大阪の百舌鳥古墳群散策 後編です。
前回の記事はこちら。
百舌鳥古墳群ビジターセンターでお勉強
既に半数近くの古墳をまわり終えた後ではありますが、ここで一旦お勉強タイムです。

前回紹介した「こふん前cafeいろは」さんからすぐの場所、道路を挟んで斜め向かいに百舌鳥古墳群ビジターセンターがあります。
古墳群に関するガイダンス施設で、入館料は無料。お土産なども販売されています。

上空から見た百舌鳥古墳群。
ひと際大きな前方後円墳(写真では緑の塊みたいに見えますが)が仁徳天皇陵古墳。
間に小さめの古墳がちらほらあって、その下側に履中天皇陵古墳。
右側の少し離れた位置にある前方後円墳が、最初に訪れたニサンザイ古墳です。

レゴ古墳。
大阪大学のレゴ部による作品だそうです。
え?レゴ部?

万博の大屋根リングとの比較がありました。
仁徳天皇陵古墳の方が全長、周回ともに大きいです。
この比較「甲子園(または東京ドーム)〇個分」と同じぐらいピンとこんのは、私が万博に行かず本物の大屋根リングを目の当たりにしてないからでしょうか。

こちらでは、空撮映像によるプロジェクションマッピングで、古墳の姿を見ることができます。

こんな感じ。
通常の家々と比べると、いかに大きいかよく分かります。
そして、本当に綺麗な鍵穴形なんだな~ということも。
この形、ユダヤ人の神器・マナの壺を表しているという説もありますね。
そういう古代の不思議、大好きです。
謎は謎であるほど面白い。
ちなみに、大仙公園内に堺市博物館もあるのですが、2026年3月31日まで長期休館中のため入館できませんでした。
続・百舌鳥エリアの古墳
ビジターセンターを出て、古墳散策後編スタート!!
⑪孫太夫山(まごだゆうやま)古墳

仁徳天皇陵古墳の前方部南側に位置する古墳。
仁徳天皇陵古墳の付属墳とされています。
はい、ここで前回の復習です。
このような大型古墳の周囲に造られた小型古墳(付属墳)の事を、別名なんと言うでしょうか。
答えはのちほど。
さておき、静止画なのにやたらピンぼけ写真が多いのは、新しいデジカメに変えてから、ピント調節がうまくいかない事が多いからです。
⑫仁徳天皇陵古墳
この百舌鳥古墳群を代表する古墳が、日本最大であり世界三大墳墓の一つでもある仁徳天皇陵古墳です。

周辺の雰囲気も、他の古墳と明らかに違います。
仁徳天皇は、4世紀末から5世紀前半に在位されたとされる第16代の天皇。
高台から国を見下ろした際、人家からかまどの煙が上がっていないことに気づき、3年間の租税を免除。
その間、自身の宮も茅を葺き替えずに過ごすなど倹約に努め、再び人家に煙が上がるようになったことを確認し、租税を再開したというエピソードは有名です。
その後、灌漑事業などに力を入れ、その業績から聖帝(ひじりのみかど)と称されています。

宮内庁の看板も建っています。

古墳の墳丘長は486m、濠を含めた全長は840m。
墳丘の周囲は3重の濠で囲まれています。
現地でも、世界遺産の資産名としても「仁徳天皇陵古墳」とされていますが、実際のところ被葬者は確定しておらず、ゆえに教科書などではたいてい「大仙古墳」と紹介されています。
現代の技術を持ってすれば、発掘調査で色々分かりそうなものですが、宮内庁が天皇陵として管理していることもあり、考古学的な調査は行わない方針なんだそうです。(Copilot調べ)
ただ、江戸時代の資料には、後円部に大型石棺があるという記録が残っていたり、明治時代には前方部で竪穴式石室が発見されたりと、今まで全くの手つかずだということでもないみたい。
昨年3月には、初めて立ち入り調査も行われていますが、被葬者を特定するような調査というよりは、保存管理のための現状確認が目的だったようです。
陵墓の尊厳維持と言われるとそうなんですけど、空白の150年と言われる古墳時代。
調べられると不都合なことが明らかになっちゃうんじゃないかな~なんて思ったり。

古墳前には、このような遥拝所が設けられ、かなり手前からしか見学できません。

仮に、ここに眠っているのが仁徳天皇でなかったとしても、これだけ巨大な古墳に埋葬されているのだから、当時の相当な権力者であったことは確か。

周囲のお堀。

更にその外側の歩道。

歩道沿いには、このような表示が定期的に建っていて、正面までの距離を教えてくれます。
正面というのは、先ほど紹介した遥拝所がある場所です。
⑬竜佐山古墳


先ほど紹介した孫太夫山古墳同様、仁徳天皇陵古墳の前方部南側に位置する古墳。
同じく付属墳と考えられています。
ここで、先ほどの問題の正解発表です。
大型古墳に付属する小型古墳の名称は・・・
「陪塚(ばいちょう)」でした。
前回の記事を書いてから今まで、一度も「ばいちょう」を思い出す瞬間はありませんでした。
知らなくても日常生活何も困らない。
それでも知っておくとちょっと偉くなった気がする言葉。それが「ばいちょう」
なおこの後、仁徳天皇陵古墳の周囲を回りながらの古墳散策となり、この後紹介する古墳は最後の反正天皇陵古墳を覗き、仁徳天皇陵古墳の陪塚となります。
⑭銅亀山古墳


仁徳天皇陵古墳の前方部西側にある古墳。
百舌鳥古墳群の中では数少ない方墳の一つです。

遥拝所周辺は、おごそかな感じで囲われていた仁徳天皇陵古墳ですが、西側はこのようにフェンスで囲われているだけです。
⑮菰山塚(こもやまづか)古墳

左図を見ると、仁徳天皇陵古墳の周囲に小さな古墳が複数築かれているのがよく分かります。
(写真が小さくて分かりにくいかもしれませんが・・・)

こちらの古墳、写真で見ても分かるように、周囲は住宅街。
江戸時代の絵図には、周濠が一部残る姿が描かれていたようですが、現在はそのような濠もなく、ただ住宅地に残るこんもりした小さな丘です。
⑯丸保山古墳


仁徳天皇陵古墳の後円部西側、外濠に接する位置に築かれた古墳。
⑰永山古墳

仁徳天皇陵の周囲に築かれた陪塚は、方墳や、円墳、帆立貝形前方後円墳などが多いのですが、こちらは比較的規模の大きな前方後円墳であることから、独立した古墳とも考えられています。

⑱茶山古墳


こちらの茶山古墳と次に紹介する大安寺山古墳は、仁徳天皇陵古墳の中堤の上に造られた大型の円墳。
ゆえに強い関連が想像されますが、詳細は不明、と。

鉄柵がされていて、もはや独立した古墳なのかどうかもよく分かりません・・・

柵の間からズームで撮影してみましたが、やはり堤の一部なのか、独立した古墳なのか素人目にはよく分かりませんでした。
⑲大安寺山古墳


現物を見るよりも、この図で見る方が位置や形状がよく分かります。
じーっと見ていたら茶山古墳と大安寺古墳が目に見えてきました。
・・・カエルみたい。
(短時間で古墳見過ぎて、もはや楽しみ方が変わってきている。)

先ほど同様、実物は柵越しです。
⑳源右衛門(げんえもん)山古墳

仁徳天皇陵古墳の北東に築かれた古墳。


㉑塚廻(つかまわり)古墳

こちらの古墳も物凄い立地で残っています。


駐車場に隣接。
周囲に築かれた小型古墳は、誰かが埋葬されていた形跡がないからなのでしょうが、その他の大型古墳に比べると、保存方法もかなり簡素な印象でした。
逆に「あ~これでも世界遺産の一部なんだな~と」そのギャップが見ていて面白い部分でもあったのですが。
ここで、仁徳天皇陵古墳周辺の古墳散策は終了。
最後の反正天皇陵古墳は、ここから2キロ弱離れた場所にあります。
最後、天皇陵古墳を拝んでこの散策を締めたいと思います。
テクテク。
(正直、いい加減疲れた・・・)
㉒反正天皇陵古墳

百舌鳥古墳群の北端に築かれた古墳。
反正天皇は、第18代の天皇でウィキペディア師匠によりますと
生まれながらにして綺麗な歯並びであったので「瑞歯別(みつはわけ)」の名があるという。『古事記』によれば身長は9尺2寸半(約3.04m)、水歯別命の名は歯の長さが1寸広さ(厚さ)は2分(4ミリ)で上下等しく整っており、歯を褒め称えて「水歯」と名付けられたことによる。
だそうです。
誰が天皇の歯の長さ、いちいち測ってん。
いや、そもそも3mの身長って。
と、色々突っ込むところがあり過ぎますが、まぁ、そういう事にしておきましょう。

こちらにも遥拝所が設けられています。

宮内庁の看板もあります。

最後に遥拝所前で一礼して、今回の古墳散策終了。
百舌鳥古墳群の中で、世界遺産として登録された古墳を全て回り終えました。
(登録資産数は23基ですが、うち1基は学校内にあるため撮影&見学不可のため、今回は22基の紹介となりました。)
文中でも述べましたが、正直古墳は大型になればなるほど平地からその全貌が分からず「見た目、ただの森・・・」、小型の古墳は「見た目、ただの丘・・・」という感想になりがちです。
ただ、その歴史的価値を踏まえた上で見れば、見方も変わります。
今回全ての古墳を巡ることで、様々な規模や保存方法の比較ができたり、仁徳天皇陵の周囲に小型の古墳が多数築かれていることなど、新たに知れたことも沢山ありました。
実際に自分の足で歩いてみることで、古墳が残るエリアの広さも体感できましたし。
今度は古市古墳群の散策をして、世界遺産古墳全制覇!を目指したいと思います。
制覇したからって何もないんですけど。単に自己満足です。
その他の世界遺産記事はこちら。