えちこの旅ブログ

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【女一人歩き遍路】第9回目4日目 88番 大窪寺

※この記事は、2015年9月~2019年4月まで3年半かけて歩き遍路をした記録です。情報などは当時のものなので、現在と変わっていることがあるかもしれません。ご了承ください。

【前回の記事はこちら】

iechiko.hatenablog.com

 

さぁ!ついに、ついにお遍路の旅最後の札所です。

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88番大窪寺
までは、途中から複数ルートの中から選択できます。

取り込んだら横向きにしかならなかったので、首を傾けてご覧ください。

 

案内図の下側に当たる赤いルートがバス通りコース。

舗装された車道を歩くので、歩きやすさ重視ならここ。

一方、黄色のルートは女体山を越える山道ルート。

山頂からの眺めがいいので、こちらをあえて選択する方も割といるとか、いないとか。

その他、多和神社経由で山道に合流するルート(緑)や、旧遍路道コース(下のうっすいブルー)とか。

で、私の選択はと言いますと・・・

 

迷うことなく車道ルートです!!!

 

距離は山道ルートに比べて長いですが、歩行時間はそんな変わらないし。

第一、この足で山なんて登れません。

踏ん張れなくて滑落します。危険すぎます。

という訳で、まずはおへんろ交流サロンを目指します。

 

長尾寺から1時間ほど歩くと前山ダムが。

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情報量多っ。

最後の一行「絶景 感動のコース也」

 

・・・絶景じゃなくていいです。もう無事に大窪寺にたどり着ければそれでいい。

この付近、めっちゃおサルさんいました。定期的に、私の左手側(ダム側)から車道を渡り、右手にある山の方へ駆け抜けていきました。

なので、お菓子食べながら歩かない方がいいと思います。

(そもそも、大の大人が歩きながらお菓子食べない方がいいと思います)

 

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別にダム好きってほどでもないですが、何かダム見ると軽くテンション上がります。

(それをダム好きと言うのでは。)

 

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おへんろ交流サロン到着!!

歩き遍路の方は、ぜひここに寄るべし!

 

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なぜなら、このような四国八十八ヶ所遍路大師任命書」なるものがいただけるのです。日付と名前入りで。しかも無料で。

 

ちなみに、名前隠すために置いた小さな箱の中には、お遍路さん絵柄が入ったピンバッチ!常にザックに着けて旅路を共にしていたポーチ(コンデジ入れ)に今もつけてます。

 

 

お菓子とお茶も出していただけて、ここからのルートの地図もいただけます。

 

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四国の模型には、88か所の札所も記されてて、「あーここ辛かったなー」「よく歩いたなー」なんて思い出振り返ることもできます。

あと、お遍路に関する資料が展示されているお部屋もあって、めっちゃ見たかったんですが、時間に余裕がなく(通常ペースで歩ける自信もなかったし)ほとんど見ずにサロンをあとにしました。これ、すごく心残り・・・

 

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桜が応援してくれているぞー

ここから上り坂、11.5キロの道のり頑張るぞー

 

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大窪寺まで10キロ・・・よりも引っ掛かった昼寝城跡。

なんちゅー名前の城や。

 

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残り8.1キロ。2時間。まだまだ。

でも、あと2時間でお遍路旅が終わる。

重いリュック担いで、時には暑さとか、雨とかと戦いながら山や住宅地や国道・県道をひたすら歩いた旅が終わる。

 

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遍路道コースからの合流地点。

一人だけ写ってますが、韓国人ツアーの団体さんが続々とここから現れてきました。

みんなヒップバッグに、肩紐つけたみたいな不思議な、でも便利そうなカバンをお揃いでつけてた。

 

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40分ほど前にも休憩したけど、また休憩。

アキレス腱は、時折ましになったり、かと思えば急に物凄い勢いで痛くなったり、私をもてあそびます。

 

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今は廃校になっている多和小学校。

現在は天体望遠鏡博物館らしいです。

天体じゃなくて、望遠鏡の博物館??

トイレもあるので、ここでトイレ行っておきましょう。

 

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ゴールの大窪寺には、相変わらず今の鶴瓶師匠の髪型みたいなおじいさんと、昔の鶴瓶師匠の髪型みたいなおばあさんが待っています。

 

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ずっと車道沿い歩いてたんですが、ここから旧遍路道へ。

車道歩くより、静かで歩きやすそうだったんで。

残り2.3キロ!!

 

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残り700m!!

 

この頃、右足だけだったアキレス腱の痛みが、左足にも訪れ、もう完全に

「ひーこら ひーこら ばひん ばひん」状態。

はい、これが分かった方、おぼっちゃまくん世代ですね。(初めて聞いた世代のくくり)

疲れると、私いつもこの言葉が頭に出てきます。

猛烈に疲れた様子を表す神語だと思ってます。(ちゃま語大絶賛)

 

まぁ、でもこのしんどさこそ遍路旅の最後にふさわしいなと思います。

最後の札所が、87番から徒歩30分ぐらいの、周りコンビニとかスーパーとか色々あるような便利な県道沿いとかにさらっとあって、「はい、あっさり結願」っていうのも、それはそれで「なんか感動うすー」ってなると思います。実際。

 

最後まで一生懸命歩いたからこその感動。そういうことですね、お大師さーん。

 

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人気はまるでなく、鳥と風と、遠くの車のエンジン音。

ファイナルですが、やはりそこは遍路旅。わいわいがやがやとはいきません。

 

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おぉぉぉぉ。見えたーーーーー!!!!

長尾寺から約4時間。ついに来ました。

 

88番 大窪寺

 

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今までにない。唯一ここだけにある文字「結願所」

なんでしょ。フルマラソンのゴールした瞬間にも似た「やったー終わったー」という達成感。

ま、今回連続して歩いたの4日だけなんですけどね。

通しで歩き続けた方に比べたら楽な旅路で、その癖に足こんなに痛めてほんと情けないんですが、それでも3年半、行って戻ってを繰り返すこと9回!

これはこれで、頑張ったと言っていいのではないでしょうかー

 

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超立派な仁王門。

 

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「ここまでよく」

 

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「頑張ったな」

 

仁王さんも激励してくれてます。

奈良時代行基が草庵を結んだのが始まりとされ、その後弘法大師薬師如来座像を刻み本尊としました。

本尊の薬師如来は、薬壺ではなくほら貝を持つ珍しい姿だそうです。

弘法大師が唐の恵果阿闍梨から授かった錫杖を収めて以来、「結願」の地となりました。

現在の堂宇は、明治以降に建てられたものです。

 

さぁ、境内へ!

 

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88か所のお砂ふみ道場。ここで踏まなくても、実際に踏んできたもんね!

 

参拝前にちょっと休憩。あー、着いたー着いたわー

朝一歩きだすと共に、かかと痛すぎて行けるか不安になったけど、どうにか来れたわー

 

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最後の本堂

 

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最後の大師堂

 

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なぜかサル。

 

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桜をバックにしたお大師さん像。何だかすごくベストショットじゃないか。

(赤いコーンにすごく守られてるけど)

 

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今までここで結願を迎えたお遍路さんたちが奉納した金剛杖がある「寶杖堂」

まさに汗と涙・・・はないかもしれんが、汗と雨は確実ににじんだ杖たちです。

私、結局往復の旅路や道中荷物になるからと買わなかったんですけどね・・・ハハ。

 

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歩きはここまで。帰りはバス乗るよーバス停側にも門あった。

 

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その門降りたすぐのお店で、葛湯のお接待いただきました。

葛湯なんて、普段飲まないし、正直飲みたいと思ったこともないんですが、この時飲んだショウガ味の葛湯が美味しかったこと。

 

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バス停は、門のすぐ近く。(階段の上がさっきの門)

お土産屋さんも数軒あります。本当は結願記念に何か買って行きたかったんですが、もう1グラムも荷物増やしたくなくて断念・・・

 

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バス停のとこにすっげー立派な木があるなー

この木、なんの木、気になる木ー

 

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サザンカでした。

こんなでかい木になるの?

みたいな話を近くにいたお遍路さんと話したりしながら、バスを待ちます。

 

13時半のバスに乗り、(バスの本数が少なく、絶対にこれに乗らないといけなかったのですが、お寺でギリギリになることも、時間をもてあそぶことなく、とてもちょうどの時間でした)私が、「ひーこら」しながら2時間半近くかけて上った坂道、ものの10分程度で降りていったからね。車ってはやーい。

 

志度バスストップまで約1時間。

志度バスストップから階段上ったところに、高速バスの乗り場「志度」があり、そこから高速バスで大阪まで。

 

今まで歩き遍路はほぼおじさんしか出会わなかったのですが、この最後の最後、大窪寺からのバス一緒に乗っていた女性お遍路さんお二人が、同じく志度バスストップでおり、さらに二人とも大阪の方で高速バスまで一緒でした。

 

同じく区切り遍路の方でしたが、毎月来たのでかかったのは約1年ほどだそうです。

3年半かけて、途中で止めないっていうのがすごいですよ!

って言っていただいたんですが、これはもう性格的なとこが大きくて。

やり始めたことを途中で止めることができないんですよね。気持ち悪くて。

 

最後に一瞬だけですが、女性歩き遍路さんとお話できて楽しかったです。

やっぱり共通して出たのが「トイレ問題」でした。

ひたすら「トイレなくてめっちゃ困りましたよね!」「コンビニ見つけた時の感動ったらないですよね!」っていうのでめっちゃ盛り上がりました。

 

たまたま本屋で見つけて「歩くの好きだし。お寺好きだし。やってみよっかなー」と始めたのが2015年9月。

その時は前の会社を続けるかどうしようかと悩んでる最中で、結局その1年後に退職。

2017年夏から新しい会社で働いて・・・と始めた時と終わった時では環境も変わりました。正直、こんなかかると思ってなかったしね・・・

 

会社休んでわざわざしんどい思いしてる自分に疑問を抱くこともありましたが、

振り返ると、しんどかった旅路ほど思い出深く(山道とか、悪天候とか、お腹痛くなってピンチになったこととか)「お遍路」という独自の文化に触れられるこの旅を経験できたことはとても良かったなーと思います。

全行程1400キロ全て歩いた訳ではないですが、それでも換算すると1100キロぐらいは歩いたみたいです。

徳島に住んでる友達(車中心の生活)に「私よりも四国歩いてるわ、それ」と言われました。

 

色々な方にお接待もしていただき、遍路とは、地元の方が何十年・何百年も支えてきたからこそ成り立っている素晴らしい文化だと思いました。

1度ならず、何十回とまわっているお遍路が生きがい!みたいな方にもお会いしましたが、私は、2度目をやりたいか?と問われたら・・・んー今は「また絶対やりたい!」とは言えず。

他にもやりたい・行きたい旅も沢山あるし。しんどさ知った上で、あの道をまた行くとなると、初めて以上に気合がいる・・・

ただ、今後お城巡りなどでまた遍路の札所付近に行く機会はあるので、その時は必ずお遍路さんにお接待できるお菓子を持参して行こうと思ってます。

 

今回、改めてブログを再編集して、自分で読み返しながら懐かしい思い出が蘇ってきました。写真を見ると、案外そのときの状況をありありと思い出せるもんです。

現状課題としては、いまだにこの旅のあと四国に行く機会がなく、お遍路さんにお接待できていないことでしょうか。2021年のこの状況下、お遍路文化がどのようになっているのか気になるところです。歩き遍路は人に出会うことがレアなようなルートも多く、ある意味今の時代にあってる旅のスタイルのような気もしますが、一方四国の方からすると都市部から人が来るとちょっと・・・みたいなこともあるかもしれませんね。

 

他の方のブログとかも見て分かっていたんですが、納経所の方はとてもあっさりとされていて、「おめでとう」とかそういう言葉は一切なかったです。ただ、ちゃんと結願のハンコは押されてました。

いいんですよ。向こうからしたら沢山の人間が結願してる中の、一人でしかないですもんね。

私も労務の仕事してるとき、出産とか結婚の扶養の手続き、別に「おめでとうございます!」みたいな気持ちでやってませんでしたし。

むしろ、仕事増やすなや、面倒くさいなーとか思ってたタイプ。

話それましたが、何はともあれ、無事に結願!

これにて、遍路旅終了っっ!

 

が、旅の締めくくりとして、高野山奥の院へ行くのが通例。

という訳で、後日高野山へ行きました。次回、そのときのブログを書きたいと思います。

 

私が旅の間愛用していたガイドブックはこちら。

納経帳とほぼ同じサイズで、サブバックに収まります。

地図と各お寺の案内が書かれてるので、一冊あるととても便利。

【女一人歩き遍路】第9回目4日目 87番 長尾寺

※この記事は、2015年9月~2019年4月まで3年半かけて歩き遍路をした記録です。情報などは当時のものなので、現在と変わっていることがあるかもしれません。ご了承ください。

【前回の記事はこちら】

iechiko.hatenablog.com

 

2019年4月8日

 

はい!ついに迎えました。

お遍路最終章の最終日。ついに、ついに最後の最後。

泣いても笑っても、今日で私の足かけ約3年半に渡るお遍路旅が終わります。

 

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早朝6時25分、出発!今日も晴天!最終日にふさわしいいいお天気だ!!

さぁ、頑張るぞ!と張り切って歩きだして速攻

 

「あ、足いってーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」

 

と心の中で絶叫です。

以前より、やたら「足が痛い」とうるさくてすいません。

他人のしんどいアピールと徹夜アピールほどうざいものはありません。

 

ただ、今回の旅を振り返るにあたり、この足の痛み(右足のアキレス腱。最終的に左足のアキレス腱も同様に痛む)は切っても切れない話題なので、触れさせてください。

 

そして、先に何が原因かを明確にしますと、以前まで履いていたトレッキングシューズがボロボロになったため、今回新しいシューズで歩いてました。

何度かならしてはいたんですが、日帰りの山城でしか履いたことがなく、こんな連日長距離歩いたことなかったんです。

で、どうもこのシューズの踵部分が私にはぴったりフィット過ぎて、圧迫されていたようなのです。

のちに、家に帰ってから症状をもとにネット検索した結果、恐らくですがアキレス腱の『滑液包炎』になってしまったんだと思います。

アキレス腱にある滑液包という液体で満たされた袋の炎症です。

こんな袋があることすら知りませんでした。

靴の圧迫が原因なので、普通に靴脱いだ状態で歩くとそこまで痛みはないんです。(階段の上り下りはつらいけど)

ただ、現状靴脱いで歩く訳にいかないですし、これ以外に靴ないし。このまま歩くしかありません。

ちなみに、帰宅後もしばらくは足首を動かすと、アキレス腱の筋がズリズリと動くような(?)妙な感触がありました。

病院とか行ってないんで、確証はないですが、症状的に多分これだなーと。

その後、数日かかと緩めのスニーカー履いてるうちに症状はやわらぎました。

ただ、このシューズは足に合わなかったということで、帰宅後処分。

はい。と、まぁこの時はこの痛みに名前があることも分からず、ただひたすら

どうしよう。このまま最後まで行けるのか、私。今までに比べて短いとはいえ、22キロも歩くのに。でもここまで来て、あと2か所だけ残してやめるなんてできない。とにかく、行けるとこまで行くしかない

と完全に『気合と根性』の昭和スポ根魂で歩き始めておりました。

『気合と根性』は今の時代にそぐわないのかもしれませんが、こんな時はこれしか頼れるものがないんだよ。

 

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途中、コンビニでガーゼと包帯を購入し、足くじいたんかっていうぐらい大層に踵グルグル巻きにしてみた。でも、あんまり変わらない。

平地でも、もうトレッキングポール手放せない。

実際の私は、こんな頭小さくないし、足も長くない。

 

40分ほど歩くと、

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山の中腹に、突然「HOLLY WOOD」みたいな何かが出てきた。

・・・おらん・・・ぐ?

 

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正解は「ORANGE TOWN」

 

あの家の位置は、わざとなのか。わざと「え?何?何?」と思わせるためにそこに建てたのか?

きっと、今まで相当数の歩き遍路さんとここを車で通ったドライバーが、心の中で「いや、そこに家建てたら読めませんがなー」と突っ込んだと思われます。

ちゃんと「TOWN」まで見ようと思ったら、相当斜めからでないと読めません。

ちなみに、この辺りに「オレンジタウン駅」という駅があります。

みかん栽培でも盛んなのでしょうか。(そんな感じなかったけど)

名前の由来は謎。

 

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なんやかんやで残り2キロ切りました。

 

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今まで旅の疲れをいやしてくれたお遍路さん休憩所。

一つ一つが名残惜しい。でも、正直、足の痛みで余韻に浸る心の余裕があんまない。

 

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ちょうど真ん中あたりが現在地。

で、目指す88番 大窪寺は小さくてよく分からないかもしれませんが、左下の今の鶴瓶師匠みたいな髪型のおじいさんと、昔の鶴瓶師匠みたいな髪型のおばあさんのイラストがあるところ。

・・・まだまだ遠いな。

 

1時間40分ほどで到着

 

87番 長尾寺

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奈良時代行基が観世音像を刻み堂に祀ったのが始まり。

唐に留学前、弘法大師が国家安泰と五穀豊穣祈願を行いました。

また、源義経の愛妾、静御前が出家して尼になったお寺としても有名。

 

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門前には、重要文化財経幢(きょうどう)が二基あります。

経幢は鎌倉中期頃から経文を埋納保存する施設。あるいは、供養の標識として各地に建てられたものだそう。

 

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本堂

 

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大師堂

 

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源義経と別れたのち、静御前は讃岐出身の母と共に故郷に帰り、ここで剃髪し尼になったそうです。その髪が埋まっているという剃髪塚

 

さぁ、ラスト16.5キロ!!!

 

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まずは「おへんろ交流サロン」を目指します。

次回、ついに涙・涙の最終章。(嘘です。涙なんて一粒もこぼれてません。)

 

私が旅の間愛用していたガイドブックはこちら。

納経帳とほぼ同じサイズで、サブバックに収まります。

地図と各お寺の案内が書かれてるので、一冊あるととても便利。

 

【女一人歩き遍路】第9回目3日目 85番 八栗寺~86番 志度寺

※この記事は、2015年9月~2019年4月まで3年半かけて歩き遍路をした記録です。情報などは当時のものなので、現在と変わっていることがあるかもしれません。ご了承ください。

【前回の記事はこちら】

iechiko.hatenablog.com

 

84番屋島寺をあとに、85番八栗寺へ。

境内から出たあと、屋島山の上から源平屋島合戦の史跡が一望できます。

 

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地図と見比べたところ、那須与一扇の的」と書かれてたのが、ちょうど川の一部が陸地に入り込んでるあたり。

 

景色を堪能したあと、下山開始です。

 

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今まで散々山登りも山下りもしてきましたが、わざわざ「傾斜が急です」なんて注意書きされてる山、初めてです。(記憶の限り)

 

どれぐらい急かと言いますと

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いや、もう写真じゃ全然伝わらん!

ほんまに遍路史上最強の急傾斜でした。

トレッキングポールを買っておいて良かった、と心から思いました

 

すごーく、すごーく、慎重にゆーっくり降りたんですが、結局この写真を撮った直後、「こういう石って滑るんだよなー」と思ってたら、案の定ずるっと滑ってお尻打ちました・・・

ここ、雨でぬかるんだ中は超危険地帯と思われます。ご注意を。

 

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時間をたっぷりかけて何とか車道に到着。

 

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しばらく行くと、またタヌキ。

 

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そして、古戦場跡ビューポイント。

ここで私、気づきます。

今から山降りていかないといけないのに、車道に降りてから坂上ってきていることに。

 

・・・道、間違えた。

 

山を降りたところに案内の矢印があって、それが左に向かってた気がしたんです。

でも、明らかにこっちじゃない。

 

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もう一度この桜の木のとこまで戻る。

見たはずの矢印案内が・・・ない。

た、タヌキに化かされたーーーーーーー!!!

と、ちょっと本気で思いました。(あれは何だったのかいまだ謎)

 

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正解の道は再び山下り。

 

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畳みかけるようにすーげー急な下り坂。下山続きで、膝笑っちゃう。

ドリフ並みに大爆笑。

って、令和生まれには通じないんだろうな。(平成も?)

 

下山後も、源平ゆかりの地が出てきます。

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安徳天皇

 

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あと3キロ切りました。

そんなに貼らなくても分かるよ。ありがとね。

 

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こちらのおうどん屋さんすごく有名みたいです。

香川遍路は道中、うどんを楽しむ方も多いみたいですが結局私は一度も食べることはありませんでした。(今だに、本場の讃岐うどん食べたことない。)

時間節約のため、食を楽しむ余裕なし。パンやおにぎりをその辺でかじる。ただのエネルギー補給。

 

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はい。八栗寺はまたまた山の上にあります。

今度は文明の利器、ケーブルカーがあります。

の、乗りたい・・・誘惑。かなりの誘惑。

 

でも、最後は自分の足で全行程を行くのだー!

ケーブルカーに後ろ髪を引かれながら、その横の鳥居をくぐって歩き遍路道へ。

 

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寅さんも食べたらしいよもぎ餅。

ちょっと暑くて餅の気分じゃないんで、スルー・・・

 

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上りですが、今回も舗装された道。

途中から山道へ導く矢印がありましたが、無視してこのまま舗装道。

だって、足、痛いんだもん。

この少し前から、どうも踵というか、アキレス腱の辺りが痛みだしてきた。

靴擦れしてる訳じゃないんだが、どうもいやーな痛み・・・

ケーブル乗り場から25分ほど上ると境内に到着!

 

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お大師さんが出迎えてくれました。

 

85番 八栗寺

 

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弘法大師が唐へ留学する前、この山に登り八つの焼き栗を山中に埋めました。

唐から帰国後、再び山に登ると埋めた栗が成長していたため、元の寺名「八国寺」を八栗寺に改めて千手観世音菩薩を本尊に安置したと伝わります。

・・・ねぇ、そもそも何で栗埋めたの?

 

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お花で綺麗に彩られた仏足石

 

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本堂

 

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大師堂

 

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境内図

あ。左上に天狗がいる!!

てん・てん・ぐー!!!

(また言うてる)

 

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上の地図を見てもらったらよく分かるのですが、

本堂の後ろには切り立った4つの峰の五剣山がそびえています。

名前の通り、元は5つ峰がありましたが、江戸時代中期の地震で一つ崩壊し、今の形になりました。

 

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歓喜天が祀られている聖天堂

商売繫盛や学業成就、縁結びにご利益があるそうです。

 

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八十八か所石仏霊場にあった大窪寺の石仏。

ついに、残すところあと3か所!!!

明日の今頃は結願を迎えてるんだ私ー

いやーついにここまで来たなー(しみじみ)

 

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今日はあと1か所、86番 志度寺まで。

 

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3日目最後の札所、志度寺へ向かう道すがら私はあるピンチに陥っていました。

それは、飲み物がわずか。

4月上旬ではあったのですが、山道を上ったり下ったりしてる分、水分補給はいつも以上に取る必要があり、常に切らさないようにはしてたんですが、ちょっと心もとない量になってきました。

そして、こういう住宅エリアに入ってしまうと、コンビニはおろか自販機さえも見つからないことが多い。

しばらく歩いて運よく自販機に遭遇できたのですが、財布あけてびっくり。

1万円札しかねー

目の前にある自販機は1000円札か小銭しか受け付けてくれません。

日本で最も愛される高額紙幣が、今この瞬間無用の紙切れでしかありません。

 

なんてこったーい!と嘆く私の前に、オアシスが現れました。

 

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こちらの休憩所の前を通りすぎた時、「休んで行かれませんか?」と声をかけていただき、

 

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お茶に加え、なんとたこ焼きまでお接待で出していただきました。

ありがたやー!

 

だましだましで歩いてはいますが、本格的に右足のアキレス腱辺りの痛みがひどくなり、加えて喉乾くし、疲れたし。

でも、この先に道の駅があるからそこまで頑張ろうと思っていたら、その手前で思わぬありがたスポット。

お陰で生き返りました。本当にありがとうございます。

 

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その後、20分弱で道の駅源平の里むれに到着。

さっき休憩したばっかだけど、休憩癖がついてしまったので、ここでも一休み。

 

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これ、何なのかよく分からないんですが、ブツブツ恐怖症の私は結構ぞわぞわした柄。

(同じ境遇の人が見てるかもしれないのに、あえて載せるやつ。一緒にぞわぞわしましょう。)←ただの嫌がらせ

 

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ちょっと食べたら、そこまで意識してなかった空腹が増幅すること、あるよね。

ってな訳で、塩分たこ焼きで取ったら、糖分が欲しくなって買ったどら焼き。(クリームたっぷり&バナナ)

 

志度寺まであと少しのところで、こんな建物が。

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平賀源内記念館

 

平賀源内さんの肩書は、ウィキペディア師匠によると

「本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家発明家」

多才が過ぎるわ。1個分けて。蘭学者とか。(令和の時代に需要あるかな)

 

ちなみに、平賀源内と言えば「エレキテル」とセットで覚えてる方も多いと思いますが、この方エレキテルを発明した人ではないそうです。

正しくは、壊れたエレキテルを修理して復元した人だそうです。

(私も調べるまで記憶違いしてた。)

ひっそりとある資料館に人気はなく、そして私も時間と足の痛みによりスルー。

 

八栗寺から約2時間で到着。

 

86番 志度寺

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門前にたたずむおじさん3人が、見事に同じ身長。

 

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仁王門

 

こちらの志度寺、入ってまず思ったのが緑多っ。

 

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とにかく木がめっちゃ茂ってます。

ただ、手入れをされて整えられてるというより、結構自然のままワイルドな感じ・・・

 

創建は625年ととても歴史は古いお寺です。

藤原鎌足の息子の藤原不比等が「志度道場」と名付けたと言われています。

志度寺には、能楽浄瑠璃のモデルとなった「海女の玉取り伝説」が伝えられています。

 

唐に嫁いだ藤原鎌足の娘が父の供養のため宝玉を奈良の興福寺に送りましたが、その宝玉を積んだ船が志度沖で竜神に奪われてしまいました。

そこで、その玉を奪い返そうと身分を隠した不比等志度にやってきて、海女と恋に落ち息子(房前)が生まれました。

数年後、不比等から素性を聞かされた海女は「玉を取り返すので、房前を藤原家の世継ぎに」と言って海に潜り、玉を取り返しましたが命を落としてしまいました。

そんな伝説の海女のお墓も境内にあります。(写真撮ってないけどね)

 

ちなみに、房前含めた不比等の子は藤原四子と呼ばれ北家・南家・式家・京家に分かれるんですが、のちにいわゆる摂関政治で力をつけていくのは房前の北家の血筋です。

 

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本堂

 

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大師堂

 

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仁王門の手前にある自性院には平賀源内のお墓もあります。

 

3日目の札所まわりこれで終了!

今夜のお宿は、実は志度寺参拝前に一度前を通ってました。

一旦荷物を置いて行こうかとも思ったのですが、腰を落ち着けたら出るのが億劫になりそうだったので、そのまま参拝してしまいました。

 

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いしや旅館さんです。

こちらの建物、有形文化財に登録されております。

 

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お部屋はこんな感じ。鍵はありません。

お風呂、洗面、トイレは共用です。

明治時代創業の旅館だそうで、とても昔風情を感じられるお宿でした。

 

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食事なしのプランだったので、近くのガストへ。

靴を脱いでお宿内歩いてる時は平気だったのに、改めてシューズ履いてちょっとの距離を歩いてみたら・・・

・・・どうしよう、アキレス腱が超いてー

ラスト1日、どうなる私の足。

 

★この日お世話になったはいしや旅館下記リンクから予約可能です★

楽天トラベルのページに飛びます)

いしや旅館

 

私が旅の間愛用していたガイドブックはこちら。

納経帳とほぼ同じサイズで、サブバックに収まります。

地図と各お寺の案内が書かれてるので、一冊あるととても便利。

【女一人歩き遍路】第9回目3日目 83番 一宮寺~84番 屋島寺

※この記事は、2015年9月~2019年4月まで3年半かけて歩き遍路をした記録です。情報などは当時のものなので、現在と変わっていることがあるかもしれません。ご了承ください。

【前回の記事はこちら】

iechiko.hatenablog.com

 

2019年4月7日

 

お遍路旅ラスト3日目。

本当は2日目に行っておきたかった83番を朝一で目指します。

昨日の宿泊先である天然温泉きららから、83番一宮寺はとても近いです。

7時に宿をあとにして、わずか7分で到着。

 

83番 一宮寺

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創建当初は、「大法院」という名の法相宗のお寺でしたが、その後讃岐一の宮田村神社別当となり、寺名を現在の一宮寺に変更。さらにその後、弘法大師が本尊を刻み、その際真言宗へと改宗したお寺です。

 

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本堂の前にある薬師如来

この祠の下には地獄へと通じる穴があり、「地獄の窯」が煮えたぎる音が聞こえると言われています。

また、悪人がここに頭を突っ込むと抜けなくなるんだそう。

ま、やらなかったんですけどね。

 

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本堂

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大師堂

 

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桜が今日も綺麗だー

 

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右上のお遍路さん、めっちゃ顔色悪いけど大丈夫?って思ってよく見たら角らしきものがある。

・・・青鬼さん?

 

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次の屋島寺までは13.5キロ!結構あるぜ!3時間以上かかる予定だぜ!

頑張るぜ!!

 

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次の屋島寺は、このマンホールの図柄にゆかりのあるところです。

(って、ちょっとわかりにくいかな。扇に向かって弓、引いてます)

 

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カメラ向けたら、めっちゃカメラ目線してくれたネコ。

逃げる子が多い中、珍しい。

プロかな。(なんの)

 

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この路線の名前高徳線というそう。

高松の「高」と徳島の「徳」ってことか!?そうなのか!?

(特に珍しい景色がないので、無理やり食いついてみた)

 

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川沿いにベンチがあったので、(お遍路用ではなく、地元の方用だと思いますが)休憩タイム。

あー・・・日差し遮るものがない・・・

また、唯一むき出しの手の甲だけ焼けてる気がする。

いや、確実に気のせいではない・・・

 

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1時間40分ほど歩いて、ようやく屋島の文字が見えてきました。

あと半分。ここからしばらく、国道ゾーン突入です。

 

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ついに!88番の大窪寺まで40キロを切りました!!

フルマラソンより短くなりました!!

 

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橋の欄干に描かれたこの絵。

屋島は、源平合戦ゆかりの地。

その中で、一宮寺の前にあったマンホールにも描かれていたこの弓名人。

平家物語に書かれた那須与一です。

古典の授業でやったわー。

『与一、鏑(かぶら)を取つてつがひ、よつ引ぴいてひやうど放つ。』 って一文がすごく印象に残って覚えてます。

ちなみに、頭の祇園精舎の鐘の声…』ってやつも学生時代全部暗記してました。(今はうろ覚え)

歴史と同様、古典も好きで得意科目でした。

 

ちなみに、ウィキペディア師匠に載っている「那須与一」の概要。

那須与一は、源氏のがわの兵で、弓矢の名人。

海上にいる平家の側の舟から、扇(おうぎ)のついた棒の立った舟が出てきたので、疑問に思った義経が「あれは何だ?」と部下に聞いたところ、「この扇を射ってみろ、という事でしょう。おそらく、弓をいろうと出てきた義経さまを、逆に射殺してやろうという策略でしょう。それでも、部下のものに、扇を射させたほうが、よろしいでしょう。」と。そして、与一が選ばれる。

途中、いろいろあったが、最終的に扇に、与一の矢が命中する。

最後のまとめかたー

 

ずっとひたすら歩いてきた国道から、県道へ。

そして、しばらくするとこちらの案内。

 

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わざわざ実測月まで書かれてます。

残り2キロ切った。わーい。あと少し!

んが、ここからの2キロが長かった・・・

 

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屋島寺があるのは屋島山上。

という訳で、ひたすら上り坂が続きます。

山道という訳ではなく、きちんと舗装はされてるんですが3時間歩き続けてきた体にはなかなかにこたえます。

 

屋島寺は、お遍路さんだけでなく普通に観光に訪れる方も多いお寺で、リュック背負ってえっちらおっちら歩く私の横を、身軽な子供たちが元気に駆け抜けていったりしました。・・・若さ、吸い取りたい(魔女か)

 

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途中、弘法大師が仏天を供養し、仏の加護保持を祈祷したといわれる水(加地水)

 

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弘法大師屋島に登った時、美味しそうな梨がなっていたので一つ欲しいと申し出たが、持ち主は「これは食べられない梨です」とウソを言って断ったため、梨は石のように固くなり、本当に食べられなくなってしまいました。

という伝説が残る不喰梨(くわずのなし)」があります。

 

一宮寺を出てから約3時間半

84番 屋島寺

 

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唐から来た高僧・鑑真和上屋島の北嶺に登り、堂を建てたのが始まり。

その後、弘法大師が勅願により南嶺に伽藍を移しました。

その際、大師は夕日が沈むのを扇であおいで止めて、たった一日で工事を終わらせたという伝説が残っています。

もはや弘法大師伝説、何でもあり。

 

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こちらの四天門をくぐると正面に本堂。

 

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本堂

 

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大師堂

 

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時間があれば入りたかった。源平合戦にまつわる遺物が展示されている宝物館。

 

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一願不動尊

そして、何よりこの境内で目立っている存在がこちら。

 

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でかい2匹の夫婦タヌキ像。

こちらは蓑山大明神

日本三大狸のひとつ太三郎狸

弘法大師屋島で道に迷った際、蓑笠を着た老人が山頂に現れ道案内をしてくれました。その老人こそ、太三郎狸が化けた姿。

太三郎狸は、土地の地主の神として本堂横に祀られています。

化け方の高尚さと変化妙技は日本一!だそうな。

 

蓑山大明神は、夫婦円満・縁結び・子宝などのご利益があるとされています。

狸が化けると言えば、森見登美彦さんの小説有頂天家族が思い出されます。

京都の下鴨神社に住む狸が、人に化けた姿で人間社会に紛れて暮らしているっていうお話。キャラクターたちが個性的ですごく好きな小説です。

 

「日本三大〇〇」ってよく聞くけど、三大狸なんて初めて聞いた。

あとの二狸(にたぬき?)は佐渡の団三郎狸」「淡路の芝右衛門狸」だそうです。

 

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・・・君は、普通の信楽焼だよね?

 

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鎌倉時代につくられた平家供養の梵鐘。

重要文化財にも指定されています。

 

この山頂には、水族館もあって、お遍路さんより観光客の方が多いぐらいのお寺でした。

そして、次の85番へ向かおうと入った門から出たんですが、どこから行けばいいのかさっぱり分からん。っていうか、あれ?こっちだと来た道下るしかない?そんな訳ないよな。

え?次どこから行くの?と、一旦出た境内にまた入って、また狸さんの前を通過して、プチ迷子。

 

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答えは、先ほどの梵鐘の写真を撮った時、背後にあったこちらの門から出る でした。

そしてこのあと、ここにきてお遍路史上最強に危険な山下りを経験することとなります。

 

私が旅の間愛用していたガイドブックはこちら。

納経帳とほぼ同じサイズで、サブバックに収まります。

地図と各お寺の案内が書かれてるので、一冊あるととても便利。

【女一人歩き遍路】第9回目2日目 82番 根香寺~80番 国分寺

※この記事は、2015年9月~2019年4月まで3年半かけて歩き遍路をした記録です。情報などは当時のものなので、現在と変わっていることがあるかもしれません。ご了承ください。

【前回の記事はこちら】

iechiko.hatenablog.com

 

81番白峯寺から82番根香(ねごろ)寺へ。

 

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お寺出たら、速攻車両の通れない道にいざなわれます。

 

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その上、猪注意とか言われます。

注意って、注意してても出るときゃ出ると思うんですが、一体その時はどうすればいいのでしょうか。

調べてみたところ、騒いだり威嚇することなく、無視して速やかに離れるべし!だそうです。

でも実際目の前にイノシシ出たら「んぎゃ!!」とか叫んでしまいそうやわ。

今度山に行くときまでに、イノシシに突然出会っても驚かない練習しておかなきゃ。(どこで)

 

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白峯寺から根香寺への現在の遍路道は、道しるべなどの石造物が残されており

江戸時代前期には使われていたと考えられている歴史的な道なんだそう。

 

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ま、確かにこの景色は江戸時代から変わってないと言っても過言ではない。

 

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これは絶対江戸時代になかったやつ。

陸上自衛隊の演習場がありました。

歩いてる最中、結構な広い範囲でずっと「パンパン」破裂音(運動会のピストルみたいな音)が聞こえてたんですが、ここからの音だったのかな・・・

一体あれなんやったんかマジでなぞ。

 

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阿伽井とは、神仏に捧げる水がわく井戸のことなんだそうです。

 

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山の中を1時間半ほど歩いて、お久しぶりのアスファルト道。

 

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素晴らしい。四か国語対応です。

なんかアンパンマンに出てきそうなキャラ。名前をつけてみた。その名も「へんろまん」(ひねりゼロ)

 

白峯寺から約1時間40分で到着。

82番 根香寺

 

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弘法大師が建てた「花蔵院」と、甥の智証大師が建てた「千手院」の二つの院からできたといわれるお寺。

智証大師が千手院を建てた際、霊木で本尊の千手観音を彫ったのですが、その霊木が長く芳香を放っていたということで、

総称して根香寺と呼ぶようになりました。

 

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門前には、牛鬼像。

昔、この青峯山にいた人間を食べていたという恐ろしい怪物です。

ガイドブックには「迫力満点」とか書かれてるんですが、ちょっとおもろい感じに仕上がってないかい。

いや、まぁ実際こいつが私を食べようと追いかけてきたらめっさ怖いとは思いますが。

足のめくれた皮ぐらいならあげれるけど。(きたねーな)

 

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また階段なやーつ・・・

 

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樹齢1600年の欅。

昭和50年頃枯れてしまったので、現在は保存のため根を切り、元々生えていた場所に屋根つきで置かれています。

 

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で、またまた階段。

とことんやる気か、今日は。

 

小さなお寺だと、門入ったらまず手頃なベンチに荷物置いて身軽になるんですが、

こういうところはそうもいかず、荷物しょったままひたすら階段上って本堂を目指す羽目になります。これがまた地味につらい・・・

 

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本堂

こちらの本堂、ちょっとかわった造りで、この手前にある回廊をぐるっと回って、正面に見える本堂へ。

そして、この回廊にはずらーっと小さな観音像が祀られています。

その数、約3万3000体。

 

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大師堂

 

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開創1100年を記念して安置された役の行者像。

直接開基と関係ないけど、山岳仏教繋がりということみたいです。

 

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「ほな、また」

 

牛鬼に見送られ、山の下にある80番 国分寺へ。

(ちなみに、この牛鬼は、弓の名人山田蔵人高清に打ちとられたそうです。めでたし、めでたし)

 

2日目、3つ目の札所国分寺は山を降りた先にあります。

根香寺から③国分寺へ。

白峰寺にのぼる前に撮った地図の写真なので、現在地の位置が白峰寺の手前にあります。)

 

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なので、途中までは元来た道を戻ります。

 

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どんどん降りよう。

 

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この景色が・・・

 

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これ。

ちょうど真ん中に見えているのが、鷲ノ山。(と思われる)

パネル写真の右奥部分だけしか写ってなかったわ。

 

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桜~ 綺麗な桜~

と上を見とれて歩いてたら、ズボッと溝に足がはまりました。

山で足元注意しないなんて、あほの極みです。

 

「んぎゃ」っと思ったと同時に(基本、一人の時一切声を出さない生活してるので、こんなとっさの時も声が出ない。声帯が完全にシャットダウンしてます)後ろから代わりに

Oh!!

と女性の声。

 

振り返ると、思った通りそこにいたのは日本人ではなく欧米人の方。

実はこの方、81番から82番に行く道に一度すれ違って「こんにちは」と挨拶交わしてたんです。

私とは逆に、82番から81番に向かう道をその方は歩いてたはずなのに、なぜか今、私の後ろに。

そして、前を歩いていたちんちくりんの日本人が、突然溝にはまったのを見て、思わずびっくり。そりゃそうだわな。

 

あ、OK、OK

とヘラヘラしながら(実はちょっと脛痛かった。あとから見たら痣できてた・・・)大丈夫だよアピール。

この方も国分寺を目指しているということで、このあと一緒に歩くことになりました。

全く日本語ができない方だったので、私のつたない英語力で何とか会話を。

この方は、お遍路をがっつりまわってる訳ではなく(すごく軽装だったし)この近辺のお寺だけをまわっているとのことでした。

オーストラリア出身の方(お年は恐らく60代半ばぐらい)で、大阪で働いている息子さん訪ねて日本に遊びに来た、とか。

日本のお寺、特に山にあるお寺が好きで、高野山熊野古道にも行った、とか。

私も去年オーストラリア行ったよーゴールドコーストラソンに出たんだよー、とか。

 

多少それなりに会話はできたものの、もっと私に英語力があれば会話が弾んだのになーと悔やまれるところです。

とりあえず、山を降りたらオリーブ畑が出てきたので、

香川はオリーブが有名なんだよ!

と教えてあげました。

唯一、ガイドっぽいことできたんこれだけやわ・・・お寺の由来とかもっと説明してあげたかった・・・

ポケトーク、欲しかった・・・(最新技術頼り)

 

しかも山を降りてから、国分寺への道案内があんまりなく、もはやグーグルマップを頼りに歩き、

これ、こっちでいいのよね?

とむしろ英語版遍路ガイドブック(のコピー?)を持ってるその方に道案内される始末。この英語版ガイドブックがものすごく詳細。

 

私が使っているのは、イラストの地図が描かれてる市販のお遍路ガイドブック。

あとは、道々にある案内板や遍路シール。迷ったときにはグーグルマップ。

これらを駆使して歩いてるんですが、見せてもらった英語版。

具体的に「この白い壁の建物の横を左に曲がる」とか丁寧に一つ一つ道々の目印になる建物なんかが写真つきで載ってるんです。分かりやすっ!

 

ここ数年、外国人の方に人気があるというお遍路。

実際私も外国人お遍路さん見かけること多かったんですが、肝心の道案内は日本語オンリーがほとんど。しかも数字ですら漢数字やから、番号さえ読めない。

(中国系の方ならいけるかもやけど。ん?でも日本語の漢数字って、中国でも同じなんかな)

それでも皆さん歩いて旅してるから、どうやって道判断してるんだろーと思っていたら、こんな素晴らしいガイドブックがあったんですねー

最終的に地元の方に「この道で行けるよ」って教えてもらったとこが、何か正面門じゃなく、境内の脇から入るようなとこで、

 

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いきなり本堂どーん。

ちなみに、写真に写っている方が30分ほど旅路を共にしたオーストラリア人の女性です。私の英語力不足で、恐らく所々会話かみ合ってなかったと思いますが

一緒に歩いてくれてほんと助かったわ

と言ってくれました。喜んでいただけたようで、何よりです。

門から入れずすいません。

私はお遍路手順で参拝するので時間もかかるし、(ロウソクや線香あげたり、般若心経読んだり)ここでお別れすることに。

 

はい改めて

80番 国分寺

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地図、さっびさびでよー分からん。

聖武天皇の勅命により全国に建てられた国分寺の一つ。行基が開基。

本尊の十一面千手観音立像を弘法大師が修復し、堂宇を増築したと言われています。

本堂は鎌倉時代に再建されたもの。境内、結構広いです。

 

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七福神がいたり

 

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良縁祈願ができたり、

 

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金箔大師がいたりします。

その横には、イノシシ顔はめパネルもあります。

一番前のイノシシ、既に顔あるけど。

もはや穴開いてるとこからの顔、それは完全に心霊写真の位置でしょう。

 

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大師堂はこちら。

納経所と同じ建物内にあります。

 

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創建当時に造られた四国最古と言われる梵鐘。

当時の藩主が高松城に持ち帰ったところ、毎夜泣きながら「国へいぬる(帰る)」と藩主の夢枕に立ったため、元の場所に戻されたという言い伝えがあります。

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で、こちらが本来最初に通るべきだった門です。

今日はできれば83番まで回りたいと思っていたのですが、どうも時間が微妙。。。

宿泊先は83番近くなので、最悪明日の朝でもいいか。

 

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今までの山とは一転。

ひたすら県道ゾーン突入です。

山登ったり、下ったりがかなり足に効いてます。もはや平地のアスファルトでも、トレッキングポール突きながら歩く。

 

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時刻は16時過ぎ。83番一宮寺までは5キロ以上。

・・・無理だな、今日は。

 

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疲れていると、こういうとこが、立派なベンチに見えてくる。

 

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結局、この日は17時までに83番へ行くことができなかったので、そのまま宿泊先となる天然温泉きららへ。

見えている建物は、温泉施設。いわゆるスーパー銭湯的なとこなのですが、宿泊も可能。一旦温泉施設で受付したあと、案内されたのが

 

温泉施設の駐車場横にある建物(右側)

これ、明らかに元々普通のマンションで、それを買い上げたものと思われます。

 

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なので部屋入るとミニキッチンと洗面。

そして何故かオフィスみたいなデスク&チェア。

 

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その奥の部屋がベッドルーム。

コインランドリーも1Fにあります。

ただ、階段しかないので、3階の部屋まで上がったり下ったりが結構つらかったですが。お風呂はもちろん広々で、露天もあって申し分なし。

温泉施設に食事処もあるのですが、

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そこのメニューの一部がルームサービスできます。

コインランドリー利用で階段行ったり来たりしてたら疲れちゃって、

もう部屋から出たくなかったので、ご飯はこのルームサービスを利用しました。

 

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海鮮どーん。

ありがたいことに、ルームサービスで頼んでも、お値段上乗せなし。

(普段、ホテルでルームサービス利用しないんですが、店内で食べるよりちょっと高く設定されてません?)

 

本日の歩行距離は、昨日の倍以上36キロ

歩数は約6万歩。しかも山登り&下り込み。

あー足、ちょっと痛いかも・・・

結願まであと2日。頑張れ、私の足。

 

この日お世話になった天然温泉きららの詳細は下記HPをご確認ください。

www.kiraraonsen.com

 

私が旅の間愛用していたガイドブックはこちら。

納経帳とほぼ同じサイズで、サブバックに収まります。

地図と各お寺の案内が書かれてるので、一冊あるととても便利。