えちこの旅ブログ

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小江戸・佐原の歴史保存地区を散策|2025年初春の千葉旅②

龍正院を参拝後、滑河駅から再び成田線・銚子行に乗車し「佐原」駅へ。

歴史保存地区でもある佐原の街を散策します。

江戸時代の街並みが残る佐原

香取市にある佐原地区は、江戸時代に利根川の水運業により「お江戸見たけりゃ佐原へござれ、佐原本町江戸まさり」と言われるほど栄えた街でした。

しかし、時代の流れと共に、物流の主流は船から鉄道や車へと変化。それに伴い、街の賑わいも薄れていきました。

徐々に失われつつある当時の貴重な街並みを保存するべく、1996年関東地方で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」に登録。

今も保存地区には、江戸時代から昭和初期に建てられた建造物が多く建ち並び、ショップやレストラン、見学施設として利用されています。

歴史地区・佐原の街並みを散策

まずはJR佐原駅からスタート。

保存地区までは、徒歩で15分ほどです。

歩いていると、徐々に歴史を感じる建物が増えてきました。

福新呉服店

1804年から、今も続く呉服屋さん。

建物は1895年に建てられたものだそう。

利根川の支流・小野川

かつての水運業を支えた小野川。

そこにかかる橋の内の一つ「忠敬」橋

この名前にピン!と来た方は、日本史が好きか、地図マニアか、測量士さんのいずれかでしょう。

歴史の教科書にも登場する偉人・伊能忠敬さん。

佐原は彼のゆかりの地であることから、橋に名前が付けられています。

(忠敬さんの紹介は後程)

小野川では、船頭さんのガイドを聞きながら、川下りをする「小江戸さわら舟めぐり」が体験できます。

私は時間がなく、体験できませんでしたが・・・

上の写真は、営業終了後にスタッフさんを乗せてどこぞへ帰っていくお船。

芋パフェ専門店 金蜜堂

小野川沿いを中心に、古い建物を利用したカフェが沢山あるのですが、その中から選んだのがこちらのお店。

看板メニューは、この金蜜芋のお城パフェ(要予約)

予約してないので、これは食べられませんが、お芋大好きなのでここで本日のスイーツタイム。

(そもそも寒くて、予約がいらなかったとしてもパフェを食べる気にはなりませんでした・・・)

金密芋のチーズタルト(1,000円)

チーズと芋、生地がタルト。私の好きなもんだけで出来ています。

どうやらこちら、完売次第終了の期間限定のケーキだったようです。食べれて良かった。

一つだけ残念というか、個人的に辛かったのは、入口にドアがないので室内でも結構寒かったという事でしょうか。

そんな中でも、パフェとか冷たい飲み物を普通に召し上がっておられる方も多数いたので、多分私の冷え性が異常なだけだと思いますが。

(真冬に外で平気でアイス食べてる人の体感温度を、1日でいいから経験してみたいです。)

伊能忠敬記念館

先述した通り、佐原は偉人・伊能忠敬さんのゆかりの地です。

1745年、九十九里の漁村に生まれた忠敬さんは、17歳の時に佐原の酒造家・伊能家の婿養子となります。

当主となった忠敬さん、商才を発揮し、何と家の財産を3倍にまで増やしました。

ウィキペディア師匠の情報によると、資産は30~35億円に相当する額だったそうです。

今なら、ビジネス成功のノウハウを伝授する動画作って、実業家Youtuberとしても活躍できそうです。

そのまま才覚ありの商売人として生涯を過ごすかと思いきや、50歳で隠居。

その後、江戸幕府天文方の高橋至時に弟子入りし、暦学や天文学を本格的に学び始めました。

学びを続ける中で「地球の大きさを知りたい!」と思うようになった忠敬さんは、正確な緯度の測定のため、測量の技術を深めていきました。

その頃、蝦夷地(北海道)へのロシアへの圧力が強まっており、至時はロシアからの脅威に備えるべく、幕府へ蝦夷地の正確な地図の作成を提案します。

至時としては、地図作成と合わせて、地球の大きさを測る為に必要な「子午線1度(緯度1度)」の距離も測ってしまおう!という思惑があり、その事業に忠敬さんを推薦しました。

そして、忠敬さん御年55歳の時に第1次測量がスタート。

蝦夷地の測量は幕府からの評価を得、その後測量は第10次まで17年間(!)に渡って続けられました。

測量作業を終えた後、ついに最終的な地図作りに取り掛かりますが、残念な事に忠敬さんはその完成図を見ることなく、1818年、74歳で生涯を終えました。

そんな忠敬さんの生涯や、測量に関する資料、作成された地図(伊能図)がこの博物館で見学できます。

今当たり前に私たちが見ている日本地図の始まりや、そこにかけた労力や情熱を改めて学ぶことができました。

隠居後の第二の人生として、この一大プロジェクトを行った忠敬さんのバイタリティーが本当に凄いです。

知識だけでなく、体力も相当必要であったと思います。まず、現地行くまでだって歩きor船で行かなきゃなんないんだし。

実際の伊能図を博物館で見ましたが、多少のズレはあるものの、沿岸部の形など我々が現在目にする地図とほぼ変わりませんでした。

館内はほぼ写真撮影禁止だったんですが、一部だけOKの展示室がありました。

そこで撮影した琵琶湖周辺図。

この正確さよ。

歴史の教科書じゃ「伊能忠敬=最初に地図作った人」っていうあっさりした紹介しかされないじゃないですか。もっと大きく取り扱われてもいいはず!!

(方向音痴過ぎて、普段Googleマップを始めとする地図に大いにお世話になっているせいで、地図作りの立役者である伊能忠敬さんへの尊敬が人並み以上に溢れて興奮してしまいました。)

伊能忠敬旧宅

もう1か所ある忠敬さんスポットが、江戸時代に建てられた旧宅。

忠敬さんが、17歳から50歳までの約30年間過ごされた自宅を見学することができます。しかも無料です。

伊能家の主な商売は酒造業でしたが、その他にも米の売買や船の運送などでも収入を得ていたそうです。

船に荷物の積み下ろしがしやすいよう、家は小野川に面しています。

きゃー、忠敬さんがいらっしゃる!

(博物館で偉業を学び、すっかりファンになった人。)

立派な土蔵も残っています。

さすが数十億の資産を稼いだ伊能家。立派なお家でした。

「この一歩から 測量の日」

これ、国土地理院のキャッチコピーにしたらいいと思う。(どこで使うん。)

佐原三菱館・町並交流館

1914年に建てられた銀行。

銀行当時の内装を見学することができます。

当時の銀行では、決して見られなかったであろう光景。

カウンター前に、ドンと並べられたお雛様。

この時(3月20日)「さわら雛めぐり」というイベントが開催中で、各所で雛人形の展示がされていました。

三菱館には「町並み交流館」という案内所が隣接しており、そこでは大正時代から現代までの寄贈されたお雛様が展示されていました。

大正期のお雛様が、これほど綺麗に残っているのが凄いなと思います。

私の雛人形、叔母に頂いたそこそこ年代物(昭和初期のものと思われる)だったんですが、既に結構ボロついていました。保管方法が悪かったのか、はたまた幼少の私が、嬉し気に障っていたことが災いしたのか・・・(多分、後者)

あと、橋本京子さんという方の佐原の建物のドールハウスが展示されていたのですが、こちらもまた素晴らしかったです。

外側だけじゃなくて、室内もめちゃくちゃリアルに再現されています。

すっご。

いや、ホンマ、すっご。(語彙力、よっわ。)

一つ一つの小物や本の細かさ、再現性、美しさ、素晴らしいです。

巨人になった気分で、一つ一つの建物を覗き込んでは感動していました。

町並み散策はここで終了。

佐原では、夏と秋に「佐原の大祭」というユネスコ無形文化遺産にも登録されたお祭りが開催されたり、あやめの名所もあったりします。

こちらもまた行きたい。これ、いつものあれだ。

行った所にまた別の魅力があって、行きたい所リストが減るばかりか増えるパターンのやつだ。

おまけ

佐原で見つけたポケモンマンホール。

毎回思うんですが、このご当地(?)ポケモンって誰が選んでんの?