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【100名城】No.41 駿府城(静岡)|静岡マラソンの旅①

2025年3月9日に開催された「静岡マラソン」出場のため、2泊3日の静岡旅。

iechiko.hatenablog.com

今回は、マラソン大会前日に、寒さに耐えながら訪問した駿府城をご紹介します。

駿府城へのアクセス

JR東海道線・東海道新幹線「静岡」駅から徒歩約15分

駿府城の歴史

徳川家康は8歳から19歳までの12年間、駿府の今川氏の下で人質として生活していました。

その今川氏の居館があったとされる場所に、家康が築いたのが駿府城です。

1585年に築城が開始され、1586年に駿府に入った家康は1590年に江戸へ移りましたが、1607年、隠居して再び駿府城へ戻ってきました。

この時、本丸や天守を大改築しています。

1616年に家康が死去した後、1624年に2代将軍・秀忠の息子の忠長が城主になりましたが、1631年に高崎に蟄居の身となった後は城主不在の城となり、幕末まで城代(城主に代わって城を守る者)が置かれました。

1635年に起こった火災により天守・御殿・櫓・堀等、大半が焼失。その後も天守が再建されることはありませんでした。

現在は「駿府城公園」として整備され、二の丸東御門、巽櫓などが再建されています。

城内の見どころ

二の丸堀

1635年の火災の後も、1707年の宝永地震、1854年の安政地震により石垣や建物は大きな被害を受けたようですが、都度修復され、二の丸堀が現存しています。

二の丸橋を渡って公園内へ。

各地で見かけるポケモンマンホール。

ポケモン世代じゃないんで全然キャラクターとか分からないんですよね。でも何か可愛いから見かける度に撮影しちゃう。

マラソンの準備風景

マラソン前だからこその見どころ。

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マラソン大会の会場案内。出場しない人にとっては何の意味もない看板ですが、私にとっては重要。

でも、土地勘ない場所では、地図を見ても大概迷うので、実はあんまり意味はない。

ずらっと並んだ簡易トイレ。(見せられたところでねぇ・・・)

坤櫓(ひつじさるやぐら)

2014年に完成した櫓。
「坤」は、お城の中心から見て南西の方角を表します。

(坤櫓内に掲示されていた駿府城見取り図。左斜め下に位置しているのが坤櫓。)
櫓内は大人100円で入場可能。

東御門・巽櫓、紅葉山庭園との共通券360円もありました。

こちらの坤櫓は、3階構造になっていますが、各階の床板と天井板を全て取り外しているため、1階から3階を見通すことができます。

つまり、下から見上げると、上階の梁の構造が丸見え状態です。

伝統的な工法で再現された天井に、当時は絶対なかった火災報知器(ですよね、多分。)が目立っていました。

家康公の鎧兜。

要潤さんのサイン。

2123年6月8日・・・?もしや要さん、未来人ですか?

天守台発掘調査現場

2016年8月から2020年3月まで、天守台の発掘調査が行われていた現場を自由に見学することができます。

1607年に、家康が築城開始した天守は、5重(または6重)7階もの壮大なものでした。

その天守閣の土台は、日本で最大なのだそう。

所々に「慶長期本丸西面」などの目印が置かれているので、得意の妄想力を働かせてありし日の天守及びその周辺を想像してみます。

晴れた日に、富士山が見れるというスポット。

生憎の天気で雲しか見えませんが、こちらも妄想力で補います。

家康の天守(慶長期)より以前の天正期の遺構も発掘されています。

天正期天守台の内部からは、今川期の遺構と遺物も発見されたそう。

家康公像

息子の秀忠に将軍職を譲った翌年、「大御所」として家康は駿府に戻り、65歳から亡くなる75歳までの約10年間をこの地で過ごしました。

幼少期過ごした場所に戻って老後を過ごすなんて、家康は駿府がよほど気に入ってたのかなーと思い調べてみると、隠居地に決めた理由がまとめられているサイトを見つけました。

shizuoka-hamamatsu-izu.com

富士山、毎日見たかったのかな、と安易に考えましたが、案外それも理由の一つにあったみたい。

寒々しいお天気ではありましたが、河津桜が綺麗に咲いていました。

本丸堀(内堀)

本丸堀は、三重堀の駿府城の中で、一番内側のお堀。

明治時代に埋められてしまいましたが、発掘調査により再び姿を現わしています。

東御門・巽櫓

二の丸の東に位置する東御門

現在の門は、1996年に復元されたもので、内部は資料館になっています。

こちらは東御門橋から入ってきた側の門。

巽櫓は、二の丸の東南角に建てられた櫓。

こちらは1989年に復元されています。

東御門と巽櫓は渡り廊下で繋がっていて、両方に入館できます。入館料は大人200円。

東御門と巽櫓を上から見るとこんな感じ。

角にあるのが巽櫓。全国のお城でも珍しい、L字型をしているのが特徴です。

東御門(右側)と巽櫓(左側)

東御門内にあった模型資料が、全体像を見るのに凄く分かりやすかったです。

この橋(東御門橋)が・・・

実際はこれ。

石落としを仕掛ける武士。見た目も相まって、ほぼコナン君の犯人。

今川氏時代の出土品。

慶長期と天正期の天守台の位置や大きさはこんな感じだったみたいです。

先ほど、現場を見ましたが上から見るとより慶長期の天守台の大きさが際立ちます。

やっぱり「今川よりもでっかい天守建ててやる!!」っていう家康のプライドみたいなもんもあったんでしょうか。

東御門に使用されていたとされる鯱。国内青銅鯱の最古の部類に当たるそう。

慶長期の城づくりの様子。まさに人力に頼った体力仕事。

たまたま近くにいらっしゃったボランティアガイドの方が解説してくれたのですが、巨大な天守台の上に、ずどんと大きな天守が乗っていたのかと思いきや、実際の天守は模型の白い紙の部分。

天守の周囲には、空間が設けられていたようです。

江戸時代のおもちゃ。

お皿とか、壺?のようなもののミニチュア製品。

コナン君の犯人、スナイパーバージョン。

(コナン君の犯人、基本全員坊主やけどな。)

巽櫓内「竹千代手習いの間」

巽櫓の2階では、家康の幼少期(幼名・竹千代時代)の勉強部屋が再現されていました。

今川義元の元で人質生活を送っていた家康は、今川家軍師であった臨済寺住職の雪斎和尚から学問を学んでいたそうです。

その時の部屋が、こちらに再現されています。

お道具箱(?)は、ちゃんと三つ葉葵の御紋入り。

最後に、巽櫓の1階の売店で御城印を購入。

巳年バージョンの御城印にしました。

東御門と巽櫓の内部、展示資料も豊富で、時折ボランティアガイドさんに説明なんかもして頂けて非常に面白かったのですが、床が超絶冷えていました。

スリッパはなくて、靴下で歩いていたもんだから、足の冷えが尋常じゃなかったです。

ずっと、足裏を反対側の足のふくらはぎに押し付けて温めながら、資料見学していました。冷え性の方は、冬の時期に訪れる際、ルームソックスでも持って来た方がいいです。途中で、足が冷えすぎて集中できなくなりました・・・

女子の手荷物預かりは、ここから行けばいいんだなと最後に確認して、駿府城見学終了。(ただ、翌日この入口使用しなかったんですけどね・・・)

利用案内

※駿府城公園内は、利用自由

坤櫓

  • 入館料:大人100円、小中学生50円
  • 開館時間:9:30~16:30(入場は16時まで)
  • 休館日:12月29日~1月3日

東御門・巽櫓

  • 入館料:大人200円、小中学生50円
  • 開館時間:9:30~16:30(入場は16時まで)
  • 休館日:12月29日~1月3日

坤櫓、東御門・巽櫓、紅葉山庭園との共通券あり。大人360円、小中学生120円

sumpu-castlepark.com

おまけ

静岡市歴史博物館内にある「hugcofee」でティータイム。

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家康公をぐびっと飲み干しました。