過去のお城訪問回顧録。
今回は、奈良にある続100名城の宇陀松山(うだまつやま)城をご紹介します。
訪問日:2019年4月20日
宇陀松山城へのアクセス
近鉄大阪線「榛原」(はいばら)駅より奈良交通バス「大宇陀」行きで約20分。
バス停「大宇陀」下車徒歩約20分。
バス停「大宇陀」は、道の駅前にあります。
ちなみに、昨年の春に見に行ったしだれ桜「又兵衛桜」も同じバス停が最寄り。
ですが、宇陀松山城と又兵衛桜は、バス停から逆方向に位置しているので、残念ながらお城への通りすがりにお花見という訳にはいきません。
↓大宇陀バス停から又兵衛桜へのアクセス
↓大宇陀バス停から宇陀松山城へのアクセス
私が行った2019年時点では、続100名城のスタンプは、バス停から5分ほどの距離にある「まちづくりセンター千軒舎」にありました。
が、現在は「宇陀市松山地区まちかどラボ」及び道の駅「宇陀路大宇陀」に設置されているようです。
「まちづくりセンター千軒舎」の裏手から宇陀松山城へアクセスができました。
(現在のスタンプ場所「宇陀市松山地区まちかどラボ」は「まちづくりセンター千軒舎」の数軒お隣なだけなので、アクセス方法は変わらないかと。)
標高473mの古城山の一帯に築かれた宇陀松山城。
城跡までの道のりは前半は舗装路。ラスト少しだけ山道です。
杖もあるので、必要な方はご自由に。借りたら帰りにちゃんとここに入れましょう。
角度が完全に「うんちょこちょこちょこピー」
ラスト100mだけが未舗装地。山城としてはかなり楽なレベルです。
あっという間に頂上到着!
宇陀松山城の歴史
宇陀松山城は、宇陀郡の国人・秋山氏の居城であった秋山城が前身。
1585年豊臣秀吉の弟・秀長が大和を支配したことに伴い、秀吉の家臣が秋山城に入りました。
近年の調査では、1592年に城主となった多賀秀種によって大規模な改修と城下町の整備が行われたことが判明しました。
関ケ原の戦い後、福島氏が宇陀郡を治めることになり、福島氏治の時に名を松山城と改めました。
1615年大阪夏の陣後、福島氏が改易となり松山城は廃城となりました。
現在、宇陀松山城となっているのは、恐らく愛媛県の松山城と区別するためでしょう。知らんけど。
城内の見どころ
頂上からの景色
「奈良県景観資産」なるものになっているという、頂上からの風景がこちら。
大峰山脈が一望!
お手軽に上れて、こんな景色が見れます。
歴史が学べて、山登りで運動もできて、いい景色も見れる。
そんな体験が無料でできちゃう山城って素敵。
反対側の景色がこちら。
天守廓跡
しばらく天守廓の下にある岩に腰かけて、山脈の景色ボーっと眺めながら小腹が空いたのでお菓子ぼりぼり。
見返したら驚いた。城跡の写真、これだけでした・・・
宇陀松山城下町
下山後、ちょびっと城下町をぶらぶら。
宇陀松山の街並みは、平成18年に「重要伝統的建造物群保存地区」(名前ながっ)に選定されています。
先ほどご紹介したスタンプ設置場所の「宇陀市松山地区まちかどラボ」もこの保存地区にある建物の一つです。
江戸中期に創設され、現存する日本最古の私設薬園の森野旧薬園。
国の史跡に指定されています。
今も約200種の薬草木が栽培されてるそう。
薬草好きの方、ぜひお立ち寄りを。
(当時あまり興味湧かなくて行かなかったんですが、漫画「薬屋のひとりごと」を愛読している今なら絶対行く。)
古民家カフェ「茶房あゆみ」さんで、ランチをすることに。
ハンバー----------グ!!
(突然のハンバーグ師匠登場。)
っていうか、さっき山の上で「これ、昼ご飯替わりでいいや」とか思いながら、バリバリお菓子食うてたんですけどね。
結局昼ご飯もちゃんと食べたので、ただ余分なカロリー取っただけの人になりました。
ま、山城でプチトレッキングしたので、お菓子はゼロカロリーです。
このカフェの先も街並みは続いていたんですが、ちょうど駅に向かうバスの時間も近かったので
ここで散策終了。
山からの景色と保存された城下町散策が楽しめる宇陀松山城。
せっかくなら、又兵衛桜の開花時期に行って両方堪能するのが良いかとは思いますが、徒歩の場合、桜から城跡まで歩くと4~50分程度かかると思います。
また、榛原駅からのバスに長蛇の列ができますので(臨時便も出ていたかと思いますが。)ご注意ください。
利用案内(宇陀市松山地区まちかどラボ)
- 入館料:無料
- 開館時間:9:30~17:00
- 休館日:12月29日~1月4日
続100名城のスタンプ帳 公式ガイドブック