※この記事は、2015年9月~2019年4月まで3年半かけて歩き遍路をした記録です。情報などは当時のものなので、現在と変わっていることがあるかもしれません。ご了承ください。
【前回の記事はこちら】
境内から出たあと、屋島山の上から源平屋島合戦の史跡が一望できます。
地図と見比べたところ、「那須与一扇の的」と書かれてたのが、ちょうど川の一部が陸地に入り込んでるあたり。
景色を堪能したあと、下山開始です。
今まで散々山登りも山下りもしてきましたが、わざわざ「傾斜が急です」なんて注意書きされてる山、初めてです。(記憶の限り)
どれぐらい急かと言いますと
いや、もう写真じゃ全然伝わらん!
ほんまに遍路史上最強の急傾斜でした。
トレッキングポールを買っておいて良かった、と心から思いました
すごーく、すごーく、慎重にゆーっくり降りたんですが、結局この写真を撮った直後、「こういう石って滑るんだよなー」と思ってたら、案の定ずるっと滑ってお尻打ちました・・・
ここ、雨でぬかるんだ中は超危険地帯と思われます。ご注意を。
時間をたっぷりかけて何とか車道に到着。
しばらく行くと、またタヌキ。
そして、古戦場跡ビューポイント。
ここで私、気づきます。
今から山降りていかないといけないのに、車道に降りてから坂上ってきていることに。
・・・道、間違えた。
山を降りたところに案内の矢印があって、それが左に向かってた気がしたんです。
でも、明らかにこっちじゃない。
もう一度この桜の木のとこまで戻る。
見たはずの矢印案内が・・・ない。
た、タヌキに化かされたーーーーーーー!!!
と、ちょっと本気で思いました。(あれは何だったのかいまだ謎)
正解の道は再び山下り。
畳みかけるようにすーげー急な下り坂。下山続きで、膝笑っちゃう。
ドリフ並みに大爆笑。
って、令和生まれには通じないんだろうな。(平成も?)
下山後も、源平ゆかりの地が出てきます。
安徳天皇社
あと3キロ切りました。
そんなに貼らなくても分かるよ。ありがとね。
こちらのおうどん屋さんすごく有名みたいです。
香川遍路は道中、うどんを楽しむ方も多いみたいですが結局私は一度も食べることはありませんでした。(今だに、本場の讃岐うどん食べたことない。)
時間節約のため、食を楽しむ余裕なし。パンやおにぎりをその辺でかじる。ただのエネルギー補給。
はい。八栗寺はまたまた山の上にあります。
今度は文明の利器、ケーブルカーがあります。
の、乗りたい・・・誘惑。かなりの誘惑。
でも、最後は自分の足で全行程を行くのだー!
ケーブルカーに後ろ髪を引かれながら、その横の鳥居をくぐって歩き遍路道へ。
寅さんも食べたらしいよもぎ餅。
ちょっと暑くて餅の気分じゃないんで、スルー・・・
上りですが、今回も舗装された道。
途中から山道へ導く矢印がありましたが、無視してこのまま舗装道。
だって、足、痛いんだもん。
この少し前から、どうも踵というか、アキレス腱の辺りが痛みだしてきた。
靴擦れしてる訳じゃないんだが、どうもいやーな痛み・・・
ケーブル乗り場から25分ほど上ると境内に到着!
お大師さんが出迎えてくれました。
85番 八栗寺
弘法大師が唐へ留学する前、この山に登り八つの焼き栗を山中に埋めました。
唐から帰国後、再び山に登ると埋めた栗が成長していたため、元の寺名「八国寺」を「八栗寺」に改めて千手観世音菩薩を本尊に安置したと伝わります。
・・・ねぇ、そもそも何で栗埋めたの?
お花で綺麗に彩られた仏足石
本堂
大師堂
境内図
あ。左上に天狗がいる!!
てん・てん・ぐー!!!
(また言うてる)
上の地図を見てもらったらよく分かるのですが、
本堂の後ろには切り立った4つの峰の五剣山がそびえています。
名前の通り、元は5つ峰がありましたが、江戸時代中期の地震で一つ崩壊し、今の形になりました。
歓喜天が祀られている聖天堂
商売繫盛や学業成就、縁結びにご利益があるそうです。
ついに、残すところあと3か所!!!
明日の今頃は結願を迎えてるんだ私ー
いやーついにここまで来たなー(しみじみ)
今日はあと1か所、86番 志度寺まで。
3日目最後の札所、志度寺へ向かう道すがら私はあるピンチに陥っていました。
それは、飲み物がわずか。
4月上旬ではあったのですが、山道を上ったり下ったりしてる分、水分補給はいつも以上に取る必要があり、常に切らさないようにはしてたんですが、ちょっと心もとない量になってきました。
そして、こういう住宅エリアに入ってしまうと、コンビニはおろか自販機さえも見つからないことが多い。
しばらく歩いて運よく自販機に遭遇できたのですが、財布あけてびっくり。
1万円札しかねー
目の前にある自販機は1000円札か小銭しか受け付けてくれません。
日本で最も愛される高額紙幣が、今この瞬間無用の紙切れでしかありません。
なんてこったーい!と嘆く私の前に、オアシスが現れました。
こちらの休憩所の前を通りすぎた時、「休んで行かれませんか?」と声をかけていただき、
お茶に加え、なんとたこ焼きまでお接待で出していただきました。
ありがたやー!
だましだましで歩いてはいますが、本格的に右足のアキレス腱辺りの痛みがひどくなり、加えて喉乾くし、疲れたし。
でも、この先に道の駅があるからそこまで頑張ろうと思っていたら、その手前で思わぬありがたスポット。
お陰で生き返りました。本当にありがとうございます。
その後、20分弱で道の駅源平の里むれに到着。
さっき休憩したばっかだけど、休憩癖がついてしまったので、ここでも一休み。
これ、何なのかよく分からないんですが、ブツブツ恐怖症の私は結構ぞわぞわした柄。
(同じ境遇の人が見てるかもしれないのに、あえて載せるやつ。一緒にぞわぞわしましょう。)←ただの嫌がらせ
ちょっと食べたら、そこまで意識してなかった空腹が増幅すること、あるよね。
ってな訳で、塩分たこ焼きで取ったら、糖分が欲しくなって買ったどら焼き。(クリームたっぷり&バナナ)
志度寺まであと少しのところで、こんな建物が。
平賀源内記念館
平賀源内さんの肩書は、ウィキペディア師匠によると
「本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家発明家」
多才が過ぎるわ。1個分けて。蘭学者とか。(令和の時代に需要あるかな)
ちなみに、平賀源内と言えば「エレキテル」とセットで覚えてる方も多いと思いますが、この方エレキテルを発明した人ではないそうです。
正しくは、壊れたエレキテルを修理して復元した人だそうです。
(私も調べるまで記憶違いしてた。)
ひっそりとある資料館に人気はなく、そして私も時間と足の痛みによりスルー。
八栗寺から約2時間で到着。
86番 志度寺
門前にたたずむおじさん3人が、見事に同じ身長。
仁王門
こちらの志度寺、入ってまず思ったのが緑多っ。
とにかく木がめっちゃ茂ってます。
ただ、手入れをされて整えられてるというより、結構自然のままワイルドな感じ・・・
創建は625年ととても歴史は古いお寺です。
藤原鎌足の息子の藤原不比等が「志度道場」と名付けたと言われています。
志度寺には、能楽や浄瑠璃のモデルとなった「海女の玉取り伝説」が伝えられています。
唐に嫁いだ藤原鎌足の娘が父の供養のため宝玉を奈良の興福寺に送りましたが、その宝玉を積んだ船が志度沖で竜神に奪われてしまいました。
そこで、その玉を奪い返そうと身分を隠した不比等が志度にやってきて、海女と恋に落ち息子(房前)が生まれました。
数年後、不比等から素性を聞かされた海女は「玉を取り返すので、房前を藤原家の世継ぎに」と言って海に潜り、玉を取り返しましたが命を落としてしまいました。
そんな伝説の海女のお墓も境内にあります。(写真撮ってないけどね)
ちなみに、房前含めた不比等の子は藤原四子と呼ばれ北家・南家・式家・京家に分かれるんですが、のちにいわゆる摂関政治で力をつけていくのは房前の北家の血筋です。
本堂
大師堂
仁王門の手前にある自性院には平賀源内のお墓もあります。
3日目の札所まわりこれで終了!
今夜のお宿は、実は志度寺参拝前に一度前を通ってました。
一旦荷物を置いて行こうかとも思ったのですが、腰を落ち着けたら出るのが億劫になりそうだったので、そのまま参拝してしまいました。
いしや旅館さんです。
こちらの建物、有形文化財に登録されております。
お部屋はこんな感じ。鍵はありません。
お風呂、洗面、トイレは共用です。
明治時代創業の旅館だそうで、とても昔風情を感じられるお宿でした。
食事なしのプランだったので、近くのガストへ。
靴を脱いでお宿内歩いてる時は平気だったのに、改めてシューズ履いてちょっとの距離を歩いてみたら・・・
・・・どうしよう、アキレス腱が超いてー
ラスト1日、どうなる私の足。
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地図と各お寺の案内が書かれてるので、一冊あるととても便利。