えちこの旅ブログ

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【女一人歩き遍路】第8回目4日目 72番 曼荼羅寺~74番 甲山寺

※この記事は、2015年9月~2019年4月まで3年半かけて歩き遍路をした記録です。情報などは当時のものなので、現在と変わっていることがあるかもしれません。ご了承ください。

【前回の記事はこちら】

iechiko.hatenablog.com

 

弥谷寺から曼荼羅寺へ。

 

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予想外の竹藪道。

昨日の雨で若干濡れてます。

笹が濡れるととても滑ります。足元注意。

 

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躍・動・感

(別にこけた訳でもなく、単に偶然ボタン押して撮れただけの画像です。もうデジカメからは削除しました。)←そんなん載せるなよ。

 

10分ほどで藪終了。

 

今日もにゃんこ。

すっげー警戒心持たれてる。

怖くないよー大丈夫だよー。にゃー。にゃー。←ホンマに「にゃーにゃー」言いながら近づいてるので、傍から見たら結構やばめの人。

 

ゴルフの打ちっぱなし場。

池に浮かぶ丸いとこに乗せるみたいです。

結構難易度高そう。池ポチャしたボールは定期的にすくうのかしら・・・

このあと、またまた迷子の天才、2度ほど道に迷いました。

多分、普通の人なら迷わないんだと思います。

じゃーなぜそんなとこで迷うのか。それは私が迷子の天才だからです。

(`・∀・´)エッヘン!!

 

72番 曼荼羅寺73番 出釋迦寺は500mほどしか離れていません。

なんとなく順番通りかな、と先に曼荼羅寺に行きましたが、出釋迦寺のあと次の74番へ向かうために再度曼荼羅寺の横を通ることになるので、先に出釋迦寺に参れば良かったです。

これも手持ちの地図をよく見ればわかることなんですが、地図も読めない女なのでそんなこと分かるはずもなく。

 

72番 曼荼羅寺

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推古天皇の時代に建てられた四国霊場一歴史の古いお寺。

元々は、弘法大師の祖先の佐伯氏の氏寺でした。

弘法大師が唐から帰り、亡き母の菩提を弔うために訪れたと伝わっています。

 

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延命地蔵

とりあえず、あと数時間歩く力をください。

 

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本堂

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大師堂

 

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こちらのお寺には、1200年前弘法大師が手植えしたという松があったそうなのですが、平成13~14年にかけて虫害により枯れてしまったそうです。

現在は、在りし日の姿をお写真で見れるだけ。

 

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で、その松の幹に刻んだ弘法大師像が笠松大師として祀られています。

その他、平安時代歌人西行が昼寝をしたと伝わる「昼寝石」なるもんがあるそうなのですが、見つけられませんでした・・・(別にそんな広い境内じゃないんですけど・・・)

そして、ここから先ほどの分岐点に戻り、少し坂を上って73番へ向かう途中、弥谷寺でお会いした赤リュックさんとそのお友達(あだ名ないんかい)が、一足先に参拝し終えて坂を降りてこられました。

 

その調子なら、(納経所閉まる17時までに)75番まで間に合うでー頑張りやー

と励ましの言葉をもらいながら到着。

 

73番 出釋迦寺(しゅっしゃかじ)

 

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・・・分身の術

 

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個人的に今回の遍路旅一お気に入りショット。

 

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曼荼羅寺も出釋迦寺も、のどかな田畑広がる場所にこじんまりとある小さなお寺です。

 

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求聞持大師(ぐもんじたいし)像

求聞持法とは、虚空蔵菩薩真言を100万回唱える修行。

その修行を行っている大師像で、学問成就にご利益があるとされています。

 

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本堂

 

大師堂

 

そしてこちらから正面の山に見えるのが、我拝師山の中腹にある奥の院

 

ここにはある伝説が残されています。

弘法大師が7歳の時、この山に登り「仏門に入り、多くの人を救う願いが叶うなら霊験を。そうでなければこの身を諸仏に供養する」と崖から身を投げたそうです。

すると、釈迦如来と天女が現れ、天女に抱き留められた弘法大師は無事助かったそうな。

空から降ってきたシータを抱き留めたパズー的な。飛行石的な。「目、目がー」的な。

そんなお話。(全然違うわ)

 

弘法大師さんは7歳で人々を救おうと自分の命をかけたすごいお人ですよ、というお話です。

奥の院には、本堂から山道2キロ、鎖を使って登るような険しい道のりだそう。

もちろん無理です。行きません。行けません。

なので、ここから仰ぎ見て参拝して終了です。

 

時刻は15時半少しまえ。

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残り2箇所。次の74番 甲山寺までは3キロ。日陰、ナッシング!!

正直、足のマメも全体の筋肉疲労もかなりつらい。

でも、まだ間に合う時間。急げ、急げー

 

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20分歩いても、日陰ナッシング!!

そんなこんなで、45分ほど歩いて到着。

(特にこれ、と言っておもしろい景色もなく、先を急いでいたので道中の写真もほぼなし)

 

74番 甲山寺(こうやまじ)

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入口入って数秒で本堂 という嬉しい作りのお寺です。

ここで、山門から階段で5分以上かかります、みたいなお寺だったら完全にくじけてました。

 

この甲山寺周辺は、弘法大師の生まれ故郷で、幼少期に過ごした場所だそう。

ある日、この地を訪れると、ひとりの老人が「この地に寺を建てるとよい」と告げました。

そこで、毘沙門天を彫って岩窟に安置したのが始まり。

その後、朝廷の役人が3年かけても終わらなかった満濃池の護岸工事を弘法大師が指揮したところ、わずか3か月で終了。その時にもらった報奨金で建てたお寺だそう。

大師さんというのは、とにかく水にまつわる逸話の多い方です。

 

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本堂

 

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大師堂

 

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甲山寺縁起でもある毘沙門天像が祀られた岩窟。

 

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女性の守り神 淡路大明神

どうか次の75番まで無事打ち終えますように・・・・

 

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こちらの大師像は小ぶりで細身。

門は入ってきた側と反対にあったので、出る時だけくぐりました。

 

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時刻は、16時23分。

納経所が閉まるのは、17時

次の75番 善通寺まで約1.5キロ

走ったら10分弱。

でももちろん走れる訳はなく。とにかく早足で急げや急げー!

 

私が旅の間愛用していたガイドブックはこちら。

納経帳とほぼ同じサイズで、サブバックに収まります。

地図と各お寺の案内が書かれてるので、一冊あるととても便利。