※この記事は、2015年9月~2019年4月まで3年半かけて歩き遍路をした記録です。情報などは当時のものなので、現在と変わっていることがあるかもしれません。ご了承ください。
【前回の記事はこちら】
2017年5月29日
前回のお遍路から約2か月後。7回目のお遍路旅です。
(当時、転職の合間で自由に旅に行けてました。)
朝5時起きで高速バスに乗り、スタート地点である愛媛を目指します。
ピーチの方が安いんですけど夜の便しかなく、結局愛媛で1泊するなら朝一家から出た方がホテル代節約できるしいいな、と。
6:50 大阪発→ 12:40 松山着。
ほぼ寝てたのであっという間でした。
ここから久万高原行きの路線バスに1時間ちょっと乗り、スタート地点のお寺の最寄りバス停久万中学前で下車。
出発から約6時間。7回目のお遍路旅のスタートです!
(スタートまでが海外旅行並みに時間かかる)
前回最後の43番 明石寺から今回最初のお寺となる44番 大寶寺までは実に75キロもの距離があり、大変な道のりでございます。長い上に、峠越えもあるそうで。
それを私はさくっと最寄りのバス停まで来ました。
恒例のワープでございます。
バス停から20分ほどの距離ですが、何ですか、まだ5月だというのにこの暑さよ!
ほんで歩き始めは体がなまって(ずーっと半日乗り物ばっか乗ってたし)体が重い・・・
44番 大寶寺(だいほうじ)
立派な仁王門。
そして44番ということは、ちょうど八十八箇所の折り返しです!
「へそ寺」や「中札所」とも呼ばれてるそう。
4月4日生まれの私には、馴染みの数字です。
(4=死を連想させるからと日本人はこの数字を嫌う傾向にありますが、いや、私生きてるしね。4=幸せ の 「し」 です。)←こじつけ
昭和に再建された仁王門には、でっかいわらじ。
入りきらず、上の方が天井に沿ってにゅーんってなってます。
こちらのお寺、歴史は古く6世紀末。
百済の聖僧が山中に安置していた十一面観音を、狩人の兄弟が見つけ祀ったことが始まりだそう。
ちなみにこの兄弟「あずさ2号」に乗ってたとか、いないとか。(いないです)←即答。
その後、文武天皇の勅願によって伽藍が建てられ、弘法大使が訪れたのはさらに100年も後のこと。
階段上に本堂あるパターン。ほぼ、これですね。
大師堂
(本堂の寄りの写真、撮り忘れてたみたい・・・)
平日の昼過ぎ、人も少ないです。
先ほど歩き始めたばかりですが、今日はもう時間が遅いのでお寺はここだけ。
45番途中にある今夜のお宿を目指します。
体がまだ歩くモードになってないのに、いきなしの山遍路道。
ふーっ、早速しんどいぜー。
あー、でもお遍路始まった感があるわ。
30分ほどで山脱出。もちろん、人なんて誰にも会いません。
ぼっち山も恒例となりました。
ここからは、県道12号線をひたすらに。
途中、二箇所ほど山へいざなう遍路道が現れましたが、このまま県道沿いに宿あるんで無視。
それが正規の遍路道であろうとも、あえてしんどい山は行かない。これも恒例。
宿泊先の古岩屋荘の看板が。
何かフォント、怖いねんけど。あとまだ6キロもあるよーっと。
途中、八丁坂という民宿の横にある自販機で飲み物買ってたら、宿のご主人が
氷水置いてるんで、良かったら飲んで行ってください
ありがたく、いただきます!!
冷たいお水、とってもおいしゅうございました。
いや、ほんとこれ、5月の暑さやないで。まだ始まって2時間も経ってませんが先が思いやられます・・・
こちらのお宿も宿泊先探してる時候補に挙がったんですが、もうちょっと初日に45番に近づきたくて止めました。
でも、きっとこんなお水を用意してくださるなんて、いいお宿に違いない!
お大師様についていく、遍路二人組っていう設定なのでしょうか・・・
人物のサイズ感よ。
ラスト1時間弱の道のり。
前を行くお遍路さんとなんとなく一定距離保ちつつ、岩山を眺めながら歩きます。
国民宿舎 古岩屋荘に到着!
広々ツインのお部屋使わせてもらえました。
部屋からは、岩ビュー。そびえとります。
お風呂も露天ではないけれど、内風呂が岩風呂になってました。
やっぱ歩いたあとは、大浴場でゆったり入りたいよね。(今日、たった2時間半ぐらいしか歩いてないけど)
夜ご飯。
お腹いっぱいになったら早々に眠くなり、20時に就寝・・・・
(今日ほとんど歩いてないくせに)
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私が旅の間愛用していたガイドブックはこちら。
納経帳とほぼ同じサイズで、サブバックに収まります。
地図と各お寺の案内が書かれてるので、一冊あるととても便利。