第十一番 安楽寺(あんらくじ)
こちらが一番直近で行った坂東三十三ヶ所の札所です。昨年、関東旅行の際友人たちより1日早く関東入りして、行ってきました。本当は十番の正法寺も行く予定だったんですが、思いのほかアクセスが悪い&納経所の時間が想定よりも早く閉まるという事態に合い、この1か所しか行けませんでした・・・
安楽寺の歴史
奈良時代、行基が観音像を刻んで安置したのがはじまりと言われるお寺。
平安時代初期には、坂上田村麻呂が奥州討伐に向かう際、戦勝をこの地で祈願し、勝利をおさめました。その戦の帰路、堂宇を建立したと伝えられています。
その後、源頼朝の異母弟である源範頼が平治の乱ののち、この地で育てられたと言われています。範頼によって三重塔や大講堂などが建立されましたが、天文年間の戦乱によって焼失。
その後江戸時代に入って、再興されました。
境内案内
仁王門
元禄15年(1702年)建立。
金網越しの仁王像は、手前の金網にピントが合いがち。(もっと写真がうまくなりたい。。)
本堂
1661年建立。
堂内には、日光東照宮の眠り猫で知られる左甚五郎作といわれる虎の彫刻「野荒しの虎」があります。昔、この虎は毎晩お堂を抜け出して田畑を荒らしまわっていたため、その名がついたんだそうです。現在は、その虎は欄間に掲げられています。
この手の彫刻が抜けだしたり、仏像さんが自ら危機的状況から逃げ出したりといった伝説、お寺にはよくありがち。
三重塔
先ほど、歴史のところで触れた源範頼によって建立されたのち、焼失。そして江戸時代に再建された三重塔。
案内板の高さのところが上から貼り直されてるんで、測り直したら高さ違ってたーみたいなことがあったんですかね。
吉見大仏
本堂に上がる階段の手前にいらっしゃる阿弥陀如来像は、1789年鋳造と伝わっています。
「吉見大仏」という名で呼ばれているんだそうです。
『大仏』の定義って何メートル以上とか決まってるんかな、と思いウィキペディア師匠に尋ねてみたところ
釈迦の背丈が1丈6尺[1]あったという伝説から、その高さで造られた仏像を
丈六仏 ()という[2]。背丈を基準としているため坐像の場合は、約半分の大きさになる。一般的には「丈六仏」より大きい仏像を「大仏」というが、その定義より小さくても「大仏」と称するものもある。
とご回答いただきました。
アクセス
東部東上線松山駅からバス鴻巣免許センター行き15分 バス停「久保田」下車40分
※余談
今回、私は2か所まわる予定だったんで、行きは松山駅からタクシーで行きました。(タクシーだと15分弱)
そして参拝後、駅まで4.7キロ。はて、どうやって帰ろう。
うん、歩こう。と歩き始めたものの、歩きながら気づく。このまま1時間強歩いて駅に到着したら、次に行く予定だった正法寺のバスに間に合わない(正法寺へは、東松山駅から高坂駅に移動して、そこからさらにバスに乗る必要があった。しかも、納経所受付時間が冬季のため16時までだった。夏季は17時まで。)
やばい!と時折ダッシュしながら駅へ。しかし、元々乗りたかった電車には間に合わず。でも諦めたら試合終了なので、高坂駅へ行ってタクシーに乗ろう!と移動。高坂駅到着するも、タクシーおらんがな。しばらく待っても全然来んがな。時刻は16時。
・・・安西先生、試合終了しました。またリベンジします。
教訓①帰りも乗るからとタクシーには待っていてもらおう。
②冬季は納経所の時間が早まりがち。事前にチェックしよう。
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