紹介した「根古屋」のバス停があり、その横に城への入口があります。
北条氏の家紋の旗。後ろに広がるのが本丸とその周囲の土塁。
本丸
こちらの穂見神社横に続100名城のスタンプがあります。
・・・先客がいる。
カマキリ先生が、バスの時刻表をしげしげと眺めておられました。
パンフレットがBOXになかったので、引き出しを開けてみた。
引き出しの中にもありませんでした。
上れるように整備されているので、とりあえず上がってみましょう。
天守台石垣
本丸土塁
伝天守台
本丸の背面側にある空堀を歩いてみます。
堀の底辺から土塁を見上げて、高さに辟易する敵の気分を味わってみる。
何か突然穴が開いててたんですが、これ、何の穴だろう?巣穴?
この先、未舗装の下り坂があり、道路に出られるようになっていたのですが、足元が悪かったのと、知らん道に出て迷っても嫌なので、また元来た道を戻りました。
小ぶりな山城ゆえ、全体を散策するのに30分弱ほどしかかかりませんでした。
「100名城」「続100名城」に選ばれていても、その規模は大なり小なり。
特に「続100名城」の方は、このようなマニアック(?)気味の山城が多い傾向にあります。それゆえ、アクセス困難な場所も多いのが運転できない私にとっては痛い。
己の足腰フル稼働で、スタンプ集めにまい進するしかありません。
今日のおまけ
原駅から興国寺城への途中で見つけた「東海道原宿」の本陣跡碑。
東海道五十三次の距離を調べたら約492キロだそうで、お遍路の1,400キロに比べたらだいぶ短いじゃん。歩けるじゃん。って思ってしまった。
ガチで歩いてみよう計画を思いついたこともあるけれど、お遍路と違い標識が都度あるわけじゃないから、距離は短くとも(決して短くはない。私の感覚がおかしいだけ。)ハードルはとても高そう・・・