えちこの旅ブログ

知的好奇心のおもむくままに

MENU

【公共交通機関で行く坂東三十三ヶ所巡礼】第十一番 安楽寺

第十一番 安楽寺(あんらくじ)

こちらが一番直近で行った坂東三十三ヶ所の札所です。昨年、関東旅行の際友人たちより1日早く関東入りして、行ってきました。本当は十番の正法寺も行く予定だったんですが、思いのほかアクセスが悪い&納経所の時間が想定よりも早く閉まるという事態に合い、この1か所しか行けませんでした・・・

 

安楽寺の歴史

奈良時代行基が観音像を刻んで安置したのがはじまりと言われるお寺。

平安時代初期には、坂上田村麻呂が奥州討伐に向かう際、戦勝をこの地で祈願し、勝利をおさめました。その戦の帰路、堂宇を建立したと伝えられています。

その後、源頼朝の異母弟である源範頼平治の乱ののち、この地で育てられたと言われています。範頼によって三重塔や大講堂などが建立されましたが、天文年間の戦乱によって焼失。

その後江戸時代に入って、再興されました。

境内案内

仁王門

元禄15年(1702年)建立。

f:id:iechiko:20220206093432j:plain

f:id:iechiko:20220206093436j:plain

f:id:iechiko:20220206093439j:plain

f:id:iechiko:20220206093443j:plain

金網越しの仁王像は、手前の金網にピントが合いがち。(もっと写真がうまくなりたい。。)

本堂

1661年建立。

f:id:iechiko:20220206093504j:plain

f:id:iechiko:20220206093508j:plain

堂内には、日光東照宮の眠り猫で知られる左甚五郎作といわれる虎の彫刻「野荒しの虎」があります。昔、この虎は毎晩お堂を抜け出して田畑を荒らしまわっていたため、その名がついたんだそうです。現在は、その虎は欄間に掲げられています。

この手の彫刻が抜けだしたり、仏像さんが自ら危機的状況から逃げ出したりといった伝説、お寺にはよくありがち。

三重塔

f:id:iechiko:20220206093528j:plain

f:id:iechiko:20220206093429j:plain

先ほど、歴史のところで触れた源範頼によって建立されたのち、焼失。そして江戸時代に再建された三重塔。

案内板の高さのところが上から貼り直されてるんで、測り直したら高さ違ってたーみたいなことがあったんですかね。

吉見大仏

f:id:iechiko:20220206093450j:plain

f:id:iechiko:20220206093454j:plain

本堂に上がる階段の手前にいらっしゃる阿弥陀如来像は、1789年鋳造と伝わっています。
「吉見大仏」という名で呼ばれているんだそうです。

『大仏』の定義って何メートル以上とか決まってるんかな、と思いウィキペディア師匠に尋ねてみたところ

釈迦の背丈が16[1]あったという伝説から、その高さで造られた仏像を丈六仏じょうろくぶつという[2]。背丈を基準としているため坐像の場合は、約半分の大きさになる。一般的には「丈六仏」より大きい仏像を「大仏」というが、その定義より小さくても「大仏」と称するものもある。

とご回答いただきました。

アクセス

東部東上線松山駅からバス鴻巣免許センター行き15分 バス停「久保田」下車40分

※余談

今回、私は2か所まわる予定だったんで、行きは松山駅からタクシーで行きました。(タクシーだと15分弱)

そして参拝後、駅まで4.7キロ。はて、どうやって帰ろう。

うん、歩こう。と歩き始めたものの、歩きながら気づく。このまま1時間強歩いて駅に到着したら、次に行く予定だった正法寺のバスに間に合わない(正法寺へは、東松山駅から高坂駅に移動して、そこからさらにバスに乗る必要があった。しかも、納経所受付時間が冬季のため16時までだった。夏季は17時まで。)

やばい!と時折ダッシュしながら駅へ。しかし、元々乗りたかった電車には間に合わず。でも諦めたら試合終了なので、高坂駅へ行ってタクシーに乗ろう!と移動。高坂駅到着するも、タクシーおらんがな。しばらく待っても全然来んがな。時刻は16時。

・・・安西先生、試合終了しました。またリベンジします。

教訓①帰りも乗るからとタクシーには待っていてもらおう。

  ②冬季は納経所の時間が早まりがち。事前にチェックしよう。

yoshimikannon.jp

その他の坂東三十三ヶ所札所はこちらから

iechiko.hatenablog.com